胸のポケットに

 

     

 

セッション後 いただく

メッセージ、感想やご報告のお便り

むちゃちゃ、嬉しく、ありがたく

ですのにお返事まにあわず

ときを逃して、そのままに、、

大変に、申し訳ありません

お便りにございますぜんぶ、

大切に、かみしめています。

胸に写真をしのばせ

今日を歩き出すような

日々をゆく、ちからです

お便り、お気持ち、

ほんとうに、とても

ありがとうございます。

 

テレパシーの念信(返信)

風にのって、ふわりと届いたらと願い

想いを言葉、便りにしきれなく、

ほんとうに、ごめんなさい。

 

桑原

 

 










届き会う。

       今橋愛『としごのおやこ』(書肆侃侃房)

 

ふれる言葉に  うかぶ景色

届いてくる音、風のここち

かすめる匂い、よみがえる味

 

言葉から引き出される情報が

立体的に今を包むと

そのときじぶんはここじゃなく

そのときのその場所に立っている

 

この本にある言葉からは

それら体を伴う感覚なしに

思考もおいて、そこへゆく

 

パートナー、こどもをもち、家族をつくる

そのすべて、わたしは経験がなく

だからもあるのか

 

今橋愛『としごのおやこ

 

ひといきも忘れ 音もきえて

潜水の泳ぎで読み進めてくと

きつくかぶった 自分という水泳帽は

どこかで脱げ落ち それに気づかず

綴られる言葉 いりぐちにして

さらにその瞬間へとワープして

まるい目だけが、そこへ、ここに

 

そうして、みつめ 届くのは

景色や音、匂いや味覚

そういった五感ほとんど伴わない

ただただここだけ、こころだけの

ここち、気持ち、想いがあって

 

自分はどこかへと消えた

なにものでもない ただまるい目は

こころと直につながり、

そこにうかぶ。

 

その目は、こどもが母をみる目、

こどもの目のようと

読み終えたあとに感じる

 

親になったことがないひとも

こどもであった経験は

必ずある

 

本のなかで、暴力でこどもを死なせてしまった

夫婦のニュースに

 

生まれてくるだけで

そだてて産むだけですごいことやのに

わすれてしもたんか

 

の言葉に

 

わすれてしもたんか

 

大人、

親として

そして

子供として

 

その始まりに

起点に  戻る

 

そこにはぜったい

かならずぜったい

全てのひとが求め続けているものが

(じぶんにはないとあきらめていても)

そこにはあって

そうしてうまれて

いま 生きている

 

うたわれる言葉の音は

地球は水に覆われているように

生命上 なくてはならない海なるもの

はぐくみの源が、

じぶんの始まりに

みんなの始まりにあることを

思い出させてくれる

 

それを 忘れないでいたい、

じぶんの今がどんなでも

今いきていること

また誰かをえっと思っても

そのひとにある海を

みないで消してしまわない

ほんとうは、ほんとうに

どんなひとも、祝福だ。

 

 

愛さんは

初めて会った日から今日まで

ラメあるときも

肥えはったときも

病める時も、健やかなる時も

なにもかも愛さんのまま、

100パーセント 愛さんで

 

どんなときの、どの瞬間も

端から端まで すべてそのひと

こんなひとがこの世にと

最初本当にびっくりし、

そして今日までずっと

びっくりしている。

 

本にあることば 行間のすべて

愛さんだ。

 

 

世界の循環と営みは

経済ではなく 科学でもない

皆にある海からうまれ、

巡っている。

 

わたしは、母になれるのかわからないけど

なれても、なれなくても

その海からうまれた 一滴のわたしを

大切に生きて

そして機会、縁あれば

その一滴を、大切以上の大切へ

海になるよう、注ぎたい

 

 

本、愛さんの言葉

ひとりひとりのお家

ポストにことんと 届けられたらと、

願う。ひとの、心のもとへ。

 

 

別れのあとに あるのは出会いだ。

別れのあとに、別れはこない

循環のルール

だからきっと、出会いもまた、悲しくない

悲しみの先、 出会えるから

わたしはそう 思ってる。

 

 

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希望とは。蘇るサバ缶

 

希望の缶詰には震災前から「それ」が詰まっていた

 

3月8日(サバの日)に出版された

須田泰成さん著

『蘇るサバ缶 震災と希望と人情商店街 』

 

一文から伝わる多重の情報と その過酷さに

数行読んでは本を閉じ、また開いてはすぐに閉じ

でも中頃から後半は、閉じることなく読み進み

今日ご本、読み終わりました。

 

震災で壊滅した缶詰工場の跡地から

泥に埋まった缶詰たちを掘り出して

経堂の街、集まったひとたちが

一缶一缶を手洗いし、

そしてもとの輝きが戻った缶詰を

チャリティーとして販売することで

工場は、奇跡の再建へと向かう

 

復活した木の屋石巻水産さんの鯖の缶詰

わたしも目にし、触れていたのに

希望のことば、そのパッケージにこめられた想いを

心では、すこしもなにも、わかっていなかったと

いまさらながら、悔やまれます。

 

知っている、知らないでいる、見ないを選ぶ

その違いは、いま目にしてるものの入ってきかた

感じ方、大きく、はてしなく変える

 

どれだけきびしくても、心がもたなくおもっても

がっと目をあけて、それを知り、胸で、心でうけとめる

わたしは、震災後にしてきたありかたは、その反対で

震災に対し、目も心も、ふたをして

自分の目の前だけに、自分を注ぎ、それでどうにかよしとしようと

今日までずっと、それできていて

そうするしかと思ってそうしてきたありかたは

いまはもうただ、ただそれは、逃げて 避けていただけで

無知のまま、心は逃げたまま、缶詰に触れていた、

そのときの自分が恥ずかしく、そこにいたのが、申し訳なく

けどもうそのときには 戻れなくて

 

この悔やむ想い

せめていまから、これからに、かえてゆきたく

 

 

本に書かれていることは

そのとき起こった 復興への軌跡

そこには、これからの、このさきへの

巨大なヒントが、本の中の八方に

詰め込まれていて

 

社会を、世界を、現実をつくるのは

政治や経済、景気の動向、株価や社会情勢

そんな一見大きく思える 脚本ベースの仕組みより

よりパワフルで、どこまでもの可能性があり

そしてなにより、心が伴う、肌で感じる確かさがある

人と人との繋がり合いと、創造のビジョン

 

ここ数年、分断度は高まる一方のなかにいて

ひとりの力、個人としての存在は

大きな絶対の力の前では、ひたすら無力で ちっぽけで

自分の一票では結果は何も変わらない、みたい

自己価値と力の放棄を、無意識にも促され

けどそれは、事実でも真実でもなんでもない

コントロールしようとする側の、

そう思ってほしいという、ただの勝手な都合なだけで

 

ひとりでできること、それは確かに限られてはいても

ひとりのなかにある想い、描かれるビジョン、熱量ある心持ち

それを共有しあえるひとたちが集まり、繋がりあったとき

それは、スイミーの物語、アナスタシアの話みたい

大きなちからの かたまりになって

その想いのかたまりから突き動かされる

共時性ある行動と連鎖と連動、発酵と発光が

現実を動かし、社会を、世界をかえてゆく

 

経堂の街、つながるひとみんなの核にある

復興への願い、献身的行動が、共振と倍音をうみ

倒壊した缶詰工場を、再建へと向かわせる

 

どんな過酷な状況や、どんな社会のなかにいても

人と人との繋がりと行動が、希望を 夢を 現実にする。

それは可能であることを、

震災後の商店街、ノンフィクションの物語から

知ることができます

 

可能性を、希望を、

未来に、街に、自分に、つながるひとに

持つことを、想い願い生きることを

自分の内から、よみがえらせて

その一歩をと、思わせてくれる

励ましの、希望の、呼びかけの本に思い

避けず、いま読めて、よかったです。

 

このさきも、心にきびしいこと、ものを、見ないようにし

いま自分ができる範囲で、目の前のことを

それでも静かにどこか、この先への暗澹を、どこかにもって

そうしてゆくままだったかもしれないところ、

カーーンと、きりかわりました。

 

動かないと。

じぶんの存在を、いまをともに生きるひとを、

日々の営みが守られつづく未来、

それがみんなの手で、可能であることを

信じるよりなにより、現実確かなものとして、

動いてく。

 

そうしてこの難局を、困難を、

搾取と不条理、分断とコントロール

精神と肉体の弱体化、増税に、ゴー軍需

20世紀少年的世界を、

魂をあけわたさず、強い心で、波乗りしてく。

ゆけると思う。ゆくしかない。のみこまれない。

 

 

著者でありスローコメディ広告社代表の

須田康成さんが書かれた、本についてのお知らせ

復興ノンフィクション

『蘇るサバ缶〜〜震災と希望と人情商店街』を上梓しました。

 

 

心、行動、時間、お金、エネルギー、ぜんぶを尽くして

価値あるものを、美しさを、日々のあたりまえの大切を守るために

日本中からだごとその地へゆかれ、そこにある宝

宝をうみだすひとの想いやがんばりをすっと受けとり寄り添いながら

それをさらに広げて、いかしてゆくための、

深い洞察からのアイデアとプランニング

それを現実に具現化する行動力で、

全力全開に全てを尽くし生きている人がいる

そんなひとが現実にいることを

須田さんと出会えて、知りました。

その衝撃は、ずっとのままです。

 

ひととひとをつなぐのは

つなぐ場があり、つなぐひとがいるから

 

須田さん、経堂からうまれる、同心円の輪

その輪の中心点が

日本中に、世界中に、

もうこれから、同時発生みたい、

あちこちにうまれ、

その光る点と輪が、惹かれあう輪や点に触れ

お互いに共鳴し、共振し

さらにその輪がひろがりゆくことを

 

そしてじぶんもその点に

ひとりひとりが、その中心点になりうることを

その可能性をみれるのは、自分しかなく

そうして、その可能性を、行動に

小さくても一歩を、動いてく。

楽しい 笑いと喜びある 永続する輪を

みんなで、

動いてゆきませう。

 

震災後再建された 缶詰工場。  田んぼを泳ぐ クジラの形

木の屋石巻水産 H.P.  http://www.kinoya.co.jp

 

 

 

 

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タマシイの道をゆく 虎の巻

 

ひとはひとでできていて、

そのひとだけど、みんなでできている

 

卯野たまごさんの新刊(4月19日発売)

『引きこもりがスカウトされて占い師になったら人生が一変した話』

 

本のなかで 卯野さんというひとに会えて

卯野さんをとうして、おじいに会えて

キャベツが導きつながりあう、大切なひとたち、

卯野さんの家族  ぽっくん、あささん よあけちゃんにも

会うことができて

 

そのみんなから、

自分自身のいま、

これからの生き方、歩きかた

ゆく道における選択の

むちゃちゃ大きな、

大切なヒントを もらえます

 

自分にとって

いちばんのほんとう、大切を

選び生きる

 

インディアンのひとたちのあいだで

脈々と口伝で伝えられてきたような

国や時代をこえた、ノウイング

けれどそれは みんなには気づいてほしくなくて

権力あるひとたちによって隠されてきた

魂の道をゆくための 核となる教えを

卯野さんとおじいの

あたたかい、生きたことばのやりとりから

自分の胸の内側で

ボタンをびしばし押されるみたい

しあわせに、あたたかく

えがおで受けとることのできる

自分を生きる

自分のタマシイを生きるための

虎の巻となる、ご本です。

 

迷いのなかにあるひとに

どうことばをかけていいかわからないとき

焼き芋をほくっと割ったり

おにぎりをたんと丸まるにぎるような

そんなぬくもりといっしょに

大切を、ほわっとやさしく

伝えることが できる本

 

なによりも、自分自身

自分のゆく道、

卯野さんとおじいといっしょに

自分にとっていちばんの一歩

信じて一歩を、ふみだせる

むちゃちゃ大きい

応援の本でも あります。

 

卯野さんの占い、

いまは不定期での開催になり

すぐに体ごとは会えなくても

本をひらけば、いつでもそこにふたりがいる

頼もしく、こころ強い

ゆく道の、地図とコンパスになる本は

 

表紙のピンクの色あいも

部屋のなか、いつもぱっと、花のように

存在を感じられて

ぜひ、ぜひ、お手元にと

むちゃちゃ、むちゃちゃで ございます。

 

そうして、受けとったものを

自分が自分で 生きたとき、

それがまた、

つながるひとへと伝わって

そこからまた、つながって

 

卯野さん、おじい、

みんなからもらったものを

わたしも今、誰かに、未来へ

確かにつないでゆけるよう

 

菌に夢中の昨今ですが

ひとりひとりの無二のユニークと

培養があわさって

世界がつながり、ふくらんでゆく

どんななかも、未来へゆくほど

ぜったい、豊かに、

 

そう信じて、伝え合い、伝わりあいたい

じぶんにとっての一番を 大切を

目の前のひと、目の前のいまに

注いで一歩、歩き続けたいです。

 

卯野さん、タマシイの道ゆく虎の巻を

この世界に、 深謝です。

 

著者 卯野たまごさん

 

twitter  https://twitter.com/uno_tamago

うのたま日誌  https://ameblo.jp/inutounototama/

 

おじい ポクくん アサさんとヨアケちゃん

 

会えて 感謝。 たいせつを、ありがとうです

 

 

 

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最後まであきらめない

伊藤詩織さんの手記 『Black Box』 読みました。

 

セッションで過去世を聞かれることは

ここ数年ほとんどなくなってからも

自身の思考や行動に、無意識にも

制限や収縮をあたえてつづけるもの

それが「どこからか? なんでなのか?」

というご質問を頂いたとき

その理由は今をこえた

過去世にある場合がときどきあります

それは刻まれた記憶というより

血が覚えている、に近い感じ。

 

今世に影響を与える過去世

そこで浮かびあがる体験で、多く共通する状況が

戦争(双方)、ナチス収容所での迫害(双方)

レイプ(被害者)です。

 

戦争体験がエーテルに鮮明に刻まれると

体験の記録のかたまりは一定の振動を通して

気づくことのない微細さで波紋を送り

ひとは肌や意識のどこかでその振動に触れながら

このとき目の前を生きています。

 

戦争体験は そこで肉体を離れたら終わりではない

その影響は、多い少ないはあったとしても

もしかしたら全転世に その振動はゆき渡るほど

戦争は あらゆる人間体験のうちなによりも強烈で

それは爪のあいだに裁縫の針を刺し続けるみたい

想像外のインパクトが、継続性をもちながら

その衝撃は、拡大よりも、収縮と制限

自身がうみだす可能性よりも、

受容を選び生きるありかたに

ひとの意識をむかわせます

 

戦争という過ちから学び得た認識は守るべきもので

その認識が次なる戦争へのブレーキになり

より平和への意識を際立たせているのだとしても

また、人口の増加とバランスにおいて

それがなければ、ということは、あったとしても

わたしは戦争に、「必要性」としての意味は

いっさいみないです。

戦争も、まして原爆、 ほんとうに、ほんとうに

戦争を行うことの意味は 一寸一ミリもないと思っています。

 

戦争は、ひとの肉体や精神だけじゃなく

そのひとのエーテル層に

治癒しようのない傷を刻みつけます

戦争は、宗教や国家間の戦いなんかじゃない

経済支配と一体になって行われる

究極の暴力であり

その戦争と同じくらいの衝撃で

そのひとの存在すべてを

容赦なく鎌で切りつける行為が

レイプです。

 

それが過去世のことでなく

今この自身の身に起こったことで

そこで受けた恐怖と苦痛、

くまなくわたる 痛みと嫌悪の衝撃は

その後そのひとの日々をどれだけ変えて

どれほどの影響をあたえ

そのひとが、どんな想いを

自身の内に抱えられているのか

同じに感じることはできなくても

その痛みと衝撃を慮ること

とても重要に思います

 

価値のおきかた、取り扱いかた

軸となる秩序を失いばらけてしまった

いまにあっても

ひととして本来あたりまえに備わっている

自分以外の存在を思いやるこころ

それはお金よりも経済よりも発展よりも便利よりも

なによりも大事で、それがなければな

ぜったいにそこは 失ってはいけないところで

ひとをひとと思わないありかた

猫やわんこ生き物たちは、命じゃなくものとして扱われ

土地を生かし守る木々たちは いとも簡単に切り倒される

 

こころのないものやことやひとが

あたりまえのように目の前にひろがって

それがあたりまえに許されているようでも

じぶんは、ひとでありつづける

じぶんを、めのまえのそのひとを

わかろうとする

頭じゃなく、感情でもなく、

ハートから。

とても大切に、重要に、思います。

 

手記『Black Box』を刊行された

ジャーナリストの伊藤詩織さん

読み始めてから最後のページに至るまで

どのページからも、彼女の覚悟を感じました

向けられるバッシングや

政治的な理由で受ける攻撃への不安

なにより自身の負った傷口が

おもてへと出ることでさらに痛みが深まることも

覚悟のうえで

現行の司法システム、被害者に対して不寛容な

社会のありかたを変えようと

見えない権力構造にたちむかい

これ以上、大切なひとたちや

暴行にあい傷ついているひとたちを

自分と同じような目にあわせたくはない

その一心で 自身の体験を言葉にし

訴えられている詩織さん

彼女を動かしているのは

被害にあわれたひとたちが

報われないまま 苦しみのなかにいる

出口がみつからないままの 声なき声であり

なにより、彼女がそうして立ち上がることは

彼女が彼女であることの

最大の表明であり

 

勝手にだけど、感じることは

ほんとうにたくさんのひとの想いが 彼女をおしあげ

そしてもみの木みたい、ともにいて

その集まる想いは傷をおおい

彼女をすべてから守るように

葉にあかりを灯すのを、

大きな想いで温められているその確かさを、

彼女の存在から感じます。

感情からでもない、思考をこえた

たましいから動いている、

そのときひとは、絶対にひとりじゃない

 

本に書かれていた言葉、

「レイプは魂の殺人である。

それでも魂は少しづつ癒され、生き続けていれば、

少しづつ自分を取り戻すことができる。

人には力があり、それぞれに方法があるのだ。

私の場合その方法は、真実を追求し、

伝えることであった。... 」(p254 「Black Box」)

 

性暴力は 戦争とおなじに

そのひとの、肉体、精神、意識すべてへ

長きにわたってダメージを与え続けます

戦争、レイプ、暴力行為を

ひとりひとりの意識、

そして社会の総意、集合意識が

そんなこともどこかではあるのだと

どんな被害や痛み暴力も苦しみも

それを変わらず他人事として受容し続ければ

今後最終、その影響が最大にゆくところは

(いまもじゅうぶんに思うけど)

全てを生かしてくれている 地球であり

そこに生きている生き物すべて

この濁流と暴力の流れに

唯一ストップをかけられるのもまた

宇宙でも ガイドでもなく

いま生きているひとの、意識だけ。

 

なにがイエスで、なにがノーか

まわりがじゃない、ふつうはでもない

自分自身の認識を 明確にして

自分自身の意見 思いを、表明する

行動、言葉、表現を通して

ただ思い、ただ感じているだけでも

濃縮した一滴は、意識の渦へ投下され

その固有の振動は 全体へと伝わります。

 

詩織さんの訴え、

その声をひとりひとりが真摯にうけとり

世論が変化の必要性の同意へむかい

マスコミも 立ち上がり

深く暗くに巣食う腐ったもろもろが

芋づる式に掘り起こされて

陽の目へとさらされますように

おかしいを おかしいままにしない

あきらめない。

いつでも絶望しようとおもえばなきょうびだけど

それでもあきらめたら終わりだから

体はなれる最後の瞬間まで

あきらめないで、希望の方をみつづけて

この目の前のいまを、大切に、丁寧に、

一歩一歩。

 

アレックスの 残してくれたことば

いま あらためて 胸にひびきます。

 

 

『カンタ!ティモール』監督 広田 奈津子さんインタビュー

 

「自分たちの仲間が十人しか見えなくて、

対する物が巨大で、千人にも見えても、

いのちに沿った仕事というのは

亡くなった人の魂がついていてくれるから、

絶対に大丈夫。恐れずに進んで下さい。

仕事の途中でいのちを落とす事があるかもしれないけど、

それでも大丈夫だから恐れないで。

でもどうしても自分たちが十人にしか見えなくなって

不安になったら、僕たちのことを思い出して。

僕たちは小さかった。

巨大な軍を撤退させるのは奇跡だって笑われた。

でも最後には軍隊は撤退しました。

それは夢でも幻想でもなく、現実に起きたこと。

目に見えない力は僕らを支えてくれたから、

どうか信じて下さい。」

 

 










名前をよぶ声

 

18年生きたららはその間にものすごい数の名前をもってた

ららは大好きだったキキララからとって ららになって

そのあとに記憶にあるのは、ニャジラにぐれねこ

そこからぐれたん、暴走にゃんこと 激しめだけどとても

ららをよく表していて、あとうめちゃんと、よくよんでいた。

 

サンさんもあだ名は多くて、

サンディーから短くなって、サンちゃん サンコ、サン、サンたん、

わたしはなんでかある期間 マルキーニョスとよんでたり

サンさんがまるく太ってからは、母は最初にとんちゃんと

そしてトントン、とんぺーとよび、

最後にはとんと、よりダイレクトになっていた。

サンさんはとんとよばれるのが嫌そうだとも母はゆってた。

 

呼び名というのはとても不思議で

これはオーラをみるのと似ているところもあるのだけど

誰かの名前を声にするとき、その声(名前)のなかに

そのひとにとっての そのひとへの想いや認識がつまっている

例えば太郎さんが花子さんの名前を「あのとき花子さんは...」と

きのうの話をするとき、その花子さんの名前に意識を傾ければ

ああ太郎さんにとっての花子さん、こんなここちなのかと

自分の胸に太郎さんの認識を感じ取れる。

そのときのなうでなくても、そのときの名を呼ぶ声を思い出せば

同じように それがわかる。

難しいように思われるかもしれないけど

いちどちょっと試してみられたら

(コツは、太郎さんが声にした"花子さん"のぶぶんを

自分の胸にぽとりとおとし、ひろがる波紋の振動を感じとる)

けっこう え!っと ただわかる、その感覚があるかもしれなく

これは最初宇宙に教えてもらい、

最初に試してみたときに、びっくりしたのを覚えています

 

そうしてなんとなくコツをつかむと、さいごはじぶんが

誰かの名前を声にするとき、じぶんでも認識していなかった

じぶんにとってのそのひとが どんなかが、ぱーんとまっすぐ

胸にはっきり 否応無しに わかったりもし

それがそれまでの認識とギャップがあると

とまどう場合もあるけれど、

それじゃあほんとうのほんとうはどうなんやろうとなったとき

声の一滴は 思考よりも確かな場合があり

誰かの名前を声にするとき

それはどうしてもそのままそのものになる作用から

どっちがと見極めたうえでもやっぱり、答えはシンプルな方

ただそうである  声から得た、その感覚にいたることが多いです。

 

じぶんは見えないものはわからないと思われてるかたも

これはむちゃかんたんな情報へのアクセス

そこから感じわかることで

もっとこころをかまえずに、安心してひととの関わりが

もちやすくなったりする、その逆もあるかもしれないけど

予測や期待 不安からの思考のもやもやで

自身のありかた制限をされるより

なんとなくでも、もやもやの奥がわかることで、

ハートのままにじぶんをありやすくなる

名前を呼ぶ声をハートで感じる  よかったらお試しを。

 










10月

 

8月の始まり、父とサンさんが

同じ日に身体を離れました

その日から、終わりのない

やまない嵐のなかにいるように

事務的なこと、引っ越と

目の前のやるべきことが

ばたばたドミノ倒し的に押し寄せる

泡あわとした頭と心のなかで

9月末に大阪から岡山へ引っ越しても

その状況変わらずにきておりまして

ご予約やご相談など、にじのわへの

お問い合わせ頂いておりましたのに

今後のこと定まらず

お知らせが遅れましたこと

大変に申し訳ありませんでした

 

さきほど10月のスケジュール
アップいたしました

下記ご予約フォームより

お時間やお値段等ご確認を頂けます

☆ご予約・お問い合わせ

 

頂いておりますお便りも

お返事できずいてごめんなさい

またおちつきましたら

ゆっくりお返事をと思っております

ご報告やあたたかいお気持ち

いつもほんとうに、ありがとうございます

 

輝き溢れる季節

みんな、どうか笑顔で

よき秋のときを

 

にじのわ 桑原

 










7月10日

 

7月10日の参議院選は、

この国に生きる個人としての尊厳と自由

そして、人、動植物、地球全体の命に関わる

とても重要な選挙です。

 

投票は個々と全体の行く先を決める、

一票はその「チケット」ともいえます。

自分の生きたい未来と照らし合わせ

思考と意識、感覚を総動員し、

多角的な視点で投票先を見極めて、

自分の想いと希望をぐっとつめこんだ

重量ある一票を、魂をこめて投じたく

 

個も全体も転換点のどまんなかにいるいま

今後、舵の方向が大きく切り替わり

みんな全体が、希望と豊かさ、安心へとむかう

そのきっかけの日になるかもしれない

かすかな星のひかりのように

蓮の花が開く直前の静けさを

胸のうちに感じています。

 

過去になかった未知の機会

希望を胸にいっぱいに

自分を生ききるための一票を。

 

@aruakari @cafesaba

また非公開の@horofotaru

選挙、また投票に関する共有したい情報

想い感じること呟いています。

 










桜 メモ



地震のあと、桜を見れなくなった。
咲いてる感じだけ
あとは散るのを遠くで眺めて
それが去年は、
万博の桜を両親とみて、きれいで楽しくて
そのあとひとり近くの公園、
日が暮れるまで、じっと眺めた。
今年、もう平気な思いで桜見上げる

なんでなのかわからない
どんな年だって、桜からかならず伝わる
太陽の息吹のようなひかりと音
どうしてなのか、感じない
みんなが、どうしても
青白くみえる
自分が何かを投影してるのか

母の木のもとへゆく
4月の始まり、彼女はシフトしてた
ラピュタの木のような
そして、強い、言葉
意味はわからない
けど、ああ、
わあとなった

言葉を持って、
いつもゆかない方
少し歩いて、一本の桜をみる
みて、みて、感じて
母の木の言葉の意味、
はっきりわかった。

あぁ。ずっと。

悲しみってなんなんだろう。
みんな、ほんとうにみんな
未来を過去を今をおもい、
毎日を、ていねいに、
心をもって、巡らして
大切なもの守るため
一生懸命生きている。

なんでなんだろう。
悲しみをこえた視点てのは
不条理を、不条理でなく必要と
そう眺められる心持ち
人間な限りなぶん、
人間じゃない感覚、必要だ
それくらい、人間ゆえの
けどそれも、
持ち込めないのか
けどどうしたって感じて
それでも、在る限りの限り
止まらない
ということなのか

細長い串みたい。
完全にばらけるためには
持ち続けられない
母の木、今日のとき
強く言葉を向けた意味
今なんだとわかる。
 









2月。記録。セッション。

内側に目を向け始めてだいぶたつけど
こんなにひたすら見続けつづけた月はなかった
なにかをしようにも、最初は高熱で、
あとは身体の重みとかで
そのときはセッションの依頼もこなくなって
強制的に内の底まで見ききる必要、
向こうからもそのつもりとわかり
2月はそういう月と、覚悟して

一ヶ月、、
こんなにもみえてなかった
わかっていなかったと、
ひとつ、ひとつを見つけるたび
わかるたび、新たな段々が現れて、
そのたび向き合って、とことん見詰めて
そしてわかって、、の奥へと続く階段は
底へ底へ、より広大な場所へと続いては
切り替わるたび、新しさにほっともして
ターニングポイントと、短い期間
こんなに何度も思ったことない
節目に来るたびやりとげた感でせいせいして
けど直後には次の段がぼんとくる
途中あきながら、船酔いみたいなりながら
なんとか、かんとか
今日、28日。やっと、漸く。

すべてが溢れでたあと
たどりついた場所
その場所からの景色
起と結が同時に存在するその場所で
自分という存在
その一歩、どこへむかうか
今日、定まった。

その清々しさ、
五感も意識もどこかしこへとけ込んで希薄になる。
今日のセッション、自分の伝え方にとまどった
その理由をわかることができた
言葉はいらないことを、
いつも通りの伝え方持ち込んで
無理に言葉を流しこんで、言葉でうめようとして
けどほんとうの部分は、言葉にならない、
言葉にしなくていいことを、
おなじもの、感じあうということを
それを無視して、
いつも通りしかないように、
そうして何かしらの情報を、
伝え続けるその言葉は
それを補充はできたとしても
それをわかりながらでは
あってもなくてもしかなくて

言葉にしなくていいもの
今までほとんど、持ち込むことなかった。
言葉じゃない表現、自分に認める、
実際に、持ち込むこと、チャレンジにおもう
いままでしてきたことと違う
でもそれを通してできること
ふくらみというか、あるのかもしれない、
実際いままで通りの継続は、自分の心地として
もう違うとも、はっきりわかる。

すこし、今までとセッション、
お伝えのしかた、変わるかもしれません。
どう変わるかは、なんとなくわかるのは
今まで時間内にできる限り情報をのありかた
そこの時間、とっぱらい
情報をのぶぶん、もっと、シンプルに、
わかりやすくより、理解より、
胸でわかりあうかんじ、
いますごく、そうしてみたいです。
今までより、スローになる気がします、
けど今までどおりのセッションをのとき
ご遠慮なく、おっしゃってください。

2月。
こんな、自分ばかりに焦点をあて続けても
こうして毎日を生きれてること
100パーセント、生かされていること
2月を自分に、
そして生かしてくれたすべてに
むちゃちゃ、むちゃちゃ感謝です。

3月、みえた未来。
あとは一歩一歩、歩くのみ。
自分を澄ます
一歩ずつ、感謝をこめて、
本気で、歩く。
ありがとう。
 









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