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6月 青き衣をまといて

モクセイ 雀

  すずめたちのぎらぎらした視線が注ぐ。 (モクセイ)

 

最後の揉み洗いのような洗濯は
のこるすべてを浮かびあがらし
すすぎとしぼりの終わる洗い上がり
過去からのびるレールが消える
 
そうして望む 雨上がり雲のない
薄青い空の広がりに
はじめて 息を吸うような
誕生、始まりのここちが
やはり薄青い空みたい
やわらかに胸にひろがる
ただただある
粒子の明滅
独特の さっぱり感
 
つけもの石のようにのしかかる
見えない憑きものがとれたあとの
このなんともいえない軽やかさ
ほんらいは誕生時ナチュラルも
社会の呪いが細胞にまで浸透するような
分離・セパレートの時代にいては
その軽さ あたりまえでなく感じてしまう
 
そのかたちなくも重みをもって存在する
つけもの石は、呪い
 
ぎゅうぎゅうに上から個を押し込めて
餅をひらたくならし重箱に詰めるような
社会からの同調圧という呪いの押し付けは
システマティックに機能しながら
自分のほんとうを生きる情熱を閉じさせて
そのひとの意識を眠らさせるよう
丹念かつ大胆に、デザインをされている。
 
そのひとがそのひとであることの
制限 抑圧 制御に 抑制
それらは支配のためであり
そのエゴめくコントロールの表面に
パワーや絶対性をもたせた
確信的な「正しさ」を纏わすことで
本来の意図を見えづらくさせ
その一見の正しさをオブラートに
他者の意識に思考に感情、細胞までも
その支配、操作のためのプログラム
スムーズにするするとしみこませる。
 
正しさゆえに、それかただ無意識にも
その外側からの押し付けを受け入れたとき
それは強固な呪いとなって
自分の考えやありかたに
強く機能し 影響をあたえ続ける
 
海の一滴である支配者たちが
海全体と個々の水質管理のために
寝る間も無いで注ぎつづけるその呪い
水が透明にならないための尽力は
 
連鎖し循環するシステム化して
ひとからメディアから食から教育
主要なものはもちろん
あらゆる暮らしの端々から
つねに夢うつつになるように
正しさという名の催眠薬を投与して
意識の拡大 純化を抑制させる
 
その絶え間なく行われるくすりの投与
解く間なく重ねてかけ続けてくる洗脳を
なにをと無理に跳ね返さなくても
たださらさら
けさらさらと受け流すことで
 
それまで自分の思考感情に根深くしみつき
意識の表皮にまとわりついていた制限や正しさが
より濃度を増して注がれる呪いとともに
いっしょになって
どんどん洗い流されてゆくような
いったい何がおきているのか
毒をもって 毒が溶けてく
このコロナ禍の数ヶ月は
多岐にわたる意味あれど
とても不思議な浄化の期間でもありました
 
更には去年10月頃から続いたハードな迫り
(自分が決める はないちもんめ)
それでも逃げずに、
自分と対峙されてきたかた
 
雨があがり、薄青い空のひろがり
ひとまずひといきつけるときに
入られているのではないでしょうか。
 
このひといきつける場所
上下に垂直に伸びる軸と
水平360度に広がる胸の空間
串団子みたいに重なるその中心に
自身の意識を置き続けるかぎりは
 
制限のない創造へのチャレンジはもちろん
外の動きや現れが、今後さらに
暴力みを増すときにいても
いきいきじぶんの魂をいかしながら
自身や大切なひとのいのちを
スーパーマンみたい
ふわりと守ることができる
 
自分が自分であるのをわかる
その意識場の感覚と
胸からのびる十字の軸
消えたり見失ったりしないよう
常にそこに意識があるように
日々のどこかに、確認、調律のときを。
 
5月の日記は、ときはまさに世紀末
ケンシロウの歌が想いをめぐるも
6月はもう、混沌のさきへと向かう流れが始まり
北斗の拳の世紀末感からいまは
宮崎駿氏の漫画作品『風の谷のナウシカ』へ
新世紀への転換点
大海嘯が、始まったのだと思います
 
そうして夏至を境に一斉に
世界中にナウシカが、各ポイントに
金色の草原をざくざく歩く、青き衣を着たひとたちが
どこからも、誰の目にもとびこむほどに、あちこちに
 
とにかく意識の拡大の抑え込みをと(アニメ版の方)
ドロドロ不完全な巨神兵(ウイルス)をもってしてでもの
おいつめられた彼らの計画もむなしく
その意図をくるりと真顔で翻し、機会に変える
飛躍のおこり、意識のめざめ


じぶんの真実を生きる、覚悟と決心 自身、全体への信頼
もうどうにも止まらいときにいるのが
セパレートから統合への時代であるなら
 
その波に乗るほうが
やっぱりどんなにらくなのか
それをいま胸にリアルに感じているひと
またそう感じるひとたちが
これから増え続けてゆくさきに
ある未来、待つ世界
 
つづく大波をのりきったあと
世界はどんなふうに目に映るのか
それを決めるのは「今」なんだと
今の重要性を、激しく重たく思いながら
 
今を意識はりめぐらし
今をある日々
そこからわかる体験は
もう思考を交えても、しょうがないということ
 
確かなものは、いまこの瞬間の示しであり ひとつの答え
それを思考や予測で理解しようとしても
へんなねじれやブレーキになるだけで意味はなく
ただこの瞬間の直感のみに
意識と行動沿わせてゆけば
ナウシカみたい
予測もちこめなくも 道はつづく
 
意図(決めていること)= 結果(現実)
そのあいだの時間ほぼなくなり
イコールはこれまで以上にダイレクトに
うっかり無意識によからぬ予測も期待も持ち込めない
ぜんぶそれらの元となる意識が現実に現れ出てしまう
だいぶにスリリングで、そして
決めていることがいちばん決めたいことであるならば
いまというときほど、魔法を現実に生きるときはなかったと
驚きをもって感じているひと、いま、きっとたくさん
 
とにもかくにも、今、何を決めているか
みんな、用心のうえ、いちばん決めたいこと
魂の、この瞬間のほんとうを
意識に、胸に、行動に
 
そしたら、目の前どんなにカオスでときに地獄でも
そのとき胸は激しく痛み、こころ深く傷ついても
それでも顔をあげて前をみて一歩をふみだせる
 
世界に、他者に、そして自分に、あきらめないでいること
これから、ほんとうに大事
彼らはとにかく あきらめさせようとしてくる
 
対抗策は 戦うのでなく
彼らの期待と真逆のありかたを見極めて
その真逆を生きること
そうしたら、彼らはどんどん予測ができなくなったとき
手出しもしようがなくなるし
そうなると、見ているしかなくなる
そのとき見ているひとは、彼らだけじゃない
もっと全体が、地球、たくさんの意識が
その存在にフォーカスするとき
いっせいに、連鎖がおこる
 
いまそのナウシカのようなひとが
あちこちに、ポイントに
だから未来は、近い先はだいぶ大変だけれども、大丈夫。
その新時代をつくるのは、ひとであり、それは今
今を大事に、じぶんを大事に、
あと、ほんとう、菌も大事に。
 
夏は発酵し放題の季節
野菜にお塩をふってもんで瓶に詰めて置いておくだけの
野菜の乳酸発酵、おすすめです。
(例えば水キムチ、ザワークラウト)
 
これから、そしていまも
毎日が誕生の日みたい
目に映るもの触れるもの匂いに味わいそして響き
そこでしるはじめてと発見と、巻き起こる感謝
 
世界に存在をみいだすとき
世界は豊かさを増してゆく
 
存在へのリスペクトを
互い持ちあい 感じあって生きるとき
振り子時計の複雑な歯車みたい精妙に連動し
新しいときを刻みだす
 
じぶんを生きることは
全体を生かすこと、
全体を、生きることに

 
木々のネットワークを可能にする
地中の菌根菌糸みたい繋がりあって
このたいせつないまを
みんなでともに。いきたい未来に。

 

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










セッションの体験談

OAさん

 

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こんにちは。
今日はセッションありがとうございました。

初めてお話しするので緊張しておりましたが、

お話しできて良かったです!
スカイプの不具合等、まごついていて

申し訳ありませんでした・・・。

 

セッションを受けて、凄い内容だったのに

自分の中でぴんとあてはまる部分があり、
私ははたから見るとやはり結構ひどい?環境にいたのかと

改めて思い、自分頑張ってるなと思えました。笑


内容の壮大さからか、セッションを受けたあと、眠くなり、

だいぶ寝てしまいました。(内容が思い出せないのですが

夢の中では宇宙が出てきました。)

 

いいか悪いかは置いておいて、

桑原さんが最後おっしゃったように、

自分を信頼して進みたいです。


なぜそうしているのか、終わりにしないのか、

自分でもハッキリ分からない部分があったのですが
イメージとして見させて頂いて、

やはり私はどこかで信じているんだなと思いました。


今この瞬間から目を反らさず見続けている、

という意識はなかったので、新鮮な気持ちです。

今までの人間関係が、中途半端に終わってしまったという

思いがあるからかもしれません・・・。


未来に変化のイメージを見ることができたのは救いでした。
すぐに変わることは期待していないけど、

やっぱり相手にはもっと楽に生きてもらいたいと思っています。
それから、私自身の非ではなく相手の問題だと思えたことも

良かったと思います。

 

あまり無理しすぎず、新しい仕事やプライベートで

自分を楽しませながら
長い目で見てみようと思います。疲れ果てない限りですが。

 

桑原さんとのご縁に本当に感謝しております。
また機会がございましたら、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました🙂

 

†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*†*

 

OA様 体験談をありがとうございます。

 

そのひとへの信頼は理由があってで

その信頼は、自分自身に。

 

状況はふつうであったらと

何度も言葉にしてしまいましたが

それよりものOA様のありかた、視線と視点

シシガミ様がアシタカを見るみたいな

まっすぐに波のない直線のカーンと額にくる目

ものすごく、学びました。
 

そのうえで、それでもなにより、

自分を大事にとも、やはり思い

ほんとうご自分のたのしみも日々に

そこで放たれる芯からのよろこびの音もまた

そのひとの魂に確実に届き響き刻まれる振動に

 

つながりあいながら

感応しあいながら

そのひとがそのひとへ

じぶんがより

じぶんがなりうる最大のじぶんに

 

そうして互いの響き、共振、倍音となって

毎日がより美しくなるこのさきを

またなにかでお聞きすることできましたら

とてもとても 幸いです

 

こちらこそ、OA様、出会えたご縁

ほんとうに、感謝です。

来たる夏、眩しい変化の注ぎ

想っています。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










5月 TOUGH BOY

野田 モクセイ

    野田モクセイ 喫茶営業(10時半〜18時半)再開されています。

 

疲れきっていた心身が

このひと月、ひたすら歩いて、たそがれて

食べて 眠って、花をみて

日に日に元気と健康が 自分に戻ってくるのに驚きながら

その毎日は、夢みたいで

うる星やつら 映画『ビューティフルドリーマー』の

亀の世界にいるかのような(ものすごすぎる作品です!)

おかしな不思議な感覚に見舞われる 5月の日々

 

その間 今までにないくらい

日本や世界のいま、これからを

アカシックから読むというのを

いっとき毎日のように続けていました。

 

国の核となるものが

邪気めく幼児性におかされ空洞化してしまった

日本の政治、統治システムは末期的で

そんななかでも大阪は

ビシバシズムの極まりもあいまって

覆水盆に返らなくなるところまで来ていたりと

けっこうにハードボイルド

 

そのゴルゴな現れを

現実に目にするのは散歩のとき

落ちているごみにぎくっとぎょっと

こけて膝に傷を負うような感覚が

散歩のたびにいつもどこかで

 

先日は割れたすいかがとびちって

そのまわりに焼きししゃもが何匹も

ばらばらに横たわっていたのには

ぎょっと以上の衝撃をうけたけど

 

そこまでのはしょっちゅうはないにしろ

意図的か、無意識にも捨てられている

ごみの具合や落ち方が

いままでと、ちょっと違う

 

そうして日々を、周囲を見ると

ごみの落ち方以外の現実も、ちょっと違う。

 

自粛要請下の非常事態

それだからなのか、そのことでなのか

そういうときに、もうあるからなのか

 

内なる葛藤からうまれる

怒りや不安、恐れやいらだち

絶望とあきらめ

 

それら自分に苦しみを感じさせるものはすべて

胸の奥へ奥へと押し込めて

なるべくに感じないよう、みないふりをし

それでもどこかにはあるのだろう苦しみを

笑顔で繕い がまんしながら

一見問題ないように今をある

 

そこになにも問題はなく

そういうものだし、みんなそうだと

しのぎしのいでやってきたありかたが

同じようには できなくなってる。

 

今回のコロナ禍における

突然に急激な、環境の変化、状況の変化は

すべてのひとに

認識の変化、意識の変化、あり方の変化を

否応無しにつきつけてくる出来事であり

 

セパレートからユニティへの移行で

全体もう不調和なものすべては

これまでと同じに維持することが困難になる

大きな切り替わりのときにいるいま

 

届く変容の波の注ぎは

いまバラバラと大粒の雹みたい

かたちを変えてしまうほどの強さでもって

奥の方へと押し込めてきた葛藤を

問答無用に胸へ喉へと押し上げる

 

そうして上がってきた葛藤のかたまりを

もう無視はしきれないと

覚悟を決めて、それと向き合うことを選ぶか

それでも、見ないふりを続けるか

 

変化を促す圧がどれだけ強烈なものであっても

最終ひとはそのとき自分が選びたいものを

どんなときも、自分で選び

自分が決めたいことを決めて生きる。

 

自分は何を決め、どう生きるのか

その確認と表明を

いまいちど求められているともいえるのが

今起こっている出来事、体験であるならば

 

その返答として

汚れた水を未処理のまま海へ流してしまうみたい

自制する心や理性をなくして

自身の内なる葛藤を

そのまま外へと放出するのを選ぶひとが

ゾンビのように増えている

 

ただ自分がらくになりたいがために

その苦しみを、自分以外の存在にぶつける

そうしてその人の負う傷や苦しみを見ることで

そのときだけすっと、自分のなかが安定する

 

その一瞬の解放感は長くは続かないうえに

すっとしたはずの葛藤はより存在感を増して

自分自身を苦しめる

そうして自分の一部である葛藤に

自分自身がまるっと飲み込まれてしまう

それは、暴力の増加を意味する。

 

この苦しみはなんなのか

どこからきていて、そこには何があるのかを

自分の内に見、わかろうとするのなら

葛藤のかたまりは、苦しみでなく

ただあるものとして、

あとにどんなでもその取り扱いを

意識的に選ぶことができる。

 

そうした、覚悟と真摯さが必要になる

内なる葛藤との対峙ではなく

 

おさえきれない葛藤を

他者へぶつけることを選ぶなら

その一瞬のすっと感を得るために

常に意識は他者、外ばかりに向くことになる。

そうなると、リアルサバイバルゲームみたい

世界の心地は 地獄とおなじかもしれない。

 

個人や集団意識の葛藤の投影は

それを向けられるひとやものや社会に

命に関わるほどのダメージを与える

生命という意味でも

生きるという意味でも。

 

いまアメリカで大きな問題化している殺人事件

今回の事件だけじゃない、もうずっとえんえんと

レイシズムを手放さない社会下で

差別をうけるひとたちが

あたりまえに自分のままに生きる自由と権利を

その自分を生きるための無二の命を、奪われている。

 

日本では、難民認定されずに入管に閉じ込められ続けるひとへ

人権を無視し行われる、心身を破壊するほどの暴力

沖縄に暮らすひとたちと、自分のいる場所

認識の切り離しによる、無関心、責任の押し付け

入管、沖縄、どちらでも

不条理に、無念にも、亡くなられたかたたちがいる

 

この数日を見れば、

政治権力や虚偽や差別と対峙し戦う
発信力あるひとのアカウントが次々に凍結される

ツイッタージャパンの理由なき言論の弾圧も

その恐ろしさものすごく

ファシズムはそのひとの存在をないものにしてしまう

 

政治を見れば、

政府、首長の発信、目を覆うばかり

 

ひとがひとであれるのは

理性と自制心が備わっているからで

わたしはそこに良識、良心のふたつもあわせ

ひとにはその四つがあたりまえにあるのだと

小さいときからあたりまえにそう思って生きてきたけど

小泉竹中が政権をにぎってからは特に

そのあたりまえの四つを、

政治を行うひと、社会に見出すことが、年々に困難に

個々の葛藤や欲望のストッパーがふっとんでしまった

いまというときは、もうほんとう末期でしかない

 

じぶんの日々の内でも

みんななくらい、傷ついているひとがいっぱい

他者の腕でリストカットするような

理不尽な葛藤の投影に

胸をカッとなんども受けて、深い傷が重なって

昨日もセッション、看護師さん

涙止まらなく流されていた。

 

なんでこんなことにと

セッションでも

つながりあるひとの話しからも

またツイッターのタイムラインでも

流れてくるニュースからも

葛藤を解消するための暴力が

連日、日々に、見えきらないほど

そして見えなくてもたくさんのひと

傷つき心身、目を胸を、

ぎしっと深く、痛めてる

 

悲しいし、ほんとうに恐ろしいことだけど

もうくるところまできて、

これからゆくところへと向かうこの過渡期

特に大阪、東京にいるひと

自分を守る、ありかたを。

 

葛藤の瞬間的な解消法はいくつもあって

例えば他者を支配することであったり

相手から恐れや悲しみ苦しみをひきだすことで

自分にパワーを感じたり

苦しみいらだちのはけぐちにしたり

自分を生きている人や、自分を生きれていないひとを

自分のドラマにまきこもうとしてきたり

そのひとの時間やエネルギーや感情、想いを

ただむさぼるためだけであったり

 

そうしてその理不尽な、悪意ある攻撃を

となりや背後、離れた所、真正面から

突然にぶつけられても

急所を突いてこられたり

なにかをおとりやおどしにされたり

こちらに理由があるように感じさせ

そこでうまれる罪悪感につけこんで

操作しようとしてきても

 

そのひとが自分に向けてくるそのひとの問題に

自分の世界が飲み込まれてしまわないように

自分自身には関係のないそのひとのドラマであり幻想の現実が

自分の現実になってしまわないように

そのひとの問題で、自分の心や身体が決して傷を負わないように

 

大事になるのは、それを個人的に受け取らない客観性と

予測期待投影判断思考感情を一寸意識の目に持ち込まない

ニュートラルで透明クリアな、明晰な視点からの見極め

そのために必要なのは

胸から上下へ垂直にのびる 見えない軸の確立と

そして水平、胸をひらいた、太陽の塔のイメージ

そして、自身への信頼。

 

自分に留まり続け、起こるあらゆる

向けられるひとつひとつを

意識の目で多角的に そして深層的に見ていって

ゆきつくところ、その理解と認識、そのうえで

そこにある自分の答え

hopeじゃなく タマシイのwant

それに沿って、今をある。

それは、迷いのない状態。

その限り、自分に、今に、い続ける。

 

必要な場合には、自分の世界を守る表明として

「ノー」を言うこと。

呪いを許可しない。そのひとのドラマに参加しない。

 

向けられるもの、どれだけ闇めき深くても

自分の現実、自分の世界

自分の時間枠、自分の意識場は

自分の意識で守ることができる。

 

外からの投影が水彩なら、自分の意識は油彩

勝手に何かをどばしゃと描いてきても

自分の絵がしっかりしてれば弾いて残らず

ちょっと色味がついたとしても、水で洗い流せばいい。

 

他者に自分の筆をうばわれることなし

自分が描きたい、自分の絵を

 

レールもルールもなくなったいま

すべて今次第のまっさら透明な用紙のひろがり

下絵となる明確なビジョンなくても

胸の答えと思考と行動

瞬間毎に則していれば

ちゃんとじぶんが描きたかった絵

みたかった絵を

自然に描きすすめるように

生きることができるときに入ってる。

 

記憶から継続するレール、伴うルール

まだはっきりは思えなくても

もうしょうみ、なくなっている。

自分の決意、決心が、道をつくり

常に今。今しかない。

 

いよいよの魔法のとき

磨き続けてきた腕(意識)をのびやかにふるい

新しい世界、みんなで描き、喜びあいたく

 

おかしな邪魔あれば、それは投影による幻想

そのつど受け取ることなし水か風に流しつつ

何に自分の意識、エネルギーをむけるかを

ほんとうに大切に、鬼意識的に

 

最後、外から向けられる呪い

影響なくあるありかたを書いている本

お知らせします。

 

現在翻訳版は7巻まで出ている

アナスタシア』シリーズ

作者はウラージミル・メグレさん。

 

アナスタシア ウラジーミル・メグレ

 

もしも6巻お手元にあるかたは

ぜひいまいちど、読み返されてみられては。

いま起こっていること

改めて意識的に確認ができ

7巻でも書かれている意識について

創造の要でありすべてである意識

そのスピードを制限させるもろもろが

読み進めるうちとっぱらわれてゆく

全巻すばらしいけれど、

特にこのいまのとき

『アナスタシアの』6巻と7巻

とてもとても、おすすめです。

 

長くなりました。

できた傷、皮膚にもどるよう

じぶんを大事に、しっかりといたわって。

 

時はまさに世紀末。

ケンシロウの無敵さで

タフボーイに、いまのときを。

 

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










体験談募集のお知らせ

 

体験談のご投稿をお待ちしています。

 

セッション、ワークショップのご感想

またその後の変化や、どんなことでも

ぜひお気軽に、体験談をお寄せください。


ご投稿頂いたお礼といたしまして

次回対面セッションをご予約頂きましたとき

にじのわお勧めのお菓子や食材

(楽天堂さんの豆、オドナマルシェの野菜

モクセイ、雨音珈琲のケーキやクッキーなど)

当日にお持ちいたします。

[ ご応募方法 ]

ご予約・お問い合わせ のフォーム内

お問い合わせの内容から

体験談の投稿を選択いただき

メッセージ欄

○ペンネーム

○ご感想や体験談
をご記載の上、送信ください。
後日こちらにじのわの日記に
ペンネームにて掲載をさせて頂きます

 

またセッション後、メールでいただく

その後のご報告や感想のお便り

もうずっと、個別のお返事できないままでおりますが

ほんとう嬉しく、ありがたく

心にかみしめ

読まさせていただいています。

 

浮かぶ想いをそのまま言葉にしきらないことが

お返事のできない理由のいちばんで

胸にごっとある想いの塊

テレパシーに代えさせて頂いておりますこと

大変に申し訳なくも

ふっとつながるときあればありがたく

つながらなくても、どんなときも、

元気に、ご健康で、どうか笑顔に、

そのかたの存在、ひかり

いつも胸に、想っています。

 

体験談のご投稿、メールでのメッセージ

大きな力と励ましを頂いております

自分はお返事できないでいて恐縮ですが

またよろしかったら、ぜひお気軽に

体験談のご投稿、にじのわのフォームまで

お送りをいただけましたら幸いです。

 

想いと言葉

いつも、ほんとうに、感謝です。

ありがとうございます。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










セッションの体験談

大阪在住・mikaさん

 

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先日は誕生日にセッションしていただき

ありがとうございました。

誕生日にと美味しい焼菓子もいただき、

とても嬉しかったです。ありがとうございます。

 

今回のチャクラリーディングは

私にとって以外すぎる内容でしたが、

なぜかとてもチャクラを見て戴きたかったので、

先に見て戴いてよかったです。

あれから、呼吸がとてもしやすくなったし、

数日たった今も急な息苦しさは全くなくなりました!

それ以外の気になる体調も改善しています。

チャクラやオーラの状態がこんなにも体調に影響する

のかと実感しています。

 

リーディングで出てきた、引いてしまう傾向や

良いところだけを見ようとする所、

自分の思うように見たい所など、

後から考えると思いあたることばかりでした。

思ったことをはっきり言わなかったり、

人前に出ることを苦手に感じたりすることもそれらの

傾向の表れの一つなのかもしれないと後で感じました。

 

また、すべて分かってしまうと

変える余地がなくなるから逃げたい、

習慣としてやる楽さ、すべて繋がりあって、

それらもすべて自分がしたくてやってることと

気づかせてもらえたことはとても大きかったです。

 

今は頭で考えたことすべて傍に置いて、

すべてが分かる状態となるよう

習慣の手放しに取り組もうと思います。

 

お土産でいただいたビッグイシューの

デヴィッドリンチのインタビュー記事も

自分に必要なメッセージがたくさんありましたし、

表紙に書かれた特集のタイトルといい、

模様も私と繋がりある号のように思いました。

じっくりと読ませて頂いています。

 

チャクラの本もしっかり読んで、

今度はワークをお願いしたいと思います。

そのときはまたよろしくお願いします。

 

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mika様

 

体験談のご投稿をありがとうございます。

 

オーラもチャクラもエネルギー

意識が変わればエネルギーも変化して

そのエネルギーの状態が

自分の肉体や現実に反映される。

(意識が豆、エネルギーが水、現実が珈琲

 

現実(珈琲)が先なのでなく、

常に先に意識(豆)があり

意識とその結果である現実はみっちりとイコールに

100パーセントの連動性をもっています。

 

自分はどこから何を見て、

いま何を決めているのか

 

それがすべての起点となり結果になり

その起点となる意識は自分にしか決めれなく

それは自分が決めたいように決められる

ただただぜんぶ、自分しだい。

 

その自分しだいさは、

その選択や行動に、意識的、自覚的であればあるほど

あとの結果や責任を外に置けなくなることなど

らくじゃない、独特のきびしさ、面倒くささありますが

 

自分が自分のほんとうを自由に選び生きる自由

その自由から、自分のゆく道を創造展開してゆくよろこび

それは、魂(いちばんのほんとう)が

スピリット(進化する身体意識)とコラボして

肉体を通しこの次元を生きることの醍醐味であり

 

個々、そして全体が

新たな在りかた、新たな生きかたへと向かう

大きな切り替わりの過渡期にいるいま

 

意識と、その反映である現実は

これまで以上にはっきり如実にひとつになって

じぶんの目の前、自分自身に。

 

ちょっとの制限も意識に課すことしなければ

真の自由からいちばんの本当を生きられるから

ぱーんと自由に、のびやかに、軽やかに

新たな始まりへと向かう、いまこのときを。

 

あとにワークショップご受講いただき

またビッグイシューのご感想もありがたく

いただいたお言葉、温かなお気持ち

mikaさん、ありがとうございます。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










4月 こころはいのち

モクセイ しばらくは持ち帰りのみで営業をされています(月曜お休み)

 

 

4月、なにも言葉にできなかった。

 

同じように共有していた日常というあたりまえが

ステイホームで個別にばらけ

ひとりひとりの現実はその場にしかなく

その共有は、想像でしかできなくて

 

みんながそれぞれの思いでいるとき

自分が見ているもの感じていること

言葉にするのがどうにもはばかられた。

 

自分の見ているもの

それはいるのかいないのかわからない幽霊みたい

それでも迫られるみたいにただただ見つづけ

それだけでどんどん時間、いち日は過ぎ

 

いろいろができると思った4月

本の一冊も開けないで、映画も一本も観れないまま

いったいなんなのか、なにをしていたのか

気づけば5月、ものすごい4月だった。

 

セッションの予約は半分に減ったけど

長くのおつきあいのかた、

どうされてるか気になっていたかた

ご紹介からいただいた、ご縁のつながり、

お声をかけてくださるかたのおかげ

心配になることなく、こうして日々をゆけています

ほんとうに、このようなときのなかも

わたしを思い出してくださり、

お話のご機会頂き、

ほんとうに、ありがとうございます。

 

4月に入ってからのセッションは、

ウイルスに関わることはほぼ聞かれなく

そのほとんどが、

人間関係、特に恋についての相談だった。

 

仕事や学業、伴う経済、

住居や物資、健康の不安

見えない状況のなかで困られているひとは

きっとほとんど、みんなに思う

 

けれど、こうなったとき、

ものやこと以上に大事になるのは

いちばんの大切であり、必要をわかるのは

こころのつながり、そうしてこころが動くこと。

そうでこそ、生きているをわかるし、

それが生きている、力になる。

 

少し前に、ひさしぶりのひとからメールがきて

頼りたいような想いが突然にわきあがり動揺したのも

こういうときひとりだと動きやすいと頭では思っていたのに

他者とのこころの通いあいを

こころは必要としていたからだった。

 

日本はロックダウンほどではないにしろ

この自粛と待機の要請下

こころとこころのつながりを

直接には感じづらい状況に、みんながいる

ソーシャルスペース関係なく、あらゆる場でうまれる分断

それは、大変なことに思う。

 

こころの通い合い、それが直接あるかないか

それがたとえ、ささいなものでも

それさえなかなか難しくなったとき

その大きさを、改めて、思ったりする

 

言葉を交わさなくても

一瞬の笑顔であったり、

ただそのひとが元気でいる姿を確認したりであっても

そのひとを感じて、こころが動く

 

ひととロボットとのちがいのひとつは

あたりまえだけど

ひとにはこころがあること。

そのものすごくあたりまえなことを

ほんとうに大事にしないといけない

ケアしないといけないと思う。

 

ひとりで限界まで我慢したり

頼らずひとりでどうにかしようと戦われたり

自分のことは自分でするしかないと

助けての声をぎりぎりまで飲みこんだり

 

そうなる前、日々のいまのとき

こころを感じる瞬間がなくなる前に

こころが動かなくなってしまう前に

人間にとっていのちと同じに大事なこころ

それを、ひよこを育むために環境や室温を気をつけるみたい

冷えきらないよう、心のケア、

じぶんにとっての、あたたかくなるもの、

ひと、こと、いきもの、音楽、たべもの

あと、太陽あびるのはほんとう大事(セロトニン)

こころの充足、どうか大事に、

ほんとうに、大事に。

 

これから今以上にこわいことは

「自己責任」を思考に埋め込もうとしてくる

メディアとタッグの、政治の動き

 

誰も責任をとらない社会

首相はじめ責任をとるひとがいない政府

責任の向先がないほこさきは、

それぞれ個人であり自分自身に向けられる。

もうそれは起こっているけど、

これからの流れしだいではよりいっそう

"責任をとるべきひとや組織の責任を

わたしたち個々が負うしかない"

それをそうだと思わさせる世論の操作には

気をつけないといけない。

それはちがう。なんのための国家なのか。

三権や国や自治は、なんのために存在するのか。

 

ほんとうに苦しいとき

限界になる前に

つながりあるひと、信頼あるひと

まわりにひとりもいなければ

行政であったり、頼れる政党であったり

民間のサポートシステムであったり

いまはほんとう、そういったものも

利用できるものあれば利用して

それはあたりまえの権利だから

ひとりでどうにか限界まで頑張る前

命を考えるところまでゆく前に、

ヘルプ、サポートの求めを。

 

いまこうして生きているのは

このシフトの中心にいる変容期においては

ものすごいプレミアムなチケットである命あってで

こころの交流をからだからも感じられるのは

生きているいまだけだから

 

苦しみや悲しみがどれほど巨大でも

同じくらいかそれよりもはるかな

生きていることで得られるよろこびも

生きている限り、広がっているから。

 

こころを大事に、いのちを大事に。

つながって、頼り頼られ、このときを

みんなでのりきって、生きてゆきませう。

 

連日続く緊張と、先が見えない不安のなかも

現場に出られて働かれているたくさんの方々

社会、みんなの暮らし、命を守ってくださって

深く、大変に、感謝です。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










3月 透明の鏡

                    珈琲といちごのタルト

 

命について 毎日そればかりくらいおもうのは

いまがこんなときだからもあるけど

それは、ものごころついたときからだ

 

幼稚園のころ

焦燥感にかられながら

ともだちづきあいに神経を使っては堪え

その場をなんとかしのいでいたとき

もしもじぶんがへんな衝動にかられて

ともだちを高いとこからどんと押したなら

 

そんなよからぬ想定を想像してみては

こどもである自分であっても

皆んなだれもが他者の命を奪う可能性がある

その大きな脅威に恐怖して

そしてひとの命のはかなさを、頭の中で確かめた

 

6歳のわたしはソファーのうえで

そもそもじぶんはなんで生きているのかを

ほんとうほんきで考えつづけ

なんでなのか、ひとまずじぶんの足のゆびをかじってみたり

 

8歳のとき、昭和天皇の容態の悪化と崩御

その間の大音量な報道の飛び交いあいに

個々の命の価値、重み、その平等性において

ものすごい疑問と謎がうまれ

誰にじゃなく、おかしな怒りを感じてた

 

そんなふう、子供時からいつもあたまに

命というのがのしかかり

ウオンウオンと巡っていたのは

死への脅威、恐れというのが

つねにそば、じぶんの中に、横たわっていたから。

 

その恐れというのは、

父がいなくなってしまうこと

 

子供のころはその恐怖もまったく無意識だったけど

(でも実際、休日に父が母と車で外に出かけるだけで

無事に帰ってくるのを毎回真剣に祈り疲れること多々)

 

いまみたい、自分から情報をとるようになった20代からは

その父との別れ、父の死への恐怖、自覚的だった。

 

だけど現実そのころは

父は健康以上にパワフルにアクティブでエネルギッシュで

そんな、命に関わるなにかが起こる可能性は

目の前の父からはみじんも感じられなくて

 

とにかくわたしはその理由のない巨大な恐れを

とにかく自分のなかからとっぱらおうと

そっちのほうへの取り組みに、必死になった。

 

必死のとりくみと、実際現実父はほんとう

いろいろオーバーワークで疲れていても

それでも元気で、健康パワフルで

横たわる恐れ、だいぶん完全にではなくても

だいぶ薄くまでにきかけたころ

その年はっきり見た夢そのままに

父は、サンさんと同じ日に、体を離れた。

 

その日から、わたしの人生というものは

過去にはない別なる未知のものになった。

 

内のどこかに常にある不安と恐怖

そうならないことを祈る想いにかられつづける

胸にしみこむ理由の見えない痺れのようなのを

感じる必要がなくなったとき

それだけが唯一、まったく別の人生をゆくうえで

唯一の安堵となり

えんえんあった恐れは、そのとき消えてなくなった。

 

もうすこししたら、あの日から4年

ふだんは一年に一度帰るか帰らないかでいたのに

なぜかその年だけは頻繁に帰省をし

夏の暑い日、その直前となる桜の季節も

あいだをあけず二度ほど帰省し

そのときにみた桜の美しさは

今となると地獄的なくらい

311後のどの春もそうだったけど

よりじっと、まがたまみたい

美しさは悲しみを携えて

今年も花咲く桜に、目がしみる。

 

それでも、桜の音だけは

変わらずにまっすぐ

さらさらきらめく桜吹雪みたい

いつの年も水色にこまくに響く。

 

そうして、ウイルスの蔓延

日本は実際が見えてこないけれど

世界各国、亡くなられるかた日に日に増え

収束を思える余地のない状況が続いている

 

もしもいま父が生きていたら

父は医療に従事していたこともあり

もうきっと、私は気が気ではなかっただろう

 

だから、いま父がここにいないことを

生きてきて初めて、ほっとしてる

ものすごくおかしいし、こんななかでも

生きていてくれるなら、ただただ、生きていてほしい

それはほんとう、ほんとうでも

願っても、それは現実ではないからか

とにかく、こんなとき、そのことにおいては

深く、ほっとしている

 

そんな今日、雨降るカフェで

宇宙とわたしはよぶものと

いまとこれからの命における

こころもちへの話をしてたら

 

彼らの視点から、地球にある命をみて

その視点からしてみれば

ほんとうに、いま、生きているか、体がないかは

まったく関係がないのだと

それは人間も、動物も、植物も

あらゆる生命においておなじ

 

たしかにほんとう、父はそうだし

からだの次元では会えなくなった、祖父母、智子さん

ララ、サンさん、枯らしてしまったオリーブの木

生きていてももう二度と会うことのないひともいて

そうして目の前、生きているひと、大切なひとたち

みんな、からだをふくまないでみれば

みんな、意識なんだと、ただそれだけだと

今日あらためて、彼らの視点、命への認識に

はっとなって、ほんまやとなった。

 

違うのは、からだがあるかないか、ただそのひとつ

そのひとつが、生きているときはものすごく重要で

ものすごく重大で、ものすごい奇跡だと思えても

実際のちがいは、体のあるなし、それだけで

あとはいっさい、ほんとうなにも、変わらない

 

だから、場合によっては

そのひとの意識によっては、

体から出た後も、その直前の状態を

繰り返すことを選んだり

こちらに近い次元にとどまったり

信念体系のレイヤーにとらわれたりと

 

(ここでいう意識は肉体意識=スピリット

魂=ソウル はすぐ次の転生に入るか全体(宇宙)へ還る)

 

体を出ればみんな天国らくらくのんびり自由

かならずしもそうとはいえない

あっちはあちらで無数の選択肢があり

 

すべては、いまこの瞬間の、意識

からだのあるなし関わらず

いまこの瞬間、じぶんの意識の反映を

ひとは生きる

 

そう思うと、いまこのからだを含めたリアリティも

限りなく希薄で流動的であり

それでも80億のひとたちと、物質的現実を共有し

それぞれの意識の反映を

共振増幅させながら生きるいまこのときというのは

やっぱり激しく、果てしなく

貴重でかけがえのないもので

 

そこには、体の制限がない状態以上ともいえる

無限の可能性が

この地上から宇宙へと

360度に開きひろがり 満ちている。

 

だからやっぱり、このからだあるとき

いまというとき、この瞬間を

意識的に生きていたいと

意識的に生き、この自分を最大に尽くしたいと

自分が自分を生ききることで

未来へつなぐなにかよきもの

地球に刻み残せるよう

いまをあろうと

宇宙と話して

自分の内を、確認する。

 

からだがあってもなくても

意識はつねに目覚め 生き続ける

 

なにをみるか、どこをみるか

どう生きるか、

どう生きたいか

 

つねに、どのときも、その連続

 

その選択先が、じぶんの魂

いちばんのほんとうであるかぎり

道はある。続き続ける。

 

 

はなしが少しそれました。

 

その、えんえん長らくあった、

自分よりも大切なひとの死の恐怖

それをつきつけられているときは

いまだからわかるけど

その恐怖は、

ほんとうにじぶんを完全に生きること

それにおいて、ブレーキになる。

ただあるままじゃなくしてしまう。

 

失うことへの恐怖から、

じぶんの愛を認めないよう

相手への愛をひっこめたり

愛を受け取ることを拒否したり

 

そんな無意識からの防衛反応も

ただあるままのほんとうを、制限させる

 

そして、その恐怖は

セットであるものをもたらしてくれる

 

それは、安心感

 

じぶんよりも大切な人の存在は

そのひとを失うことへの恐怖は

その恐怖が大きいほど、

見えない質量と重みをもって

じぶんの胸にのしかかり

じぶんがいまここにいるのを

アンカーしてくれる。

 

そのひとの存在の重み

その重みあるひとを失うことへの恐怖

それがじぶんの存在を認識させ

じぶんが生きている意味を感じさせる

 

それは、じぶんはよくても

それは、勝手なるおしつけ

そのひとへの心配、恐れがベースにある限り

それがどれだけ愛ゆえの表現であったとしても

それはあるままじゃない重量を持ち

そのひとにじぶんの不安の投影と

そしてじぶんの人生を

ぎゅっと背負わさせることになる

 

じぶんの人生を

そのひとの責任に、かえてしまう

 

他者への責任、社会への責任

未来、こどもたちへの責任

 

その責任感、なくてはならないものに思うも

それは、制限

外への責任は、義務になる

義務は、本当にしたいこととは違う。

 

誰か、なにかのためじゃない

まずいちばん、なによりもいまこのときに

じぶん自身がどうしたいかを

視線の先を、外じゃなく、自分にみて

そこにあるものをただそのまま生きるとき

 

自分自身の内にある、真の望み

魂のwantを生きるとき

 

のしかかる社会の呪い、制限からひとは自由に

そして、その責任すべて、

外じゃなく、自分になる。

 

いちばんのほんとうを生きる、

その責任は、義務とちがう。

その責任は、自分を生きる、意欲になる。

それは、したいことだから。

 

はてしない物語 アトレイユが旅をするのは

責任でも義務からでもない、じぶんの求め。

だから、ファンタージェンを救い

生命の泉をしるものとなった。

 

 

じぶんを生かしてくれるもの

そのひとを失うことへの恐れ心配を

じぶんのなかに持つ必要がなくなったとき

 

残されたじぶんを、誰かに意味をおかないで

生きるしか、なくなったとき

 

そうじゃないと見えてこないものがあるのだと

それは、孤独とはちがうけど

「ひとりである」 その感覚

 

すべて、じぶんしだい

じぶんがどう生きたいか

どう生きるか

 

そのとき発する自分の音

 

その音が、じぶんの魂とイコールのとき

それは全体へとゆきわたり

個であり全体、境界のないつながりのなかで

その音は、自分が自分であることの

最大の表明になり、全体の、資源となる。

 

その、じぶんの音。

 

なんでこんな話にむすびつくのかだけど

わたしは思う、かんじるのは

いま広がる、ウイルスとされるもの

それは、よく画像で表される赤い粒子の点というより

もう空気全体、それか水槽のなかにいるとすれば

水全体の細かい気泡みたい

そこに境界はなく、ただ、別次元にあるものとして

このウイルスを、認識したとき

 

いまこのときに、自分の発する音、振動は

マスク、また自己免疫力をあげるのと同じ、かそれ以上の

予防策になるのではないかと、思っています。

 

というのは、このウイルスとよばれるもの

変異やタイプ、いろいろあるといわれているけど

彼らのなかに、固有の知性というのが存在しない

かんぜん透明の鏡みたいに

ただあるのは特有の周波数、振動であり

その振動は波紋みたいその都度変化しとらえられなく

(湖の湖面とおなじ、風や雨に魚、外に依る)

そして彼らというのは、変容の波、そのものともいえる

 

ミッドポイントをこえたいま届き注ぐ変容の波

その性質の最大は

すべてをおしあげ、あらわにする

隠せない、あるまま、そのままを表出させる

そんな作用をもっているのだけど

 

この波の作用まっただなかにいるいま

これまで通りの継続は、もうどうにもむずかしく

このウイルスとよばれるものも

でどころは何らかの意図、計画をもっていたとしても

その彼らの意図をこえたところでの働きに

ウイルスというより、つながりあう全体すべてが

シフトしてると、感じています。

 

それは、試されているというより

ただひたすら、みられてる。

それがそのまま、超絶なる細やかさで

ダビンチの人体解剖図のように

現実にあらわされ、かたちになる。

それか、虫眼鏡。

焦点の先、ぼっと火がつくみたいに。

 

 

長々、はなしがあちこちに

 

いつものことながら

まとまらないで書き連ねる日記

読みにくくてごめんなさい

 

あちこちを、まとめると

 

コロナ禍放射状に広がるいま

どうしたって、不安や心配、悲しみを

感じないではいられないときに入るけど

 

大事なひと、つながるひと、まわりのひとたち

国をこえた、みんなとこのときを乗り切るためにも

いま、この瞬間、じぶんの意識がどうあるか

じぶんはいま、なにをみて、それのどこをみているか

(視点の先は他者、外なのか、自分のエゴか、魂か)

そしてその起点となる意識は

いまなにを、決めているのか。

そこを、まず、まずいちばんに確かめて

 

そのうえで

 

不安、恐れ、そしてこれから起こりうる

苦しみと爆発する怒り、悲しみの感情の波、のまれることなく

じぶんを、じぶんのほんとうを、生きるほう

胸のこたえと眉間のあいだを一致させ

そこでのビジョン、そのためのいま必要に、

じぶんの意識とエネルギー、そして行動を

目の前のいまに注いで、いまをゆくとき

 

これからの、底が抜けて流れ落ちてく流れのなかも

じぶんが決めている道を

同じ方むかうひとたちと、つながりあって

一歩一歩、雪道をゆくように

歩きつづけて、そのさきにある仕事

再構築、

できれば、道ゆくみんなで、あらゆる罠を蹴散らせたなら

そこからの、真構築、

取り組むときがくるように、感じています。

 

 

ひとは、ほんとうには、死ぬことはない

からだがあるか ないかだけ

 

死んでいるように生きるひともいれば

生きていなくてもいきいきしているひともいる

状況でも、状態でもなく

そのひとが何をきめているかだけ

きめていることをひとは生きる

 

変容どまんなか、この稲村ジェーンの大波も

じぶんがいちばん行きたい方

その一縷の光の筋の先を 一点集中がっとみて

台風がくるなら海やろうと、マインドセットとっぱらい

この見えない波をあとおしに、

それがまさかの山でもそっちへ向かって

サーフボードはそらにのぼり

そしたらなにか現れるかもの可能性もあるかもで

いまこのさきの数ヶ月、自分に留まり

のりきりませう。

 

追伸  もちろん重要な免疫力、マイクロバイオーム

腸内フローラのポイントは、なにを食べるか以上に

何を食べないかが大きく、魂の声とともに

胃と腸の(菌たちの)声も、おなじに大事に。

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










2月 意識の目

            モクセイ 珈琲とほわほわチーズケーキ

思えば中学のころ、

両親の本棚にずらりとならぶ今では陰謀論と呼ばれる本を

受験勉強中にも関わらず、夢中で読み漁っていたときに

灰色のスケジュール(NWO)をざっくりと理解して

(NEW WORLD ORDER=彼らの生き残り策)

同級生のともだちを放課後集め

その存在や計画についてレクチャーを繰り広げ

結果ひたいに4の字を書かれるみたい

いじめを受けることになった。

 

ともだちみんなから気持ち悪がられても

本から得た情報はただのとんでもじゃない

自分のなかでリアルに感じられるものがあり

それからも、いま今日の日まで

そのスケジュールの進み

現実の現れと、照らし合わせて常にいた。

 

そのスケジュールは、いま今日まで

いくらかの頓挫はあれど、大筋は変わっていない。

 

けど今この時点での情勢をみると

どうしたって時代はユニティに向かうなか

このままゆけば、それは暴走列車みたい

いまさら大きな転換を自分たちに認められずに

最後彗星が燃え尽きるように突き進み

そして映画『スーパーマン』のラストみたい

永遠の監獄、ファントムゾーンへ送られると思う。

 

そこまでは、その頃の本には書いていなかったけど

いまの彼らの準備しきらないで焦りのうちになされる

映画の方の『ナウシカ』どろどろの巨神兵を出撃させるような

博打的スケジュールの遂行は、

この数年は特にそのほとんどがどこかで必ず頓挫にあい

意図通りの結果を収められないどころか

より自身のくびを閉めることへと、向かってる。

(社会、世界をマクロにみるなら

一見は、かわらずに彼らの支配、

強行に続いているように見えるけど。)

 

その灰色スケジュールの現れも

じぶんでアカシックを見るようになってからは

本や外からの情報必要としなくなり

起きていること、いまこれから起こりうること

直接に情報を読むことを続けてきた。

 

アカシックを読む人は

きっと同じ情報を得ていたから、今回のことは

驚くことじゃなく、とうとうきたかの思いにおもう。

(ここへきて改めて話題の『アキラ』や、
いつもそのまま通りに思っていた『20世紀少年』も
作者のかた、情報と繋がられて
作品を作られたのではないかと思う。)

 

いろいろが頓挫や意図通りに行ききらない中も

それでもあきらめることなく

自分たちのスケジュール、計画を

そして現状の支配体系の維持保持継続を

どうしたって守ろうとし続けいている灰色の

その本気度たるや、

ひとの命に対しては、ムスカよりも冷酷なのに

自分自身の命、生においては

誰よりもものすごい熱量と意欲と執着力で

実際みんなおかしく健康に長生きなのも

その生きることに対しての熱意、

ものすごいなと、あっぱれにも思うけど

 

そうして彼らのスケジュール、そしてゲームに

無自覚無意識にも参加させられ

コマとしての扱いをうけることにさらされる

ものすごいたくさんのひとの命

こう軽々と支配され奪われていいものなのか

戦争はじめ、あらゆるものごと、普段の日常

ひとの精神と命、生きる喜びでなくがまんと苦しみに

もう長らく続いたそんなんは、

いよいよ切り替わり始める、いよいよのときにきて

度々の頓挫あっても、いまここでぶっちぎろうと

灰色の三角頂点、なりふり構わない集中力と意欲でもって

スケジュールの中盤(計画)に突入してこようとしているとき

これを終わらせるほうも、彼らと同じかそれ以上に

強い意志と気合でもって、自分でいないと

このしかけ(ゲーム)のりきるのはだいぶんハード

自分の主権を完全に自分に取り戻す

映画『インビクタス負けざる者たち

そのときにいま、入ってる。

 

コロナの報道が活発になりだしたとき

わたしは、ひどいことにはならないと思ってた

けどまさか、日本のこれほどの対応は予測してなくて

なんでこんな事態にと、その理由をひとつひとつ

見てゆけば、ゆきついたのは、

3月11日以降からのずっと日本のひとにあるテーマに。

 

いま起こっていることは

あの日以降日本のひとが返してきた反応の結果であり

その現れは、年月を経て

あのときよりも数倍にも増幅したかたちで

いまこれからの体験として、迎えることに。

 

そのテーマが何かやそうなるに至る理由は置いといて

くるところにきたいま、大事なのは

起こることに自ら飛び込まない(参加しない)こと

起こることで生じる集合意識の反応(感情)に

飲み込まれないこと

そのために、自分をまっすぐ、保つこと。

 

先に書いた、灰色の計画、情報をアカシックから得て

生み出されたであろう作品、映画もいろいろあるけれど

その中で、そのときはまんま光の12日間だと

当時映画館で観て思った作品『ブラインドネス

地獄でしかない展開と内容、誰にも少しもお勧めでないけど

その映画からわかることは、いまこのときのすべてといえる

目を開け続けていること。もうそれだけ。

 

意識の目を開け続ける

そしたら、目の前でなにが起こっても、

困って立ち尽くすことはない

そのつどすべきことは見えるし

どこに行けばいいか、どこにいればいいかもわかる。

つながるひと、こっちだよと言える。

 

日記、さっぱり具体的でないのは

直接的な言葉にすると、

実名(公人と微妙な私人)ばしばし出てしまうから。

けど、いまなにが起こっているのかの具体的な情報

必要とされるかた、シェアしたく

また改めて、なにかのかたちを考えています。

 

自分であること、目を開け続けること

あと、体も大事。睡眠、ほんとうに大事。

そして、からだの9割、マイクロバイオーム

発酵、豊かな腸内細菌、とっても大事。

 

 

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 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










1月 切り替わり

モクセイ

  ニュートラルになれる場所 生きて行ける場所(野田 モクセイ)

 

一年の始まりのはずが、去年からのきりかわり

はっきりと感じられないまま、

やっぱり節目でありかきっとスタート感があるのは節分

大量にならぶ恵方巻きは目がしばしばになるけど

それでもたくさんのひとがいっせいに今年の夢や目標を

しんけんに目をつぶりもぐもぐお寿司をほうばり祈る時間

それが広く重なる日というのは、

ないよりもあるほうが絶対にいい。

 

その願い、祈りが、

ほんとうに、努力や何の戦略の必要なく

するすると叶う一年になれば、

その一年は全体にとっても豊かでしあわせな一年で

だからもう、バレンタインもだけど

大量消費を促すイベントに対して

疑問やしんどさをただおもうより

もうどうしたってそうである現実のなかで

そのなかのどこを見るのか、

その見方、見るさきが

意識せずとも自然に変化してるのを

最近、日々触れるものから感じてる

 

例えば五輪 反対であり中止を望む思いは変わらないけど

昨日か一昨日、ツイッターのタイムラインで

パラリンピックのポスターのデザインを手がけられた

作家さん(山口晃さん)の解説文と作品を見たときに

五輪をまるっと十把一絡げに否定するのはほんとうやめよう

批判の目をすべてに持つことに気をつけようと、つよく思った。

(復興を後回しにし膨大な予算をかけ建設された簡易な箱もの、

五輪名目で切られたたくさんの木々への悲しみと生じる恨み、

ただただマネーをすいとろうとするパソナ、、そんなで

五輪にまつわるあらゆるものをどうしてもつい否定してしまう

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い... みたいな)、気をつける。

 

 

そういう、見る先と受け取るものの変化

いちばんは、最近は政治。

国会が始まってから、野党の質疑はけっこう見るように

しているのだけど、山本太郎さんのいない国会

だいぶ変わるかもとぼんやりあった不安と悲しみの予測

それはまったくふっとぶ以上に、太郎さんと同じに

強烈なひかり、芯ある鋭さを発する議員さん

その堂々としたまっすぐ精錬な姿と発言は

変わらない希望をまだ国会にも感じられて

 

政治家なんてと、ちゃばんやんとおもうのは一瞬だけど

小川淳也さん、石垣のり子さん、山添拓さん

若手の議員のかたの、ことばもだけど、その声聞けば

ひととしての魅力、すばらしさ、

感動をおぼえるくらい眩しい。

ベテランの議員さん、また与党のなかにも、ひかりはある。

まだこの国、なんとか大丈夫と思える。

 

そう、2月2日の京都市長選(節分前日!)

立候補されている福山和人さん

府知事選のとき、京都からのろしをと願った想い

どうかこの度の市長選、ほんとうに、沖縄につづく

希望と変革、主権をみんなにとりもどすのろしを

京都から。 わたしは投票権なく無念だけど

前回投票に行かれなかったひとたちの奮起願い

そして選挙への参加を促そうと活動されてるかたみんな

深い感謝、つよく応援の想いです。

 

福山さん今日の新聞広告。 その前に他陣営から出された

信じがたい目を覆う広告から受けたげっそり、払拭される。

 

 

社会も、自分の目の前も、遠くの国も

コインの裏表、希望も絶望も、ひとしくあって

どっちがなくなることはなく

ただ、どっち側をみるかで得た認識が

世界の色合いを決めるのだろう

 

だから、性善説、性悪説、

どっちがほんとうより、きっとどっちもで

どっちの面がじぶんに出るか

それをひとはみな、自分においては

決められる

 

でも見るほうは、自分自身もふくめて

見ようとすれば、そのどっちもを

見ることができる

 

ただ、ひとじゃない意識体

ただただ真っ黒、真っ白の存在はいるとして

 

その意識体の意識や意図はキャッチしても

最終この世界をつくっているのは

からだを持って、いまを生きてる人間だから

 

自分のことは、自分で決められるように

植えつけられたり、操作されたり

貪られたり、使われたりしないように

しっかり見極め選択するちから、

自分の核に、中心に、常に保持していなくては

 

そのハンドルを持ち続けるしんどさ

手相観で漫画家の卯野たまごさんが、これもツイッターで

書かれていたみたい、

 

 

いまけっこうなしんどさを感じられているひと

多いのではないかと思うけど

このしんどさ、えんえんと続くより

いよいよきりかわるそのときの

大気圏突入中のしんどさと思われて

それでもなんとかリラックス、休息を取り入れられ

大宇宙空間突入、さらなる未知への旅のはじまり

ご無理なきよう、備えられて願います。

睡眠、とっても大事。

 

 

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 スピリチュアルリーディング にじのわ

 










12月 『花のベッドでひるねして』よしもとばなな

花のベッドでひるねして

 

今年二月にご紹介した本とならび

お会いする人つよくお勧めをしているのが

よしもとばななさん著『花のベッドでひるねして』

 

『魂の目的』が、

自分を生ききるための

その髪の毛一本の道を示す

コンパスであり地図を得られるなら

 

『花のベッドでひるねして』

そのただ一本の道を、

まっすぐに進み続けるための真髄、極意を

本の始まり近くあたりでおじいちゃん

ずばりのことばで 示してくれる。

 

私はあらゆる聖書経典読んだことはないけど

このおじいちゃんの言葉が書かれた

『花のベッドでひるねしては』

初めて読んだときから私にとって

金言以上の、これこそ聖書、

心のバイブルに近い思いになる本で

実際じぶんのタマシイの道をゆくためには

おじいちゃんが言うふたつ

 

誘われないこと

違うことをしないこと

 

それにつきるのではないかと思う。

 

キリストの教えに同じことが書かれているかは

わからないけど

髪の毛一本の細い道、

誘われないこと

違うことをしないこと

このふたつを肝に銘じ、いまを用心ぶかく

しっかり意識の目をあけて、胸で見極め

そのうえで、一歩一歩をゆくならば

そのいまも そのさきも

あるのは魔法

魂のちからから成す創造を

おじいちゃんはそれをゲームと言うみたい

いくらでも、あふれるまま、あるがままに

そこからうまれる豊かさよろこび

世界へと還元できる。美しさの循環うまれる。

 

 

でもその生き方は

ほんとうやっぱり、簡単じゃない。

 

「脇道があることを、よく見ていなくてはいけない。

目をそらしたら、甘えてしまう。

でも、脇道がどんなに汚れていて、どぶみたいで、臭くて、

でも甘くて楽で人のせいにできるかっていうのは、

いつでもじっと見てきたよ。」

 

「あんなふうに生きていけたらいいけど、

人生はもっとたいへんなものなんだから。

あんなふうに生きられるはずがない。

いつかひどいしっぺ返しがくるに違いないよ。」

 

(よしもとばなな著『花のベッドでひるねして』より)

 

 

先のことばは、主人公の幹さんが

 

「ひとつでも脇道にそれたら、落ちてしまう。

そういう道だったよ、わたしの道は。」

 

のあとに続くことばで

 

そういう生き方を選ぶじぶんを周囲はどう見ているか

それがあとのことばになるのだけど

このふたつの声はふたつとも

みんなひとりひとりのなかにある。

 

じぶんを生きようとして

でもブレーキや修正をどうしてもかけてしまう

そのとき、このふたつの声が

内(胸)と外(頭)から同時に起こり

じぶんのなかで、つなひきが始まる

そういうときにいるひと

この本をと勧めてる。

 

どっちを選ぶのもじぶん。

でも、できれば、

ちがうことをしないこと、

それは、じぶんの魂の声

いちばんのほんとうを

生きるということ。

 

 

本の中盤からは、オカルトも含まれる

魂を生きるとき、どうしてもオカルトはついてくる

 

あと、大切な人との別れ、そのあとのこと

それも、書かれてる。

 

「そう、だって悲しい一方のことなんて

あるはずがないもの。よく見れば何かが用意

されてるはずよ。」

 

(よしもとばなな著『花のベッドでひるねして』より)

 

いまは、その意味が、わかるようになった。

 

他にも、ページから金色に太く浮かび上がることば

それはものすごく立体的で、ホログラフィック。

ピラミッドからいつかみつかるディスクにも

こういうことが書かれているのではないかと思う。

そんなことばがさりげなくも散りばめられてる。

 

道のゆきかた、迷われているひと

もうぜひおじいちゃん流を

わたしはおすすめいたします

空からクイーンのTシャツを

大野舞さんの表紙絵も、細胞でクリスタルのきらめき

ぜひお手元に一冊のご本です。

 

 

『花のベッドでひるねして』 

よしもとばなな 著 幻冬社

https://www.gentosha.co.jp/

 

 

 

スピリチュアルリーディングにじのわ アカシックレコード

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