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8月 つよさ

モクセイ

                   モクセイ 棚のとり

 

7年8ヶ月ものあいだ続いた覚めない悪夢は

安倍さんが辞任したから終わるわけではない

 

この悪夢の土台を作った小泉竹中の時代から

日本の切り売り、カオス化の計画は

メディアのちからを使って

彼らの計画通りに今日のときまで

着々と実行し続けられてきている。

 

そうして第二次安倍内閣発足以降

あらゆるところに打ち込まれた楔から入ったひびは

ぴしぴしと分断と歪みをうんで

今後何かよっぽどの奇跡が起こるか

社会意識の大きな切り替わりもないままなら

瓦解は回避できないところまできている

 

次に誰が総理になろうとも

その流れ、速度の差はあれ

そんなには変わらないとは思うも

違いがあるとすれば

 

そのひび割れからの崩壊を

さらにより意図的にプッシュするひとがなり

そこでばらけたものを食い荒らそうと

さらにいろんなものが染み渡るのか

 

コロナ禍におけるとんちんかんな政府対応と同じ

事態が手をつけられないところまできたときに

指針とするもの(本来人命)わからないまま

ただただおろおろと機能不全に

それでもの得意の分野(利益享受、斡旋に中抜き)で

その状況からもなにかしらうまみを吸いとろうと

必死になるのか

 

今後さらなる困難が予測される状況にあっても

権威名声を得るには千載一遇のチャンスとばかりに

自身の対応能力省みることなしに

矢面に立つことを望み出る

肥大化した自尊心を満たすための個人的欲求が

国政に投影されるという再びの悪夢で

国の壊れるスピードが早まるのか

 

(安倍政権はそのすべて兼ね備えてるぶん

悪質さはより極まって、短い期間でこんなにも

もとあった形を思い出せなくなるほどに

それまであたりまえにあったはずのよきものを

のっぺらぼうに上書き消去してしまった。。)

 

文化に教育、社会と経済、人命に生態系

そしてひとのこころが瓦解していく

今後起こりうる可能性、その鬼めきを

少しでも緩和しようと

国民に国に世界、地球と生命全体における危機を

真に自覚したひとが、代表に就いてくれるなら

そうなればと願う想いはもちろんあるけど

(ワクチン義務化をさけてくれるひとを何より望む)

 

ただどうにも、いまの立候補者のならびを思うと

可能性として、どうしても、人柱感を感じてしまう

 

自民党は、ほんとうこういうとき

思い返せばあれもこれもあのときも

一斉の死刑執行、クーデターともいえる強行採決の瞬間や

でたらめな法改正の審議の場、彼らにとってもきびしい局面

ネガティブなイメージが伴う場面になると

そういうときにはいつも、ああまたやっぱりと思うほど

それを主導させたり担わせたりするのは、女性だった。

本人は喜んでの受諾だと思うけど。

(あるときはそれが民主党(彼らのプラン通り)だったことも)

 

性別でわけるのは時代に反していることはそうだけど

こと自民党の今までを思うと、

今回は、そういう意味でも、野田さんより

また有力とされる菅さんより、麻生さんがいい。

(麻生さん、ぼろがぼろぼろ、マスコミもかばいきれないから。

いっときの間は目を覆っても、彼らの自滅は早まる気がする。)

 

※今日(9月2日)時点の情勢を調べたら、候補者出揃い

野田さん麻生さんとも、立候補されないようです。

ほっととチーン(みんな逮捕されたくないんだなぁ)の想い...

 

無二の個としてみることなしに

彼らの基準に基づいて、そうしていいと思える人間

彼らにとっては、ひとでなく駒を

人柱に立たせたり スケープゴートにしたてたり

つごうのいいように使って最後は簡単にきり捨てる

それをしている側の安倍さんだって

それをされる側のひとりとも言えるから

それは性別立場関係なしに、

またそれは、政治の場だけに限らなく

 

自身の葛藤を投影する相手をジャッジしさげすみ

絶対性からの正当性から、葛藤なしにその相手を

自身の葛藤のために利用する

そこで恐怖を用いて行われる、操作に支配に搾取

そして尊厳、存在への否認(実際それはすべて自身にゆきつく)

いまの社会、あたりまえにもなされている

 

国がどうなるかよりもそのところ

そっちのほうがこれからのとき、

そこが変わらないかぎり、国も未来もないように思う

 

相手をそのひととして思いやるこころ

そのひとの存在を尊重し敬う、

そのひとの存在への祝福

その想いがゆきつくさきは地球

 

性、立場、宗教に文化、国や言語、肌の色

違いとされるものへの差別的視点の根絶、そのためには

無意識にもあたりまえに行なわれているジャッジング

自分自身も含め、注意深くあれねばと思う

(差別をしないのと、だからと言って、差別を認めるのは違う

明らかなる差別意識に対しては、外側での現れに対しても

自分の中にあるものであっても、それをわかったそのときは

強く鋭くお腹からNOを叫ばなきゃいけない。)

 

そうした差別の意識

個々の思考に無意識にセットされた上下構造のフィルター

そのなかでも日本の社会において

長らく深くどっしりと蔓延るものは

ミソジニー、女性蔑視と言葉にされる

嫌悪の視点であり観念

それは人間関係、家庭に職場、メディアや教育

どこかしこに浸透していて、

そのアイデアは年齢性別立場関係なく受け入れられ

そのぶん一見正しさとも結びつきやすい

ぱっとはそう見えなくも、思わなくても

でもよくみたら目に見えてぎとぎとと油めく

これまでの日本の社会を形成し軸となっているもの

 

そのミソジニーな視点の投影は

向けられたひとのこころを萎縮させ

自分を自由に表現し生きることへのちからをうばう

 

そればかりか

そこに強い攻撃性や操作性が加わるとき

それは恐怖であり、支配に操作、抑圧、制限、搾取に利用

尊厳の無視、存在の否認につながることだってある

 

そうなるのは、向けられる方にも何か理由があるというより

全ては投影する側の意識(無明さ)の問題であって

そのひとが頭で感じている怒りや排除の想いは

相手でなく実際は自分自身の内に理由があり

その人自身がそれに気づかないかぎり

その投影は、誰も止めたり変えたりはできない

 

向けられる投影を自分が止めることはできないけれど

自分はそれをどれくらい受け取るのか、

どれくらい受け入れるのか

それかぱっとよけるのか、当たっても跳ね返すのか

勇気を持って、立ち向かうのか

すぐにでも物理的に離れることを選ぶのか

そこにいる自分も含め、起こっていることを

まったく突き抜けたところにいて

静かにじっと、眺め見るのか

 

そのとき自分がどんな状況、立場にいても

社会的にやプライベート、どんな関係性であったとしても

女性蔑視、またあらゆるジャッジがかった投影

そのひとがはまっているドラマを向けられたとき

それに対してどう反応するかというのは

自分が決める。自分が選ぶ。

 

それを他者から指示されたり

他者が求める反応を要求されたとしても

自分の反応(それへの認識、そのうえでの選択

それにともなう行動)は自分が決める。

それはそうでしかないあたりまえの権利として自分にある。

反応は自分が選び、自分が決める。

それは、どんなときも。誰においても。

 

声圧や立場圧、力によるパワーに負けないで

恐怖を利用してくる他者の土俵(ドラマ)にのらないで

 

すでに分離からユニティーの時代に入った

2020年というときにあっても

日本のこのゴチゴチがちがちに三角ばった

ミソジニーがベースに横たわりその淀み全体へと充満する

維新メンタルともいえるオラオラな統治のしかた

 

いまだ現存する旧世紀のフィルターを通して

彼らの基準に反する存在あれば

的はここだよと誘導し

そこで一斉に矢を放たせ、その息の根をとめようとする

自らの手を下さずにじゃまなものの芽をつんでゆく、つるしあげ

それをじょうずに扇動する巧妙な仕組みや働きかけ含め

その手法がいまも大手ではばかるその醜い羽の毛を

すぐにぶちぶちぶちともぐことは難しくても

 

こつこつとその羽を、一枚一枚抜いてゆくには

とにかくまずはいちばんは、

今時点で自分の思考やエーテルに刺さったままの

目には見えない呪いの矢

支配や操作の毒がぬられた石の礫を

すぽすぽと意識的に抜いてゆくこと。

デトックス。

 

そうすることで、

じぶんをとりまく重みは軽く

胸や思考の振動数は早まり

ふわっと宙にうきあがる意識は

まったく傷を負うことなしに

矢の飛び交い、それを促すものはなにかを

じっと離れたところから

自分に向けられるものを

目の前で起こっていることを

花火の火花を見るように

そうして夜の宙に消えてくのを

その儚さを 幻想を

ただただしずかに、見ることができる。

 

そうしてじっと見てゆくさき

矢の方向を促し扇動するものの意図

さらにその内奥に隠しているものが

はっきりと浮かび上がる

 

それは火花が消えても漂い残る煙みたい

その匂いのだいたいは

根拠のないはったりであり、弱さであり

おびえであり、恐れであり、自信のなさであり

不確かさであり、抑鬱であり、悶々であり、

それらひとかたまりになった、苦しみ

もくもくもうもうとした

晴れることのない煙色の雲

 

総裁選、候補者のなかで

だんとつ邪悪に思えた菅さんをはじめてみたら

おなじだった。小さくて弱い。

彼になったら、きっとこれまでと

ほとんど同じ感じで進むと思う。

ゆく先なにがあっても、どんな問題が起こっても

責任の所在の行き着くさきは、国民へと向かう

運転席にはだれもいない、ゆりかもめな遠隔操作。

 

どこへ向かうか知らされることなく

責任をとるものもいない車内

それでもみんな普通に乗っているから大丈夫と思うのか

窓からとびだし、自由に自分がゆきたいところ

まっすぐに、でも踊りながら目を煌めかせ飛んでゆくさき

なんだあれは

みんなちゃんと電車に乗っているのに

ひとりだけあんな勝手に自由にしかも

もしやあれってとりじゃなくねこやん

ねこが飛ぶなんてありえないと

怒れる矢が誰かから

ときにはあちこちから一斉に

だだだと集中放火で浴びたとしても

 

とりかねこかじゃない、

ただわたしなんだと

とりかねこかの魔力は唾棄し

あとの矢ぴゅぴゅっと上手によけて

撃ち落とされずに

例え急所にささっても

火の鳥みたいじっとその矢をぺいっと抜いて

 

実際にわたしたちの意識は永遠

胸やエーテルに生じた傷を

自分の真実で癒し満たして

ぴきっともどった100パーセントの自分で

よりゆきたいところ、

自分のゆくべき、むかうところへ

 

そうしてひとりひとりそれぞれが

みんなが自由に自分のゆきたいところへ

自分自身の意思をもとに空をゆく

恐れを持たないその姿、自由のはばたき

存在の眩しいひかり  その確かさを

目にしたひとたち

もしやこっちがあたりまえなのかもと

自分そしてみんなが持つあたりまえの権利なのだと

自分が自由に自分を生きる許可

みんなが思えるようになったとき

それをみんなが生きだしたとき

 

先導者の扇動の羽、

ひえぇとじぶんたちの恐怖による支配が

及ばなくなることへのあせりと混乱といらだちのストレスで

ぱらぱら自ら羽は抜け落ち、

煽るための扇も骨だけになる。

 

 

去年10月からつづいた激しい迫りから

そうしてみつけた、自身の答え

 

「自分はどう生きたいか」

 

これからの日本に世界に地球

これまでになかったような事態が

あちこちからぼふぼふと噴出し

うっすらとは問題を感じていた側面が

強烈に前面に、次つぎに立ち現れるような

もう見ないふり、気づかないふりは

できないところに入ってゆくとき

 

そこで起こることよりも

そのとき自分がどう反応するか

そちらがじぶんのゆく道と体験を決める

 

起点にある意識(決めていること)が体験をつくり

そのときの反応は、その起点に基づくものに。

起きる形はその現れであり結果なだけ。

 

起点の意識と自分の反応

そこに意識的であるということは

自分が生きたい体験を、

自分が決められるということ。

 

想定から外れた形があちこちにあふれだす

そのときに、自分の意識が自由であれば

現れである形であり結果に飲み込まずにいられる

形にとらわれることなしに

その形から離れることもできる。

 

自分の欲を満たしたり、利用するため

火の鳥の生き血をねらうひと

矢では死なないとりをつかまえようと

飛びかかりしがみついたら

とりの振動数でそのひとの業に火がついて

ぎゃああと燃える、ことはあっても

 

それはとりがしむけたわけじゃない

ましてや火をつけたのはとりじゃない

そのひと自身の起点の意識と反応の

そのひと自身の、結果であり

とりは欲望の投影を受け入れないことを貫いて

あとはそのひとの反応でありその結果を

じっと見て、受け止めることをした。

 

とりみたい、狙うひとをきっと睨み返しては

とりみたい、自分の意思を第一に

自分がゆくところ、ゆきたいところへ飛べる軽さを

その許可を、いまこの自分に

 

向けられる呪いの矢ははたき落として

残る石のつぶてはこんなん幻想やと

ぱーんと一斉に取りさって

 

集団意識から発せられる

正しさという重力かつ引力的な圧力から脱し

飛びたいように、ゆきたいところへ

自分の求めであり答えを描き飛ぶ

その制限のないあたりまえの自由からの表現が

白黒の世界に色どり豊かな色彩を

とりもどさせるのだと思う

 

自分が自分のいまを決めてゆく

やわらかにひろがる、大海をわたる風みたい

ざざーっと瞬時につきすすむ

ときをこえた制限のない、そのときを

生きたい自分を

いま、この自分から ⭐️

 

 

 

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 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










7月 なつかしすぎる未来

幽霊人命救助隊

自殺者の命を救え! 浮かばれない霊たちが、天国行きと引き替えに

人名救助隊を結成、地上に舞い降りた。救うべきは、100人の命…。

怒涛の人命救助エンタテインメント。 『幽霊人命救助隊』高野和明

 

しずかにもうれつな7月でした。

父とサンさんの命日迫るこの月は

油断すればかまいたち的に襲い来る

かけがえのない大切な記憶の波状攻撃、

その度そこへ意識をあわせないよう

じっと今に集中し、やりすごす

記憶と今の攻防戦みたい

7月は毎年特に用心深く過ごしていたのが

この自粛あけの一ヶ月は

のんびり一転のいそがしさに

悲しみを想う間も、感じる間もほとんどないで

ひたすら平泳ぎで海をゆきつづけるような

あっぷあっぷの ひと月でした。

 

そんななかも、少しづつ読み続けていた

本があり

その本は、Yさんのはなクリエイトの記事で

マヤさんが名前を挙げられたとあった、

高野和明さんの小説で

 

アマゾンで取り寄せ読み始めたら

週刊新潮に写真とともに掲載された

赤木俊夫さんの手記を読もうとしたときとおなじ

迫り来るもの、あまりにも大きすぎて

自分の部屋でひとりで読むのは困難に

誰かがいる場所、

外でコーヒーをいただくときに

こころを落ち着かせて少しづつ、

 

この本は、小説ではあるけれど

リアルに胸に現実に、命が迫る

605ページと分厚くも、

さらに何冊にもなりうると思う本

ゆっくり、そして先日、読み終えました。

 

死にたくなったことのないひとも

きっとこの世界にはたくさんいるも

仕事や生き方、環境によるところあれ

我慢、忍耐、とまどいなしに

この社会で生きていくことは

どうしたって困難に思える

ある部分、地獄的なシステム下

 

それでも、真摯に、誠実に

生きていること、生きることの意味をおもい

必死にふんばり、自分を活かし、生きようと

胸に燃える火、希望の瞬きを

消さずに灯し続けてる

自分を、希望を生きることを

あきらめていない

想いとこころある まともなひとほど

 

混沌と搾取の世の中で

目にする現実の受け入れがたさ、むなしさに

死にたくなるような想いになる、その気持ちは

むさぼりくう方、暴力をふるう側の

幼稚で軽薄な、こころのない支配の醜悪さ、おぞましさの

極まりを思えば(きょうびリミットなくなってしまった。)

そう感じるに至るのも、おかしくないと

思ってしまうも

 

実際に、ほんとうに、その命の際まで

追い詰められたときというのは

本のなかでも書かれているように

 

「死のうとする人間の身に起こっているのは

精神の変調、それだけだ。」『幽霊人命救助隊 』p471

 

この印象に残る言葉を読んですぐあと

ツイッターで、RTされていた

坂口恭平さんの下記の投稿、目に飛び込み

そこに書かれている報道も、同時にあって

なにが起こっているのか

ただ、そういうことなのか

つきつけられる、想いになりました

 

 

その、精神の変調、思考の誤作動がおきたとき

そのとき、最後の選択につきすすむその前に

そこをとにかく、踏みとどまる

緊急時の停止装置のようなもの

それをそのときそのひとが

キャッチできるか

キャッチできるものがそのときあるか

そのところを

自死の報道を目にするとき

電車の運行がとまるとき

はがゆく、ことばにならなく、

ぐっとなります。

 

小説は、自ら命を絶った4人のひとが

命を絶とうとするひとたちの命を救う

救出の物語なのですが

そのひとりひとりの救助者も

そうなる背景も、そしてその心情も

現実、そのままに感じるもので

意識を重ね相手の情報を読み取る方法

それもアカシックそのまま

相手にはそれが見えない、わからないことも

その声をじぶんのものと感じていることも

そのままで

 

極限の孤独と絶望から

その選択肢、うまれるも

けど、ほんとうには、わたしたちは

本当けっして、ひとりじゃない

 

救助に全力をあげ、生を願う

幽霊救助隊のメンバーたちみたい

じぶんを見てくれているひと

必死でサポートを、

声をからしてなにかを伝えようとしてくれている存在が

ぜったいに、誰にもどんなときにもいて

 

それは、目に見える誰かに何かも、

知らなくても、かならずに

そのひとの存在を必要としている

そのひとの存在に生かされているひとやものやこと

からならずにいる。

 

息が吸えるような想いになる公園の木、

かぐバラも、

お店での買い物も、好きで食べているパンの先にも、

思いもよらない誰かなことも

自分は気づいていなくても

かならずにいる。いるからいま、自分も生きてる。

 

そのひとの存在を願う、生きての想いを

キャッチできるか

生きてよの声とさけび、とどく余地が

その瞬間にすこしでもあるか

その隙間の有無、きっと大きく

 

死に傾く瞬間の、意識のすきまに

目に見えるもの、見えないもの

そのどちらかの一端でも

その誰か、何かからの

「生きて」の切実な想い、さけびが

すっと差し込むことがあれば

緊急の停止装置働いて

誤作動とまり、視点が変わると

本でもそれが、救助作戦、全員の救出に

ありありと描かれている。

(救助道具のひとつはメガホン)

 

そのすきま

ぎゅっとかたく閉じきらないよう

すきまなくならないよう

その余地をつくるものが

思いやりなのだと、思う

 

思いやる、それは、

自分に対して

他者に対して

命に対して

生きるための命を与えてくれたもの

命を生かしつづけてくれているすべてに対して

 

この世界でじぶんはひとり

理解者いなく、じぶんを必要とするひともいない

それはほんとうに幻想の極み

 

いま見える、知るところに

誰もひとりもいなくても  何もなくても

そう思えても

ぜったいに誰か、見えないなにか

そして、生命をあたえてくれるもの

命が注ぎ、想いつたわり、躍動する

あらゆるものとつながりあって

いまじぶんは生きている

みんなそうだから生きている

つながりあい影響しあい、そこでうまれるさざ波が

生きる一歩、生きるちからに。

 

「僕はもうあのさそりのように

ほんとうにみんなの幸のためならば

僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

          『銀河鉄道の夜』宮沢賢治

 

ジョバンニのこの言葉は

死への決心でなく、生きる決意に思う。

 

生きてこそ。

そして、生きている限り。

 

救助隊メンバーのひとり、八木さんの言葉

 

「死のうとしてる奴らが怖れるのは未来だ。

この先、いいことなんか何もないと思い込んでる。

だがな、誰も予言者じゃねえ。

ノストラダムスの大予言だって見事に外れたんだ。

つまり俺が言いたいのは、未来が定まっていない以上

すべての絶望は勘違いである」『幽霊人命救助隊 』p568 

 

ほんとうに。その勘違い、ほんとうに、

ほんとうに。

 

父のいない未知の人生が始まったとき

わたしは体あるも死のほうの意識でいた。

それを絶望ともいえるけど

とにかくは、父がいたときのあたりまえの幸せを

もう二度と生きることはないのだと

絶望よりも、生きることへのリタイアというか

あとはいつでもの、未来を見ないで

ただいまをただ ただようような

じぶんはしょうみほぼ幽霊で

生へと向かう世界から少し離れたところから

のこりの時間を精一杯に過ごすのだと

そんな想いで、いたのだけれど

 

そうして生きてゆくさきにあったのは

もうないと思っていた

生きていてよかった、うれしいという想い

そう感じる、ひとと、世界との出会い

 

生きているかぎり、ほんとうにわからない

未来は定まってはいない

ましてや絶対に確実なものなんて

いま生きている事実以外に存在しない。

 

死のひっぱりがぎゅんときても

いま生きている、その事実の意味が

ちょっとでも、すきまに入れば、射しこめば

 

そのすきま、

どうかぜったいに残していてと

死にたくなる思いになったとき

完全な孤独を感じるとき

生きる意味をなにも見出せなくなったとき

自分の存在は誰か何かに利用消費されているだけだと思うとき

それはまったく事実じゃない

 

そのひとの存在に、生かされているひとがいる

そんなのひとりもいないと思っても

それはいまそう思うだけ

この本を読まれたら、その意味わかるはず。

 

視点、視線、せまくより、とにかく広くを

それだけで、ゆるみがうまれる

隙間ができる。

 

そう、本の紹介できてなかった

 

高野和明 著『幽霊人命 救助隊』文春文庫

https://books.bunshun.jp/ud/book/

 

養老孟司さんの解説文も

とにかく読んで、読んだらわかるからと

それだけを書かれていて

ほんとう、おなじくの思い

 

この現代社会で起こっていることを

実際そこで体験するに近いかたちでわかる本

感じていることの確認が、できる本です。

 

 

未来は決まっていない

決まっていないは無限

無限の可能性が、生きている限り

生きている、すべてのひとに。

 

無限の可能性は

それをうみだしかたちづくる意識しだいも

それを生きる肉体があってこそ

からだ、意識、それを動かすこころ

ぜんぶ大事

 

じぶんを大事に

ほんとうに、どうか

じぶんを大事に

 

そうして、生きて

この移行期も生き抜いて

胸にある、じぶんのいちばんの大切を

どうか死守し、守り抜いて

 

さらなる切り替わりのとき

始まりのゲートをくぐりぬけ

そのときじぶんがいる場所に

決まっていない

無限の畑に

守り抜いた、その種を

植えて、育てて、

実りをあじわい、わかちあう

その種を、つながる未来、

そして、全体へ

 

いましんどさや困難を感じる状況にあられても

外側で起きることにひっぱられず

そのときのあらゆるぜんぶジャッジせず

それよりも、なによりも

「じぶんはどう生きたいか」

そこに意識の目をがつっと

意識の耳を、じっとすませば

 

種であるその答えが

ラピュタの飛行石みたい

どれだけさきが見えなくても

いまがよくわからなくても

みるべきところ、あしもとを

まっすぐ照らし

雲をつらぬきのびる光線が

じぶんのゆく道

示し、導いてくれるから

 

その種、魂の声を

なつかしすぎる未来に待つ、その答えを

いまのとき、意識の目、集中を

 

 

 

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ほんとう嬉しく、ありがたく

いつも、ぐぐぐと、心にかみしめ

大切に、読まさせていただいています

 

大きなよろこびと

いまをゆく 大きなちからいただきながら

もう何年も、個別のお返事できぬまま

大変に、ほんとうに、申し訳ありません

 

浮かぶ想いをそのまま言葉にしきらないことが

お返事のできない理由のいちばんでして

胸にごっとある想いの塊

言葉にしてのお返事でなく

テレパシーに代えさせて頂いておりますこと

大変に申し訳なくも

ただただ、いつもどんなときもあります想いは

どうかお元気に、ご健康で、笑顔に

そのかたの存在、ひかり、

いつも胸に、どんなときも、想っています

 

体験談、いただくお便り、

ほんとうに、感謝ですありがとうございます。

 

 

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セッションの体験談

静岡県在住・Chikaさん

 

†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*

 

Chikaです。

先日はセッションありがとうございました。

導いてもらえたご縁に感謝しております。

 

今、直面している自分では決められない事

決められないというか

みないようにして決めてきたから

みえてないだけだった事、

物事をみていつも感じる感覚とは別の

その物事の真実をある側面から見ることができ、

びっくりしています。

 

意識をみる方に変える、

そう決めるだけで違う世界がみえるようになった今、

無意識でみないようにしてきた私は

朱里さんに教えてもらわなければ

いつかは気がつくとしても、

気がつかず人生を終える道もあったかもしれない…、

そう思うと知ることができてこれからの生き方が

生きやすく生きれる様な気がしています。

 

今生で終わると知り、

あと何十年人間で体験できうる限りのことを

味わいたい!生ききりたい!と

命の有り難さにも改めて感謝でき、

これから自分のどうしたいか、

自分の真実をしっかりと認識し

自分自身を生きるということを

いつも意識的であるように…と

未来に期待と希望が持てました。

 

ありがとうございました、

電話でしたがお会い出来て嬉しかったです。

この状況がいつか落ち着いて安心して

大阪へ行ける時が必ず来ると思います。

その時は直接朱里さんに会いに行きます。

その日を楽しみにして、

またお世話になりますが宜しくお願い致します。

 

朱里さんのブログ大好きです。

何度も何度も噛み砕いて読み返して

少しずつ少しずつ温かいスープが喉をつたっていくように

体に染み込んで栄養となっています。

これからも楽しみに拝読させて頂きたいと思います。

 

この度のご縁に改めまして感謝♡

蒸し暑い日が続いております、

どうぞお身体ご自愛くださいませ。

 

†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*

 

Chika様

体験談、うれしきお言葉とお気持ち

とてもとても、ありがとうございます。

 

ひとは自分が決めていることを生きる

それは、意識的、また無意識

どちらであっても

じぶんが起点に決めていることを

意識的に、また無意識にも

ひとは生きている

 

魂が生きたいことを生きるには

自分が決めていること、決めることに

常に意識的であることで

起点をいちばんのほんとうにセットでき

そうすると

体験や展開、そのスムーズさ、まっすぐさが変わり

なにより、起点と意識(認識)のずれもなくなるため

(ずれると望みでなく葛藤を生きることに)

なんにつけ、意識的であることは

じぶんのいきたい今、この先をゆく上で

とても大事にはなるところ

 

意識的というと、眉間やあたまの方に

感覚向かいやすくありますが

スタートは胸、胸腺の奥あたり

そこでの心地をコンパスに

 

真実一路、Chikaさんの魂のほんとうとwant

おもいきりたのしまれ、味わわれ

未知のひろがり、展開を

ひととの出会い、つながりを

アカシックの網み網みに

つむぎ築かれ、

眩しい美しいタペストリー

地球を終わられたあとは宇宙からも

うっとり眺められるかんじ

そのひと織りひと織り

大切に編まれてゆかれて、願います。

 

静岡は高校卒業後、初ひとり旅した

思い出ぶかい場所でして

またいつか、どこか

体もいっしょ、お会いできるときを

たのしみにしています。

 

この度は、体験談のご投稿、

Chikaさん、お気持ち、想いを

ありがとうございます。

 

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










6月 青き衣をまといて

モクセイ 雀

  すずめたちのぎらぎらした視線が注ぐ。 (モクセイ)

 

最後の揉み洗いのような洗濯は
のこるすべてを浮かびあがらし
すすぎとしぼりの終わる洗い上がり
過去からのびるレールが消える
 
そうして望む 雨上がり雲のない
薄青い空の広がりに
はじめて 息を吸うような
誕生、始まりのここちが
やはり薄青い空みたい
やわらかに胸にひろがる
ただただある
粒子の明滅
独特の さっぱり感
 
つけもの石のようにのしかかる
見えない憑きものがとれたあとの
このなんともいえない軽やかさ
ほんらいは誕生時ナチュラルも
社会の呪いが細胞にまで浸透するような
分離・セパレートの時代にいては
その軽さ あたりまえでなく感じてしまう
 
そのかたちなくも重みをもって存在する
つけもの石は、呪い
 
ぎゅうぎゅうに上から個を押し込めて
餅をひらたくならし重箱に詰めるような
社会からの同調圧という呪いの押し付けは
システマティックに機能しながら
自分のほんとうを生きる情熱を閉じさせて
そのひとの意識を眠らさせるよう
丹念かつ大胆に、デザインをされている。
 
そのひとがそのひとであることの
制限 抑圧 制御に 抑制
それらは支配のためであり
そのエゴめくコントロールの表面に
パワーや絶対性をもたせた
確信的な「正しさ」を纏わすことで
本来の意図を見えづらくさせ
その一見の正しさをオブラートに
他者の意識に思考に感情、細胞までも
その支配、操作のためのプログラム
スムーズにするするとしみこませる。
 
正しさゆえに、それかただ無意識にも
その外側からの押し付けを受け入れたとき
それは強固な呪いとなって
自分の考えやありかたに
強く機能し 影響をあたえ続ける
 
海の一滴である支配者たちが
海全体と個々の水質管理のために
寝る間も無いで注ぎつづけるその呪い
水が透明にならないための尽力は
 
連鎖し循環するシステム化して
ひとからメディアから食から教育
主要なものはもちろん
あらゆる暮らしの端々から
つねに夢うつつになるように
正しさという名の催眠薬を投与して
意識の拡大 純化を抑制させる
 
その絶え間なく行われるくすりの投与
解く間なく重ねてかけ続けてくる洗脳を
なにをと無理に跳ね返さなくても
たださらさら
けさらさらと受け流すことで
 
それまで自分の思考感情に根深くしみつき
意識の表皮にまとわりついていた制限や正しさが
より濃度を増して注がれる呪いとともに
いっしょになって
どんどん洗い流されてゆくような
いったい何がおきているのか
毒をもって 毒が溶けてく
このコロナ禍の数ヶ月は
多岐にわたる意味あれど
とても不思議な浄化の期間でもありました
 
更には去年10月頃から続いたハードな迫り
(自分が決める はないちもんめ)
それでも逃げずに、
自分と対峙されてきたかた
 
雨があがり、薄青い空のひろがり
ひとまずひといきつけるときに
入られているのではないでしょうか。
 
このひといきつける場所
上下に垂直に伸びる軸と
水平360度に広がる胸の空間
串団子みたいに重なるその中心に
自身の意識を置き続けるかぎりは
 
制限のない創造へのチャレンジはもちろん
外の動きや現れが、今後さらに
暴力みを増すときにいても
いきいきじぶんの魂をいかしながら
自身や大切なひとのいのちを
スーパーマンみたい
ふわりと守ることができる
 
自分が自分であるのをわかる
その意識場の感覚と
胸からのびる十字の軸
消えたり見失ったりしないよう
常にそこに意識があるように
日々のどこかに、確認、調律のときを。
 
5月の日記は、ときはまさに世紀末
ケンシロウの歌が想いをめぐるも
6月はもう、混沌のさきへと向かう流れが始まり
北斗の拳の世紀末感からいまは
宮崎駿氏の漫画作品『風の谷のナウシカ』へ
新世紀への転換点
大海嘯が、始まったのだと思います
 
そうして夏至を境に一斉に
世界中にナウシカが、各ポイントに
金色の草原をざくざく歩く、青き衣を着たひとたちが
どこからも、誰の目にもとびこむほどに、あちこちに
 
とにかく意識の拡大の抑え込みをと(アニメ版の方)
ドロドロ不完全な巨神兵(ウイルス)をもってしてでもの
おいつめられた彼らの計画もむなしく
その意図をくるりと真顔で翻し、機会に変える
飛躍のおこり、意識のめざめ


じぶんの真実を生きる、覚悟と決心 自身、全体への信頼
もうどうにも止まらいときにいるのが
セパレートから統合への時代であるなら
 
その波に乗るほうが
やっぱりどんなにらくなのか
それをいま胸にリアルに感じているひと
またそう感じるひとたちが
これから増え続けてゆくさきに
ある未来、待つ世界
 
つづく大波をのりきったあと
世界はどんなふうに目に映るのか
それを決めるのは「今」なんだと
今の重要性を、激しく重たく思いながら
 
今を意識はりめぐらし
今をある日々
そこからわかる体験は
もう思考を交えても、しょうがないということ
 
確かなものは、いまこの瞬間の示しであり ひとつの答え
それを思考や予測で理解しようとしても
へんなねじれやブレーキになるだけで意味はなく
ただこの瞬間の直感のみに
意識と行動沿わせてゆけば
ナウシカみたい
予測もちこめなくも 道はつづく
 
意図(決めていること)= 結果(現実)
そのあいだの時間ほぼなくなり
イコールはこれまで以上にダイレクトに
うっかり無意識によからぬ予測も期待も持ち込めない
ぜんぶそれらの元となる意識が現実に現れ出てしまう
だいぶにスリリングで、そして
決めていることがいちばん決めたいことであるならば
いまというときほど、魔法を現実に生きるときはなかったと
驚きをもって感じているひと、いま、きっとたくさん
 
とにもかくにも、今、何を決めているか
みんな、用心のうえ、いちばん決めたいこと
魂の、この瞬間のほんとうを
意識に、胸に、行動に
 
そしたら、目の前どんなにカオスでときに地獄でも
そのとき胸は激しく痛み、こころ深く傷ついても
それでも顔をあげて前をみて一歩をふみだせる
 
世界に、他者に、そして自分に、あきらめないでいること
これから、ほんとうに大事
彼らはとにかく あきらめさせようとしてくる
 
対抗策は 戦うのでなく
彼らの期待と真逆のありかたを見極めて
その真逆を生きること
そうしたら、彼らはどんどん予測ができなくなったとき
手出しもしようがなくなるし
そうなると、見ているしかなくなる
そのとき見ているひとは、彼らだけじゃない
もっと全体が、地球、たくさんの意識が
その存在にフォーカスするとき
いっせいに、連鎖がおこる
 
いまそのナウシカのようなひとが
あちこちに、ポイントに
だから未来は、近い先はだいぶ大変だけれども、大丈夫。
その新時代をつくるのは、ひとであり、それは今
今を大事に、じぶんを大事に、
あと、ほんとう、菌も大事に。
 
夏は発酵し放題の季節
野菜にお塩をふってもんで瓶に詰めて置いておくだけの
野菜の乳酸発酵、おすすめです。
(例えば水キムチ、ザワークラウト)
 
これから、そしていまも
毎日が誕生の日みたい
目に映るもの触れるもの匂いに味わいそして響き
そこでしるはじめてと発見と、巻き起こる感謝
 
世界に存在をみいだすとき
世界は豊かさを増してゆく
 
存在へのリスペクトを
互い持ちあい 感じあって生きるとき
振り子時計の複雑な歯車みたい精妙に連動し
新しいときを刻みだす
 
じぶんを生きることは
全体を生かすこと、
全体を、生きることに

 
木々のネットワークを可能にする
地中の菌根菌糸みたい繋がりあって
このたいせつないまを
みんなでともに。いきたい未来に。

 

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










セッションの体験談

OAさん

 

†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*

 

こんにちは。
今日はセッションありがとうございました。

初めてお話しするので緊張しておりましたが、

お話しできて良かったです!
スカイプの不具合等、まごついていて

申し訳ありませんでした・・・。

 

セッションを受けて、凄い内容だったのに

自分の中でぴんとあてはまる部分があり、
私ははたから見るとやはり結構ひどい?環境にいたのかと

改めて思い、自分頑張ってるなと思えました。笑


内容の壮大さからか、セッションを受けたあと、眠くなり、

だいぶ寝てしまいました。(内容が思い出せないのですが

夢の中では宇宙が出てきました。)

 

いいか悪いかは置いておいて、

桑原さんが最後おっしゃったように、

自分を信頼して進みたいです。


なぜそうしているのか、終わりにしないのか、

自分でもハッキリ分からない部分があったのですが
イメージとして見させて頂いて、

やはり私はどこかで信じているんだなと思いました。


今この瞬間から目を反らさず見続けている、

という意識はなかったので、新鮮な気持ちです。

今までの人間関係が、中途半端に終わってしまったという

思いがあるからかもしれません・・・。


未来に変化のイメージを見ることができたのは救いでした。
すぐに変わることは期待していないけど、

やっぱり相手にはもっと楽に生きてもらいたいと思っています。
それから、私自身の非ではなく相手の問題だと思えたことも

良かったと思います。

 

あまり無理しすぎず、新しい仕事やプライベートで

自分を楽しませながら
長い目で見てみようと思います。疲れ果てない限りですが。

 

桑原さんとのご縁に本当に感謝しております。
また機会がございましたら、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました🙂

 

†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*

 

OA様 体験談をありがとうございます。

 

そのひとへの信頼は理由があってで

その信頼は、自分自身に。

 

状況はふつうであったらと

何度も言葉にしてしまいましたが

それよりものOA様のありかた、視線と視点

シシガミ様がアシタカを見るみたいな

まっすぐに波のない直線のカーンと額にくる目

ものすごく、学びました。
 

そのうえで、それでもなにより、

自分を大事にとも、やはり思い

ほんとうご自分のたのしみも日々に

そこで放たれる芯からのよろこびの音もまた

そのひとの魂に確実に届き響き刻まれる振動に

 

つながりあいながら

感応しあいながら

そのひとがそのひとへ

じぶんがより

じぶんがなりうる最大のじぶんに

 

そうして互いの響き、共振、倍音となって

毎日がより美しくなるこのさきを

またなにかでお聞きすることできましたら

とてもとても 幸いです

 

こちらこそ、OA様、出会えたご縁

ほんとうに、感謝です。

来たる夏、眩しい変化の注ぎ

想っています。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










5月 TOUGH BOY

野田 モクセイ

    野田モクセイ 喫茶営業(10時半〜18時半)再開されています。

 

疲れきっていた心身が

このひと月、ひたすら歩いて、たそがれて

食べて 眠って、花をみて

日に日に元気と健康が 自分に戻ってくるのに驚きながら

その毎日は、夢みたいで

うる星やつら 映画『ビューティフルドリーマー』の

亀の世界にいるかのような(ものすごすぎる作品です!)

おかしな不思議な感覚に見舞われる 5月の日々

 

その間 今までにないくらい

日本や世界のいま、これからを

アカシックから読むというのを

いっとき毎日のように続けていました。

 

国の核となるものが

邪気めく幼児性におかされ空洞化してしまった

日本の政治、統治システムは末期的で

そんななかでも大阪は

ビシバシズムの極まりもあいまって

覆水盆に返らなくなるところまで来ていたりと

けっこうにハードボイルド

 

そのゴルゴな現れを

現実に目にするのは散歩のとき

落ちているごみにぎくっとぎょっと

こけて膝に傷を負うような感覚が

散歩のたびにいつもどこかで

 

先日は割れたすいかがとびちって

そのまわりに焼きししゃもが何匹も

ばらばらに横たわっていたのには

ぎょっと以上の衝撃をうけたけど

 

そこまでのはしょっちゅうはないにしろ

意図的か、無意識にも捨てられている

ごみの具合や落ち方が

いままでと、ちょっと違う

 

そうして日々を、周囲を見ると

ごみの落ち方以外の現実も、ちょっと違う。

 

自粛要請下の非常事態

それだからなのか、そのことでなのか

そういうときに、もうあるからなのか

 

内なる葛藤からうまれる

怒りや不安、恐れやいらだち

絶望とあきらめ

 

それら自分に苦しみを感じさせるものはすべて

胸の奥へ奥へと押し込めて

なるべくに感じないよう、みないふりをし

それでもどこかにはあるのだろう苦しみを

笑顔で繕い がまんしながら

一見問題ないように今をある

 

そこになにも問題はなく

そういうものだし、みんなそうだと

しのぎしのいでやってきたありかたが

同じようには できなくなってる。

 

今回のコロナ禍における

突然に急激な、環境の変化、状況の変化は

すべてのひとに

認識の変化、意識の変化、あり方の変化を

否応無しにつきつけてくる出来事であり

 

セパレートからユニティへの移行で

全体もう不調和なものすべては

これまでと同じに維持することが困難になる

大きな切り替わりのときにいるいま

 

届く変容の波の注ぎは

いまバラバラと大粒の雹みたい

かたちを変えてしまうほどの強さでもって

奥の方へと押し込めてきた葛藤を

問答無用に胸へ喉へと押し上げる

 

そうして上がってきた葛藤のかたまりを

もう無視はしきれないと

覚悟を決めて、それと向き合うことを選ぶか

それでも、見ないふりを続けるか

 

変化を促す圧がどれだけ強烈なものであっても

最終ひとはそのとき自分が選びたいものを

どんなときも、自分で選び

自分が決めたいことを決めて生きる。

 

自分は何を決め、どう生きるのか

その確認と表明を

いまいちど求められているともいえるのが

今起こっている出来事、体験であるならば

 

その返答として

汚れた水を未処理のまま海へ流してしまうみたい

自制する心や理性をなくして

自身の内なる葛藤を

そのまま外へと放出するのを選ぶひとが

ゾンビのように増えている

 

ただ自分がらくになりたいがために

その苦しみを、自分以外の存在にぶつける

そうしてその人の負う傷や苦しみを見ることで

そのときだけすっと、自分のなかが安定する

 

その一瞬の解放感は長くは続かないうえに

すっとしたはずの葛藤はより存在感を増して

自分自身を苦しめる

そうして自分の一部である葛藤に

自分自身がまるっと飲み込まれてしまう

それは、暴力の増加を意味する。

 

この苦しみはなんなのか

どこからきていて、そこには何があるのかを

自分の内に見、わかろうとするのなら

葛藤のかたまりは、苦しみでなく

ただあるものとして、

あとにどんなでもその取り扱いを

意識的に選ぶことができる。

 

そうした、覚悟と真摯さが必要になる

内なる葛藤との対峙ではなく

 

おさえきれない葛藤を

他者へぶつけることを選ぶなら

その一瞬のすっと感を得るために

常に意識は他者、外ばかりに向くことになる。

そうなると、リアルサバイバルゲームみたい

世界の心地は 地獄とおなじかもしれない。

 

個人や集団意識の葛藤の投影は

それを向けられるひとやものや社会に

命に関わるほどのダメージを与える

生命という意味でも

生きるという意味でも。

 

いまアメリカで大きな問題化している殺人事件

今回の事件だけじゃない、もうずっとえんえんと

レイシズムを手放さない社会下で

差別をうけるひとたちが

あたりまえに自分のままに生きる自由と権利を

その自分を生きるための無二の命を、奪われている。

 

日本では、難民認定されずに入管に閉じ込められ続けるひとへ

人権を無視し行われる、心身を破壊するほどの暴力

沖縄に暮らすひとたちと、自分のいる場所

認識の切り離しによる、無関心、責任の押し付け

入管、沖縄、どちらでも

不条理に、無念にも、亡くなられたかたたちがいる

 

この数日を見れば、

政治権力や虚偽や差別と対峙し戦う
発信力あるひとのアカウントが次々に凍結される

ツイッタージャパンの理由なき言論の弾圧も

その恐ろしさものすごく

ファシズムはそのひとの存在をないものにしてしまう

 

政治を見れば、

政府、首長の発信、目を覆うばかり

 

ひとがひとであれるのは

理性と自制心が備わっているからで

わたしはそこに良識、良心のふたつもあわせ

ひとにはその四つがあたりまえにあるのだと

小さいときからあたりまえにそう思って生きてきたけど

小泉竹中が政権をにぎってからは特に

そのあたりまえの四つを、

政治を行うひと、社会に見出すことが、年々に困難に

個々の葛藤や欲望のストッパーがふっとんでしまった

いまというときは、もうほんとう末期でしかない

 

じぶんの日々の内でも

みんななくらい、傷ついているひとがいっぱい

他者の腕でリストカットするような

理不尽な葛藤の投影に

胸をカッとなんども受けて、深い傷が重なって

昨日もセッション、看護師さん

涙止まらなく流されていた。

 

なんでこんなことにと

セッションでも

つながりあるひとの話しからも

またツイッターのタイムラインでも

流れてくるニュースからも

葛藤を解消するための暴力が

連日、日々に、見えきらないほど

そして見えなくてもたくさんのひと

傷つき心身、目を胸を、

ぎしっと深く、痛めてる

 

悲しいし、ほんとうに恐ろしいことだけど

もうくるところまできて、

これからゆくところへと向かうこの過渡期

特に大阪、東京にいるひと

自分を守る、ありかたを。

 

葛藤の瞬間的な解消法はいくつもあって

例えば他者を支配することであったり

相手から恐れや悲しみ苦しみをひきだすことで

自分にパワーを感じたり

苦しみいらだちのはけぐちにしたり

自分を生きている人や、自分を生きれていないひとを

自分のドラマにまきこもうとしてきたり

そのひとの時間やエネルギーや感情、想いを

ただむさぼるためだけであったり

 

そうしてその理不尽な、悪意ある攻撃を

となりや背後、離れた所、真正面から

突然にぶつけられても

急所を突いてこられたり

なにかをおとりやおどしにされたり

こちらに理由があるように感じさせ

そこでうまれる罪悪感につけこんで

操作しようとしてきても

 

そのひとが自分に向けてくるそのひとの問題に

自分の世界が飲み込まれてしまわないように

自分自身には関係のないそのひとのドラマであり幻想の現実が

自分の現実になってしまわないように

そのひとの問題で、自分の心や身体が決して傷を負わないように

 

大事になるのは、それを個人的に受け取らない客観性と

予測期待投影判断思考感情を一寸意識の目に持ち込まない

ニュートラルで透明クリアな、明晰な視点からの見極め

そのために必要なのは

胸から上下へ垂直にのびる 見えない軸の確立と

そして水平、胸をひらいた、太陽の塔のイメージ

そして、自身への信頼。

 

自分に留まり続け、起こるあらゆる

向けられるひとつひとつを

意識の目で多角的に そして深層的に見ていって

ゆきつくところ、その理解と認識、そのうえで

そこにある自分の答え

hopeじゃなく タマシイのwant

それに沿って、今をある。

それは、迷いのない状態。

その限り、自分に、今に、い続ける。

 

必要な場合には、自分の世界を守る表明として

「ノー」を言うこと。

呪いを許可しない。そのひとのドラマに参加しない。

 

向けられるもの、どれだけ闇めき深くても

自分の現実、自分の世界

自分の時間枠、自分の意識場は

自分の意識で守ることができる。

 

外からの投影が水彩なら、自分の意識は油彩

勝手に何かをどばしゃと描いてきても

自分の絵がしっかりしてれば弾いて残らず

ちょっと色味がついたとしても、水で洗い流せばいい。

 

他者に自分の筆をうばわれることなし

自分が描きたい、自分の絵を

 

レールもルールもなくなったいま

すべて今次第のまっさら透明な用紙のひろがり

下絵となる明確なビジョンなくても

胸の答えと思考と行動

瞬間毎に則していれば

ちゃんとじぶんが描きたかった絵

みたかった絵を

自然に描きすすめるように

生きることができるときに入ってる。

 

記憶から継続するレール、伴うルール

まだはっきりは思えなくても

もうしょうみ、なくなっている。

自分の決意、決心が、道をつくり

常に今。今しかない。

 

いよいよの魔法のとき

磨き続けてきた腕(意識)をのびやかにふるい

新しい世界、みんなで描き、喜びあいたく

 

おかしな邪魔あれば、それは投影による幻想

そのつど受け取ることなし水か風に流しつつ

何に自分の意識、エネルギーをむけるかを

ほんとうに大切に、鬼意識的に

 

最後、外から向けられる呪い

影響なくあるありかたを書いている本

お知らせします。

 

現在翻訳版は7巻まで出ている

アナスタシア』シリーズ

作者はウラージミル・メグレさん。

 

アナスタシア ウラジーミル・メグレ

 

もしも6巻お手元にあるかたは

ぜひいまいちど、読み返されてみられては。

いま起こっていること

改めて意識的に確認ができ

7巻でも書かれている意識について

創造の要でありすべてである意識

そのスピードを制限させるもろもろが

読み進めるうちとっぱらわれてゆく

全巻すばらしいけれど、

特にこのいまのとき

『アナスタシアの』6巻と7巻

とてもとても、おすすめです。

 

長くなりました。

できた傷、皮膚にもどるよう

じぶんを大事に、しっかりといたわって。

 

時はまさに世紀末。

ケンシロウの無敵さで

タフボーイに、いまのときを。

 

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










セッションの体験談

大阪在住・mikaさん

 

†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*

 

先日は誕生日にセッションしていただき

ありがとうございました。

誕生日にと美味しい焼菓子もいただき、

とても嬉しかったです。ありがとうございます。

 

今回のチャクラリーディングは

私にとって以外すぎる内容でしたが、

なぜかとてもチャクラを見て戴きたかったので、

先に見て戴いてよかったです。

あれから、呼吸がとてもしやすくなったし、

数日たった今も急な息苦しさは全くなくなりました!

それ以外の気になる体調も改善しています。

チャクラやオーラの状態がこんなにも体調に影響する

のかと実感しています。

 

リーディングで出てきた、引いてしまう傾向や

良いところだけを見ようとする所、

自分の思うように見たい所など、

後から考えると思いあたることばかりでした。

思ったことをはっきり言わなかったり、

人前に出ることを苦手に感じたりすることもそれらの

傾向の表れの一つなのかもしれないと後で感じました。

 

また、すべて分かってしまうと

変える余地がなくなるから逃げたい、

習慣としてやる楽さ、すべて繋がりあって、

それらもすべて自分がしたくてやってることと

気づかせてもらえたことはとても大きかったです。

 

今は頭で考えたことすべて傍に置いて、

すべてが分かる状態となるよう

習慣の手放しに取り組もうと思います。

 

お土産でいただいたビッグイシューの

デヴィッドリンチのインタビュー記事も

自分に必要なメッセージがたくさんありましたし、

表紙に書かれた特集のタイトルといい、

模様も私と繋がりある号のように思いました。

じっくりと読ませて頂いています。

 

チャクラの本もしっかり読んで、

今度はワークをお願いしたいと思います。

そのときはまたよろしくお願いします。

 

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mika様

 

体験談のご投稿をありがとうございます。

 

オーラもチャクラもエネルギー

意識が変わればエネルギーも変化して

そのエネルギーの状態が

自分の肉体や現実に反映される。

(意識が豆、エネルギーが水、現実が珈琲

 

現実(珈琲)が先なのでなく、

常に先に意識(豆)があり

意識とその結果である現実はみっちりとイコールに

100パーセントの連動性をもっています。

 

自分はどこから何を見て、

いま何を決めているのか

 

それがすべての起点となり結果になり

その起点となる意識は自分にしか決めれなく

それは自分が決めたいように決められる

ただただぜんぶ、自分しだい。

 

その自分しだいさは、

その選択や行動に、意識的、自覚的であればあるほど

あとの結果や責任を外に置けなくなることなど

らくじゃない、独特のきびしさ、面倒くささありますが

 

自分が自分のほんとうを自由に選び生きる自由

その自由から、自分のゆく道を創造展開してゆくよろこび

それは、魂(いちばんのほんとう)が

スピリット(進化する身体意識)とコラボして

肉体を通しこの次元を生きることの醍醐味であり

 

個々、そして全体が

新たな在りかた、新たな生きかたへと向かう

大きな切り替わりの過渡期にいるいま

 

意識と、その反映である現実は

これまで以上にはっきり如実にひとつになって

じぶんの目の前、自分自身に。

 

ちょっとの制限も意識に課すことしなければ

真の自由からいちばんの本当を生きられるから

ぱーんと自由に、のびやかに、軽やかに

新たな始まりへと向かう、いまこのときを。

 

あとにワークショップご受講いただき

またビッグイシューのご感想もありがたく

いただいたお言葉、温かなお気持ち

mikaさん、ありがとうございます。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










4月 こころはいのち

モクセイ しばらくは持ち帰りのみで営業をされています(月曜お休み)

 

 

4月、なにも言葉にできなかった。

 

同じように共有していた日常というあたりまえが

ステイホームで個別にばらけ

ひとりひとりの現実はその場にしかなく

その共有は、想像でしかできなくて

 

みんながそれぞれの思いでいるとき

自分が見ているもの感じていること

言葉にするのがどうにもはばかられた。

 

自分の見ているもの

それはいるのかいないのかわからない幽霊みたい

それでも迫られるみたいにただただ見つづけ

それだけでどんどん時間、いち日は過ぎ

 

いろいろができると思った4月

本の一冊も開けないで、映画も一本も観れないまま

いったいなんなのか、なにをしていたのか

気づけば5月、ものすごい4月だった。

 

セッションの予約は半分に減ったけど

長くのおつきあいのかた、

どうされてるか気になっていたかた

ご紹介からいただいた、ご縁のつながり、

お声をかけてくださるかたのおかげ

心配になることなく、こうして日々をゆけています

ほんとうに、このようなときのなかも

わたしを思い出してくださり、

お話のご機会頂き、

ほんとうに、ありがとうございます。

 

4月に入ってからのセッションは、

ウイルスに関わることはほぼ聞かれなく

そのほとんどが、

人間関係、特に恋についての相談だった。

 

仕事や学業、伴う経済、

住居や物資、健康の不安

見えない状況のなかで困られているひとは

きっとほとんど、みんなに思う

 

けれど、こうなったとき、

ものやこと以上に大事になるのは

いちばんの大切であり、必要をわかるのは

こころのつながり、そうしてこころが動くこと。

そうでこそ、生きているをわかるし、

それが生きている、力になる。

 

少し前に、ひさしぶりのひとからメールがきて

頼りたいような想いが突然にわきあがり動揺したのも

こういうときひとりだと動きやすいと頭では思っていたのに

他者とのこころの通いあいを

こころは必要としていたからだった。

 

日本はロックダウンほどではないにしろ

この自粛と待機の要請下

こころとこころのつながりを

直接には感じづらい状況に、みんながいる

ソーシャルスペース関係なく、あらゆる場でうまれる分断

それは、大変なことに思う。

 

こころの通い合い、それが直接あるかないか

それがたとえ、ささいなものでも

それさえなかなか難しくなったとき

その大きさを、改めて、思ったりする

 

言葉を交わさなくても

一瞬の笑顔であったり、

ただそのひとが元気でいる姿を確認したりであっても

そのひとを感じて、こころが動く

 

ひととロボットとのちがいのひとつは

あたりまえだけど

ひとにはこころがあること。

そのものすごくあたりまえなことを

ほんとうに大事にしないといけない

ケアしないといけないと思う。

 

ひとりで限界まで我慢したり

頼らずひとりでどうにかしようと戦われたり

自分のことは自分でするしかないと

助けての声をぎりぎりまで飲みこんだり

 

そうなる前、日々のいまのとき

こころを感じる瞬間がなくなる前に

こころが動かなくなってしまう前に

人間にとっていのちと同じに大事なこころ

それを、ひよこを育むために環境や室温を気をつけるみたい

冷えきらないよう、心のケア、

じぶんにとっての、あたたかくなるもの、

ひと、こと、いきもの、音楽、たべもの

あと、太陽あびるのはほんとう大事(セロトニン)

こころの充足、どうか大事に、

ほんとうに、大事に。

 

これから今以上にこわいことは

「自己責任」を思考に埋め込もうとしてくる

メディアとタッグの、政治の動き

 

誰も責任をとらない社会

首相はじめ責任をとるひとがいない政府

責任の向先がないほこさきは、

それぞれ個人であり自分自身に向けられる。

もうそれは起こっているけど、

これからの流れしだいではよりいっそう

"責任をとるべきひとや組織の責任を

わたしたち個々が負うしかない"

それをそうだと思わさせる世論の操作には

気をつけないといけない。

それはちがう。なんのための国家なのか。

三権や国や自治は、なんのために存在するのか。

 

ほんとうに苦しいとき

限界になる前に

つながりあるひと、信頼あるひと

まわりにひとりもいなければ

行政であったり、頼れる政党であったり

民間のサポートシステムであったり

いまはほんとう、そういったものも

利用できるものあれば利用して

それはあたりまえの権利だから

ひとりでどうにか限界まで頑張る前

命を考えるところまでゆく前に、

ヘルプ、サポートの求めを。

 

いまこうして生きているのは

このシフトの中心にいる変容期においては

ものすごいプレミアムなチケットである命あってで

こころの交流をからだからも感じられるのは

生きているいまだけだから

 

苦しみや悲しみがどれほど巨大でも

同じくらいかそれよりもはるかな

生きていることで得られるよろこびも

生きている限り、広がっているから。

 

こころを大事に、いのちを大事に。

つながって、頼り頼られ、このときを

みんなでのりきって、生きてゆきませう。

 

連日続く緊張と、先が見えない不安のなかも

現場に出られて働かれているたくさんの方々

社会、みんなの暮らし、命を守ってくださって

深く、大変に、感謝です。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










3月 透明の鏡

                    珈琲といちごのタルト

 

命について 毎日そればかりくらいおもうのは

いまがこんなときだからもあるけど

それは、ものごころついたときからだ

 

幼稚園のころ

焦燥感にかられながら

ともだちづきあいに神経を使っては堪え

その場をなんとかしのいでいたとき

もしもじぶんがへんな衝動にかられて

ともだちを高いとこからどんと押したなら

 

そんなよからぬ想定を想像してみては

こどもである自分であっても

皆んなだれもが他者の命を奪う可能性がある

その大きな脅威に恐怖して

そしてひとの命のはかなさを、頭の中で確かめた

 

6歳のわたしはソファーのうえで

そもそもじぶんはなんで生きているのかを

ほんとうほんきで考えつづけ

なんでなのか、ひとまずじぶんの足のゆびをかじってみたり

 

8歳のとき、昭和天皇の容態の悪化と崩御

その間の大音量な報道の飛び交いあいに

個々の命の価値、重み、その平等性において

ものすごい疑問と謎がうまれ

誰にじゃなく、おかしな怒りを感じてた

 

そんなふう、子供時からいつもあたまに

命というのがのしかかり

ウオンウオンと巡っていたのは

死への脅威、恐れというのが

つねにそば、じぶんの中に、横たわっていたから。

 

その恐れというのは、

父がいなくなってしまうこと

 

子供のころはその恐怖もまったく無意識だったけど

(でも実際、休日に父が母と車で外に出かけるだけで

無事に帰ってくるのを毎回真剣に祈り疲れること多々)

 

いまみたい、自分から情報をとるようになった20代からは

その父との別れ、父の死への恐怖、自覚的だった。

 

だけど現実そのころは

父は健康以上にパワフルにアクティブでエネルギッシュで

そんな、命に関わるなにかが起こる可能性は

目の前の父からはみじんも感じられなくて

 

とにかくわたしはその理由のない巨大な恐れを

とにかく自分のなかからとっぱらおうと

そっちのほうへの取り組みに、必死になった。

 

必死のとりくみと、実際現実父はほんとう

いろいろオーバーワークで疲れていても

それでも元気で、健康パワフルで

横たわる恐れ、だいぶん完全にではなくても

だいぶ薄くまでにきかけたころ

その年はっきり見た夢そのままに

父は、サンさんと同じ日に、体を離れた。

 

その日から、わたしの人生というものは

過去にはない別なる未知のものになった。

 

内のどこかに常にある不安と恐怖

そうならないことを祈る想いにかられつづける

胸にしみこむ理由の見えない痺れのようなのを

感じる必要がなくなったとき

それだけが唯一、まったく別の人生をゆくうえで

唯一の安堵となり

えんえんあった恐れは、そのとき消えてなくなった。

 

もうすこししたら、あの日から4年

ふだんは一年に一度帰るか帰らないかでいたのに

なぜかその年だけは頻繁に帰省をし

夏の暑い日、その直前となる桜の季節も

あいだをあけず二度ほど帰省し

そのときにみた桜の美しさは

今となると地獄的なくらい

311後のどの春もそうだったけど

よりじっと、まがたまみたい

美しさは悲しみを携えて

今年も花咲く桜に、目がしみる。

 

それでも、桜の音だけは

変わらずにまっすぐ

さらさらきらめく桜吹雪みたい

いつの年も水色にこまくに響く。

 

そうして、ウイルスの蔓延

日本は実際が見えてこないけれど

世界各国、亡くなられるかた日に日に増え

収束を思える余地のない状況が続いている

 

もしもいま父が生きていたら

父は医療に従事していたこともあり

もうきっと、私は気が気ではなかっただろう

 

だから、いま父がここにいないことを

生きてきて初めて、ほっとしてる

ものすごくおかしいし、こんななかでも

生きていてくれるなら、ただただ、生きていてほしい

それはほんとう、ほんとうでも

願っても、それは現実ではないからか

とにかく、こんなとき、そのことにおいては

深く、ほっとしている

 

そんな今日、雨降るカフェで

宇宙とわたしはよぶものと

いまとこれからの命における

こころもちへの話をしてたら

 

彼らの視点から、地球にある命をみて

その視点からしてみれば

ほんとうに、いま、生きているか、体がないかは

まったく関係がないのだと

それは人間も、動物も、植物も

あらゆる生命においておなじ

 

たしかにほんとう、父はそうだし

からだの次元では会えなくなった、祖父母、智子さん

ララ、サンさん、枯らしてしまったオリーブの木

生きていてももう二度と会うことのないひともいて

そうして目の前、生きているひと、大切なひとたち

みんな、からだをふくまないでみれば

みんな、意識なんだと、ただそれだけだと

今日あらためて、彼らの視点、命への認識に

はっとなって、ほんまやとなった。

 

違うのは、からだがあるかないか、ただそのひとつ

そのひとつが、生きているときはものすごく重要で

ものすごく重大で、ものすごい奇跡だと思えても

実際のちがいは、体のあるなし、それだけで

あとはいっさい、ほんとうなにも、変わらない

 

だから、場合によっては

そのひとの意識によっては、

体から出た後も、その直前の状態を

繰り返すことを選んだり

こちらに近い次元にとどまったり

信念体系のレイヤーにとらわれたりと

 

(ここでいう意識は肉体意識=スピリット

魂=ソウル はすぐ次の転生に入るか全体(宇宙)へ還る)

 

体を出ればみんな天国らくらくのんびり自由

かならずしもそうとはいえない

あっちはあちらで無数の選択肢があり

 

すべては、いまこの瞬間の、意識

からだのあるなし関わらず

いまこの瞬間、じぶんの意識の反映を

ひとは生きる

 

そう思うと、いまこのからだを含めたリアリティも

限りなく希薄で流動的であり

それでも80億のひとたちと、物質的現実を共有し

それぞれの意識の反映を

共振増幅させながら生きるいまこのときというのは

やっぱり激しく、果てしなく

貴重でかけがえのないもので

 

そこには、体の制限がない状態以上ともいえる

無限の可能性が

この地上から宇宙へと

360度に開きひろがり 満ちている。

 

だからやっぱり、このからだあるとき

いまというとき、この瞬間を

意識的に生きていたいと

意識的に生き、この自分を最大に尽くしたいと

自分が自分を生ききることで

未来へつなぐなにかよきもの

地球に刻み残せるよう

いまをあろうと

宇宙と話して

自分の内を、確認する。

 

からだがあってもなくても

意識はつねに目覚め 生き続ける

 

なにをみるか、どこをみるか

どう生きるか、

どう生きたいか

 

つねに、どのときも、その連続

 

その選択先が、じぶんの魂

いちばんのほんとうであるかぎり

道はある。続き続ける。

 

 

はなしが少しそれました。

 

その、えんえん長らくあった、

自分よりも大切なひとの死の恐怖

それをつきつけられているときは

いまだからわかるけど

その恐怖は、

ほんとうにじぶんを完全に生きること

それにおいて、ブレーキになる。

ただあるままじゃなくしてしまう。

 

失うことへの恐怖から、

じぶんの愛を認めないよう

相手への愛をひっこめたり

愛を受け取ることを拒否したり

 

そんな無意識からの防衛反応も

ただあるままのほんとうを、制限させる

 

そして、その恐怖は

セットであるものをもたらしてくれる

 

それは、安心感

 

じぶんよりも大切な人の存在は

そのひとを失うことへの恐怖は

その恐怖が大きいほど、

見えない質量と重みをもって

じぶんの胸にのしかかり

じぶんがいまここにいるのを

アンカーしてくれる。

 

そのひとの存在の重み

その重みあるひとを失うことへの恐怖

それがじぶんの存在を認識させ

じぶんが生きている意味を感じさせる

 

それは、じぶんはよくても

それは、勝手なるおしつけ

そのひとへの心配、恐れがベースにある限り

それがどれだけ愛ゆえの表現であったとしても

それはあるままじゃない重量を持ち

そのひとにじぶんの不安の投影と

そしてじぶんの人生を

ぎゅっと背負わさせることになる

 

じぶんの人生を

そのひとの責任に、かえてしまう

 

他者への責任、社会への責任

未来、こどもたちへの責任

 

その責任感、なくてはならないものに思うも

それは、制限

外への責任は、義務になる

義務は、本当にしたいこととは違う。

 

誰か、なにかのためじゃない

まずいちばん、なによりもいまこのときに

じぶん自身がどうしたいかを

視線の先を、外じゃなく、自分にみて

そこにあるものをただそのまま生きるとき

 

自分自身の内にある、真の望み

魂のwantを生きるとき

 

のしかかる社会の呪い、制限からひとは自由に

そして、その責任すべて、

外じゃなく、自分になる。

 

いちばんのほんとうを生きる、

その責任は、義務とちがう。

その責任は、自分を生きる、意欲になる。

それは、したいことだから。

 

はてしない物語 アトレイユが旅をするのは

責任でも義務からでもない、じぶんの求め。

だから、ファンタージェンを救い

生命の泉をしるものとなった。

 

 

じぶんを生かしてくれるもの

そのひとを失うことへの恐れ心配を

じぶんのなかに持つ必要がなくなったとき

 

残されたじぶんを、誰かに意味をおかないで

生きるしか、なくなったとき

 

そうじゃないと見えてこないものがあるのだと

それは、孤独とはちがうけど

「ひとりである」 その感覚

 

すべて、じぶんしだい

じぶんがどう生きたいか

どう生きるか

 

そのとき発する自分の音

 

その音が、じぶんの魂とイコールのとき

それは全体へとゆきわたり

個であり全体、境界のないつながりのなかで

その音は、自分が自分であることの

最大の表明になり、全体の、資源となる。

 

その、じぶんの音。

 

なんでこんな話にむすびつくのかだけど

わたしは思う、かんじるのは

いま広がる、ウイルスとされるもの

それは、よく画像で表される赤い粒子の点というより

もう空気全体、それか水槽のなかにいるとすれば

水全体の細かい気泡みたい

そこに境界はなく、ただ、別次元にあるものとして

このウイルスを、認識したとき

 

いまこのときに、自分の発する音、振動は

マスク、また自己免疫力をあげるのと同じ、かそれ以上の

予防策になるのではないかと、思っています。

 

というのは、このウイルスとよばれるもの

変異やタイプ、いろいろあるといわれているけど

彼らのなかに、固有の知性というのが存在しない

かんぜん透明の鏡みたいに

ただあるのは特有の周波数、振動であり

その振動は波紋みたいその都度変化しとらえられなく

(湖の湖面とおなじ、風や雨に魚、外に依る)

そして彼らというのは、変容の波、そのものともいえる

 

ミッドポイントをこえたいま届き注ぐ変容の波

その性質の最大は

すべてをおしあげ、あらわにする

隠せない、あるまま、そのままを表出させる

そんな作用をもっているのだけど

 

この波の作用まっただなかにいるいま

これまで通りの継続は、もうどうにもむずかしく

このウイルスとよばれるものも

でどころは何らかの意図、計画をもっていたとしても

その彼らの意図をこえたところでの働きに

ウイルスというより、つながりあう全体すべてが

シフトしてると、感じています。

 

それは、試されているというより

ただひたすら、みられてる。

それがそのまま、超絶なる細やかさで

ダビンチの人体解剖図のように

現実にあらわされ、かたちになる。

それか、虫眼鏡。

焦点の先、ぼっと火がつくみたいに。

 

 

長々、はなしがあちこちに

 

いつものことながら

まとまらないで書き連ねる日記

読みにくくてごめんなさい

 

あちこちを、まとめると

 

コロナ禍放射状に広がるいま

どうしたって、不安や心配、悲しみを

感じないではいられないときに入るけど

 

大事なひと、つながるひと、まわりのひとたち

国をこえた、みんなとこのときを乗り切るためにも

いま、この瞬間、じぶんの意識がどうあるか

じぶんはいま、なにをみて、それのどこをみているか

(視点の先は他者、外なのか、自分のエゴか、魂か)

そしてその起点となる意識は

いまなにを、決めているのか。

そこを、まず、まずいちばんに確かめて

 

そのうえで

 

不安、恐れ、そしてこれから起こりうる

苦しみと爆発する怒り、悲しみの感情の波、のまれることなく

じぶんを、じぶんのほんとうを、生きるほう

胸のこたえと眉間のあいだを一致させ

そこでのビジョン、そのためのいま必要に、

じぶんの意識とエネルギー、そして行動を

目の前のいまに注いで、いまをゆくとき

 

これからの、底が抜けて流れ落ちてく流れのなかも

じぶんが決めている道を

同じ方むかうひとたちと、つながりあって

一歩一歩、雪道をゆくように

歩きつづけて、そのさきにある仕事

再構築、

できれば、道ゆくみんなで、あらゆる罠を蹴散らせたなら

そこからの、真構築、

取り組むときがくるように、感じています。

 

 

ひとは、ほんとうには、死ぬことはない

からだがあるか ないかだけ

 

死んでいるように生きるひともいれば

生きていなくてもいきいきしているひともいる

状況でも、状態でもなく

そのひとが何をきめているかだけ

きめていることをひとは生きる

 

変容どまんなか、この稲村ジェーンの大波も

じぶんがいちばん行きたい方

その一縷の光の筋の先を 一点集中がっとみて

台風がくるなら海やろうと、マインドセットとっぱらい

この見えない波をあとおしに、

それがまさかの山でもそっちへ向かって

サーフボードはそらにのぼり

そしたらなにか現れるかもの可能性もあるかもで

いまこのさきの数ヶ月、自分に留まり

のりきりませう。

 

追伸  もちろん重要な免疫力、マイクロバイオーム

腸内フローラのポイントは、なにを食べるか以上に

何を食べないかが大きく、魂の声とともに

胃と腸の(菌たちの)声も、おなじに大事に。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










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