最後まであきらめない

伊藤詩織さんの手記 『Black Box』 読みました。

 

セッションで過去世を聞かれることは

ここ数年ほとんどなくなってからも

自身の思考や行動に、無意識にも

制限や収縮をあたえてつづけるもの

それが「どこからか? なんでなのか?」

というご質問を頂いたとき

その理由は今をこえた

過去世にある場合がときどきあります

それは刻まれた記憶というより

血が覚えている、に近い感じ。

 

今世に影響を与える過去世

そこで浮かびあがる体験で、多く共通する状況が

戦争(双方)、ナチス収容所での迫害(双方)

レイプ(被害者)です。

 

戦争体験がエーテルに鮮明に刻まれると

体験の記録のかたまりは一定の振動を通して

気づくことのない微細さで波紋を送り

ひとは肌や意識のどこかでその振動に触れながら

このとき目の前を生きています。

 

戦争体験は そこで肉体を離れたら終わりではない

その影響は、多い少ないはあったとしても

もしかしたら全転世に その振動はゆき渡るほど

戦争は あらゆる人間体験のうちなによりも強烈で

それは爪のあいだに裁縫の針を刺し続けるみたい

想像外のインパクトが、継続性をもちながら

その衝撃は、拡大よりも、収縮と制限

自身がうみだす可能性よりも、

受容を選び生きるありかたに

ひとの意識をむかわせます

 

戦争という過ちから学び得た認識は守るべきもので

その認識が次なる戦争へのブレーキになり

より平和への意識を際立たせているのだとしても

また、人口の増加とバランスにおいて

それがなければ、ということは、あったとしても

わたしは戦争に、「必要性」としての意味は

いっさいみないです。

戦争も、まして原爆、 ほんとうに、ほんとうに

戦争を行うことの意味は 一寸一ミリもないと思っています。

 

戦争は、ひとの肉体や精神だけじゃなく

そのひとのエーテル層に

治癒しようのない傷を刻みつけます

戦争は、宗教や国家間の戦いなんかじゃない

経済支配と一体になって行われる

究極の暴力であり

その戦争と同じくらいの衝撃で

そのひとの存在すべてを

容赦なく鎌で切りつける行為が

レイプです。

 

それが過去世のことでなく

今この自身の身に起こったことで

そこで受けた恐怖と苦痛、

くまなくわたる 痛みと嫌悪の衝撃は

その後そのひとの日々をどれだけ変えて

どれほどの影響をあたえ

そのひとが、どんな想いを

自身の内に抱えられているのか

同じに感じることはできなくても

その痛みと衝撃を慮ること

とても重要に思います

 

価値のおきかた、取り扱いかた

軸となる秩序を失いばらけてしまった

いまにあっても

ひととして本来あたりまえに備わっている

自分以外の存在を思いやるこころ

それはお金よりも経済よりも発展よりも便利よりも

なによりも大事で、それがなければな

ぜったいにそこは 失ってはいけないところで

ひとをひとと思わないありかた

猫やわんこ生き物たちは、命じゃなくものとして扱われ

土地を生かし守る木々たちは いとも簡単に切り倒される

 

こころのないものやことやひとが

あたりまえのように目の前にひろがって

それがあたりまえに許されているようでも

じぶんは、ひとでありつづける

じぶんを、めのまえのそのひとを

わかろうとする

頭じゃなく、感情でもなく、

ハートから。

とても大切に、重要に、思います。

 

手記『Black Box』を刊行された

ジャーナリストの伊藤詩織さん

読み始めてから最後のページに至るまで

どのページからも、彼女の覚悟を感じました

向けられるバッシングや

政治的な理由で受ける攻撃への不安

なにより自身の負った傷口が

おもてへと出ることでさらに痛みが深まることも

覚悟のうえで

現行の司法システム、被害者に対して不寛容な

社会のありかたを変えようと

見えない権力構造にたちむかい

これ以上、大切なひとたちや

暴行にあい傷ついているひとたちを

自分と同じような目にあわせたくはない

その一心で 自身の体験を言葉にし

訴えられている詩織さん

彼女を動かしているのは

被害にあわれたひとたちが

報われないまま 苦しみのなかにいる

出口がみつからないままの 声なき声であり

なにより、彼女がそうして立ち上がることは

彼女が彼女であることの

最大の表明であり

 

勝手にだけど、感じることは

ほんとうにたくさんのひとの想いが 彼女をおしあげ

そしてもみの木みたい、ともにいて

その集まる想いは傷をおおい

彼女をすべてから守るように

葉にあかりを灯すのを、

大きな想いで温められているその確かさを、

彼女の存在から感じます。

感情からでもない、思考をこえた

たましいから動いている、

そのときひとは、絶対にひとりじゃない

 

本に書かれていた言葉、

「レイプは魂の殺人である。

それでも魂は少しづつ癒され、生き続けていれば、

少しづつ自分を取り戻すことができる。

人には力があり、それぞれに方法があるのだ。

私の場合その方法は、真実を追求し、

伝えることであった。... 」(p254 「Black Box」)

 

性暴力は 戦争とおなじに

そのひとの、肉体、精神、意識すべてへ

長きにわたってダメージを与え続けます

戦争、レイプ、暴力行為を

ひとりひとりの意識、

そして社会の総意、集合意識が

そんなこともどこかではあるのだと

どんな被害や痛み暴力も苦しみも

それを変わらず他人事として受容し続ければ

今後最終、その影響が最大にゆくところは

(いまもじゅうぶんに思うけど)

全てを生かしてくれている 地球であり

そこに生きている生き物すべて

この濁流と暴力の流れに

唯一ストップをかけられるのもまた

宇宙でも ガイドでもなく

いま生きているひとの、意識だけ。

 

なにがイエスで、なにがノーか

まわりがじゃない、ふつうはでもない

自分自身の認識を 明確にして

自分自身の意見 思いを、表明する

行動、言葉、表現を通して

ただ思い、ただ感じているだけでも

濃縮した一滴は、意識の渦へ投下され

その固有の振動は 全体へと伝わります。

 

詩織さんの訴え、

その声をひとりひとりが真摯にうけとり

世論が変化の必要性の同意へむかい

マスコミも 立ち上がり

深く暗くに巣食う腐ったもろもろが

芋づる式に掘り起こされて

陽の目へとさらされますように

おかしいを おかしいままにしない

あきらめない。

いつでも絶望しようとおもえばなきょうびだけど

それでもあきらめたら終わりだから

体はなれる最後の瞬間まで

あきらめないで、希望の方をみつづけて

この目の前のいまを、大切に、丁寧に、

一歩一歩。

 

アレックスの 残してくれたことば

いま あらためて 胸にひびきます。

 

 

『カンタ!ティモール』監督 広田 奈津子さんインタビュー

 

「自分たちの仲間が十人しか見えなくて、

対する物が巨大で、千人にも見えても、

いのちに沿った仕事というのは

亡くなった人の魂がついていてくれるから、

絶対に大丈夫。恐れずに進んで下さい。

仕事の途中でいのちを落とす事があるかもしれないけど、

それでも大丈夫だから恐れないで。

でもどうしても自分たちが十人にしか見えなくなって

不安になったら、僕たちのことを思い出して。

僕たちは小さかった。

巨大な軍を撤退させるのは奇跡だって笑われた。

でも最後には軍隊は撤退しました。

それは夢でも幻想でもなく、現実に起きたこと。

目に見えない力は僕らを支えてくれたから、

どうか信じて下さい。」

 

 










名前をよぶ声

 

18年生きたららはその間にものすごい数の名前をもってた

ららは大好きだったキキララからとって ららになって

そのあとに記憶にあるのは、ニャジラにぐれねこ

そこからぐれたん、暴走にゃんこと 激しめだけどとても

ららをよく表していて、あとうめちゃんと、よくよんでいた。

 

サンさんもあだ名は多くて、

サンディーから短くなって、サンちゃん サンコ、サン、サンたん、

わたしはなんでかある期間 マルキーニョスとよんでたり

サンさんがまるく太ってからは、母は最初にとんちゃんと

そしてトントン、とんぺーとよび、

最後にはとんと、よりダイレクトになっていた。

サンさんはとんとよばれるのが嫌そうだとも母はゆってた。

 

呼び名というのはとても不思議で

これはオーラをみるのと似ているところもあるのだけど

誰かの名前を声にするとき、その声(名前)のなかに

そのひとにとっての そのひとへの想いや認識がつまっている

例えば太郎さんが花子さんの名前を「あのとき花子さんは...」と

きのうの話をするとき、その花子さんの名前に意識を傾ければ

ああ太郎さんにとっての花子さん、こんなここちなのかと

自分の胸に太郎さんの認識を感じ取れる。

そのときのなうでなくても、そのときの名を呼ぶ声を思い出せば

同じように それがわかる。

難しいように思われるかもしれないけど

いちどちょっと試してみられたら

(コツは、太郎さんが声にした"花子さん"のぶぶんを

自分の胸にぽとりとおとし、ひろがる波紋の振動を感じとる)

けっこう え!っと ただわかる、その感覚があるかもしれなく

これは最初宇宙に教えてもらい、

最初に試してみたときに、びっくりしたのを覚えています

 

そうしてなんとなくコツをつかむと、さいごはじぶんが

誰かの名前を声にするとき、じぶんでも認識していなかった

じぶんにとってのそのひとが どんなかが、ぱーんとまっすぐ

胸にはっきり 否応無しに わかったりもし

それがそれまでの認識とギャップがあると

とまどう場合もあるけれど、

それじゃあほんとうのほんとうはどうなんやろうとなったとき

声の一滴は 思考よりも確かな場合があり

誰かの名前を声にするとき

それはどうしてもそのままそのものになる作用から

どっちがと見極めたうえでもやっぱり、答えはシンプルな方

ただそうである  声から得た、その感覚にいたることが多いです。

 

じぶんは見えないものはわからないと思われてるかたも

これはむちゃかんたんな情報へのアクセス

そこから感じわかることで

もっとこころをかまえずに、安心してひととの関わりが

もちやすくなったりする、その逆もあるかもしれないけど

予測や期待 不安からの思考のもやもやで

自身のありかた制限をされるより

なんとなくでも、もやもやの奥がわかることで、

ハートのままにじぶんをありやすくなる

名前を呼ぶ声をハートで感じる  よかったらお試しを。

 










10月

 

8月の始まり、父とサンさんが

同じ日に身体を離れました

その日から、終わりのない

やまない嵐のなかにいるように

事務的なこと、引っ越と

目の前のやるべきことが

ばたばたドミノ倒し的に押し寄せる

泡あわとした頭と心のなかで

9月末に大阪から岡山へ引っ越しても

その状況変わらずにきておりまして

ご予約やご相談など、にじのわへの

お問い合わせ頂いておりましたのに

今後のこと定まらず

お知らせが遅れましたこと

大変に申し訳ありませんでした

 

さきほど10月のスケジュール
アップいたしました

下記ご予約フォームより

お時間やお値段等ご確認を頂けます

☆ご予約・お問い合わせ

 

頂いておりますお便りも

お返事できずいてごめんなさい

またおちつきましたら

ゆっくりお返事をと思っております

ご報告やあたたかいお気持ち

いつもほんとうに、ありがとうございます

 

輝き溢れる季節

みんな、どうか笑顔で

よき秋のときを

 

にじのわ 桑原

 










7月10日

 

7月10日の参議院選は、

この国に生きる個人としての尊厳と自由

そして、人、動植物、地球全体の命に関わる

とても重要な選挙です。

 

投票は個々と全体の行く先を決める、

一票はその「チケット」ともいえます。

自分の生きたい未来と照らし合わせ

思考と意識、感覚を総動員し、

多角的な視点で投票先を見極めて、

自分の想いと希望をぐっとつめこんだ

重量ある一票を、魂をこめて投じたく

 

個も全体も転換点のどまんなかにいるいま

今後、舵の方向が大きく切り替わり

みんな全体が、希望と豊かさ、安心へとむかう

そのきっかけの日になるかもしれない

かすかな星のひかりのように

蓮の花が開く直前の静けさを

胸のうちに感じています。

 

過去になかった未知の機会

希望を胸にいっぱいに

自分を生ききるための一票を。

 

@aruakari @cafesaba

また非公開の@horofotaru

選挙、また投票に関する共有したい情報

想い感じること呟いています。

 










桜 メモ



地震のあと、桜を見れなくなった。
咲いてる感じだけ
あとは散るのを遠くで眺めて
それが去年は、
万博の桜を両親とみて、きれいで楽しくて
そのあとひとり近くの公園、
日が暮れるまで、じっと眺めた。
今年、もう平気な思いで桜見上げる

なんでなのかわからない
どんな年だって、桜からかならず伝わる
太陽の息吹のようなひかりと音
どうしてなのか、感じない
みんなが、どうしても
青白くみえる
自分が何かを投影してるのか

母の木のもとへゆく
4月の始まり、彼女はシフトしてた
ラピュタの木のような
そして、強い、言葉
意味はわからない
けど、ああ、
わあとなった

言葉を持って、
いつもゆかない方
少し歩いて、一本の桜をみる
みて、みて、感じて
母の木の言葉の意味、
はっきりわかった。

あぁ。ずっと。

悲しみってなんなんだろう。
みんな、ほんとうにみんな
未来を過去を今をおもい、
毎日を、ていねいに、
心をもって、巡らして
大切なもの守るため
一生懸命生きている。

なんでなんだろう。
悲しみをこえた視点てのは
不条理を、不条理でなく必要と
そう眺められる心持ち
人間な限りなぶん、
人間じゃない感覚、必要だ
それくらい、人間ゆえの
けどそれも、
持ち込めないのか
けどどうしたって感じて
それでも、在る限りの限り
止まらない
ということなのか

細長い串みたい。
完全にばらけるためには
持ち続けられない
母の木、今日のとき
強く言葉を向けた意味
今なんだとわかる。
 









2月。記録。セッション。

内側に目を向け始めてだいぶたつけど
こんなにひたすら見続けつづけた月はなかった
なにかをしようにも、最初は高熱で、
あとは身体の重みとかで
そのときはセッションの依頼もこなくなって
強制的に内の底まで見ききる必要、
向こうからもそのつもりとわかり
2月はそういう月と、覚悟して

一ヶ月、、
こんなにもみえてなかった
わかっていなかったと、
ひとつ、ひとつを見つけるたび
わかるたび、新たな段々が現れて、
そのたび向き合って、とことん見詰めて
そしてわかって、、の奥へと続く階段は
底へ底へ、より広大な場所へと続いては
切り替わるたび、新しさにほっともして
ターニングポイントと、短い期間
こんなに何度も思ったことない
節目に来るたびやりとげた感でせいせいして
けど直後には次の段がぼんとくる
途中あきながら、船酔いみたいなりながら
なんとか、かんとか
今日、28日。やっと、漸く。

すべてが溢れでたあと
たどりついた場所
その場所からの景色
起と結が同時に存在するその場所で
自分という存在
その一歩、どこへむかうか
今日、定まった。

その清々しさ、
五感も意識もどこかしこへとけ込んで希薄になる。
今日のセッション、自分の伝え方にとまどった
その理由をわかることができた
言葉はいらないことを、
いつも通りの伝え方持ち込んで
無理に言葉を流しこんで、言葉でうめようとして
けどほんとうの部分は、言葉にならない、
言葉にしなくていいことを、
おなじもの、感じあうということを
それを無視して、
いつも通りしかないように、
そうして何かしらの情報を、
伝え続けるその言葉は
それを補充はできたとしても
それをわかりながらでは
あってもなくてもしかなくて

言葉にしなくていいもの
今までほとんど、持ち込むことなかった。
言葉じゃない表現、自分に認める、
実際に、持ち込むこと、チャレンジにおもう
いままでしてきたことと違う
でもそれを通してできること
ふくらみというか、あるのかもしれない、
実際いままで通りの継続は、自分の心地として
もう違うとも、はっきりわかる。

すこし、今までとセッション、
お伝えのしかた、変わるかもしれません。
どう変わるかは、なんとなくわかるのは
今まで時間内にできる限り情報をのありかた
そこの時間、とっぱらい
情報をのぶぶん、もっと、シンプルに、
わかりやすくより、理解より、
胸でわかりあうかんじ、
いますごく、そうしてみたいです。
今までより、スローになる気がします、
けど今までどおりのセッションをのとき
ご遠慮なく、おっしゃってください。

2月。
こんな、自分ばかりに焦点をあて続けても
こうして毎日を生きれてること
100パーセント、生かされていること
2月を自分に、
そして生かしてくれたすべてに
むちゃちゃ、むちゃちゃ感謝です。

3月、みえた未来。
あとは一歩一歩、歩くのみ。
自分を澄ます
一歩ずつ、感謝をこめて、
本気で、歩く。
ありがとう。
 









mugensoup

@mugensoup アカウント
強い変容、エネルギーの波が
事象となって現れてくるこれから
それらエネルギーの動力を感じられ
ハートやぜんたい、
どうにもきびしくあられるとき
その旨メンション頂けましたら
重みや痛み、
ちょっとでもなめらかをおもい
ハグなどのエネルギー送ります。
よかったらご利用ください。
(アカウントの承認につきましては、
こちらご確認ください。)









かぐや姫の物語



ちょうど満月になるころ、
梅田でかぐやひめを観ました
映画を超えた作品でした。
思考で理解するなら
かぐやひめの物語どおりの印象になるかと思う
けど、観ればもう思考を持ち込むことはどこかへいって
完全に内なる体感、タマシイへ
"思い出す"の作用を持って、働きかける
作品はメモリーディスクそのものであり、
記憶の再生装置でもあるような
内で静かに染み渡る衝撃に
映画館を出たあともしばらくは
ここへいてここにいない
ほんとうの実体ある見えない場所へ
裸足で着地した、足裏の心地と広がる景色
びっくり、呆然と
目も胸もよぼよぼでした。

今のときにこの作品がうまれ
全国各地で上映をされていることは
決まっているスケジュール、
セットされたポイントとして
すべては決まったもとへと
必要と必然のもとに動いていること
この作品が誕生したのは、
そのシンボルにおもいました。

なんのこっちゃかもしれませんが、
特に今、タマシイの体感
がっしり明確にすることを
求められているかたみんな
この作品を観られたら
なによりがつっとダイレクトやとおもいます。

そしてできれば、ほんとうみんなが
作品を観たならば、
そして観た人のみんな、無自覚であっても
タマシイの起動スイッチ、
確実に押されることになる
むちゃすごい、希望、
希望が映画になった
映画だけど、映画を超えた作品
カンタ!ティモールともつながります
みんな、ほんとうに、
観てほしいです。

明日はレディースデイ、
うちももう一回観にゆこうと思います。

かぐや姫の物語

 









長崎

冬至、長崎を旅しました。
記録。

子供のころ、
すこしの間佐世保に住んでた。
その頃も基地の存在感、
異質な重みを感じていたけど
そこには明るい未来の風が流れてて
自分もみんなも生きている。を感じてた

ひさしぶりの佐世保は
車から見た基地の港にはイージス艦が並ぶ
コンビニで見た新聞の見出し
3000人規模の防衛強化の文字と
子供の頃に感じた空気と質の違う
冷たい水のような透明感、
意味の変化

長崎最終日は、市内を巡った
最初に行ったのは
長崎原爆資料館
被爆した建造物や、当時の写真、書物の展示
ならぶ全てが、いまも目の前に
その瞬間そのままに存在している

資料館を出て、併設する追悼平和祈念館へ
祈りの、中心の場所へゆくまでにも
歩く足や肩、重なる重力を感じる。
爆心地を向いて建てられた慰霊碑、
光の柱の先、亡くなられたかたの名簿の棚
祈る間中、後ろに立ち並ぶ存在たちから聞こえる
こつこつとした音、呼吸と
おしよせるビジョンと声と、黒い雨
祈りを終えるタイミングはなかった。
戦争、原爆の衝撃
今も変わらずに、今に起こっていて
みんな、じぶんの声、誰かに聞こえてと
たえまなく、声をあげている

ここへくるまで、知っていても、
感じたことも、日々のなか思ったこともなかった、
衝撃に重なるたくさんのひとのおもい、叫び、訴え、のぞみ
戦争と、あの瞬間、人、場所、生き物、空にいたるまで
ほんとうに、今、祈りを必要としていること

燃える火のなかへの、水一滴のように感じる
自分の祈り、集合した意識の焦点
それでも尽きなく祈りを必要としている声のためにも
もう二度と同じこと、繰り返すことなど、
あってはならない

場所全体が慰霊碑としてあった。鎮魂。
注がれる水の存在は、乾きを潤していた。
足りないのは、求めているのは、音。
そして、心の光だった。

大阪へ戻って、目を閉じると、
もう瞬間に、光の柱が並ぶ
祈った同じ場所に立つようになった。
後ろには、あのときの存在を感じる。
ともに、私は祈る

絶対的な絶望は、うめることができなくなる
そうなる前に、もうストップしないと。
わたしたちができる、いちばんは
どんな状況下でも、あきらめないこと
希望を持ち続けること
先日の上映会、東ティモールにも
チベットにも、
おなじなにか、重なる。

祈りを必要としてるのは、
長崎、広島、日本、世界、
全体にある。
原発の沈静化
地震の分散化の祈り
海や山や川、空と大地への償い
生かさしてくれる、すべてへの感謝

私はずっと、
祈る、得意じゃなかった
苦手だった。
私は違うことすると思ってた。

祈りに、音、 声の必要を知る
祈りのことば、マントラ、
いまは、なにもことばでてこない、
黒い雨をこえて
明るく広がる青空へと
描き願うしか。


 









影がない鳥のお札
最初それを知ったときを、
いま思い出した。

4日の日食越えるとき、越えた朝
あぁって、なった。
そうくるんだって、
わたしには、それは、
切り離しては行けないのは
もう、そうなっていて、そのうえでを
おばあちゃん、教えてくれた。

母の木も、かみさんも、おばあちゃんも
宇宙人も
ことばうまれる土台、みな共通している。
そのうえの、希望を
みんな、生きようと、生かそうと
光。

それを生きるのは、
いまを生きているひと

希望を、肉体をいつ離れても
希望を、生きていたい。


しばらく、朝と夜。涙がとまらなくて、
けど、いま、泣いとけって ことなのかも。

生きる意味、
これからあるのは、泣くじゃない。
きっと、希望が希望じゃなくなったのが
平和なんだろう。
平和をわかるのは、笑顔なんだろう。

昨日、平和をみた。
生きてるひとがいっぱい
美味しいごはんとお酒、
音楽と、ひと


ちかいうち、といいつつのままの
灰色ワークショップ、
もうほんとう、しようと思う。
意思じゃなく、提示される
そうなっているをうけいれる。
うけいれて、このかかわり、するべきことを。
それが、わたしであるに、含まれている
もらったぶん、うごかないと。












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