3月 透明の鏡

                    珈琲といちごのタルト

 

命について 毎日そればかりくらいおもうのは

いまがこんなときだからもあるけど

それは、ものごころついたときからだ

 

幼稚園のころ

焦燥感にかられながら

ともだちづきあいに神経を使っては堪え

その場をなんとかしのいでいたとき

もしもじぶんがへんな衝動にかられて

ともだちを高いとこからどんと押したなら

 

そんなよからぬ想定を想像してみては

こどもである自分であっても

皆んなだれもが他者の命を奪う可能性がある

その大きな脅威に恐怖して

そしてひとの命のはかなさを、頭の中で確かめた

 

6歳のわたしはソファーのうえで

そもそもじぶんはなんで生きているのかを

ほんとうほんきで考えつづけ

なんでなのか、ひとまずじぶんの足のゆびをかじってみたり

 

8歳のとき、昭和天皇の容態の悪化と崩御

その間の大音量な報道の飛び交いあいに

個々の命の価値、重み、その平等性において

ものすごい疑問と謎がうまれ

誰にじゃなく、おかしな怒りを感じてた

 

そんなふう、子供時からいつもあたまに

命というのがのしかかり

ウオンウオンと巡っていたのは

死への脅威、恐れというのが

つねにそば、じぶんの中に、横たわっていたから。

 

その恐れというのは、

父がいなくなってしまうこと

 

子供のころはその恐怖もまったく無意識だったけど

(でも実際、休日に父が母と車で外に出かけるだけで

無事に帰ってくるのを毎回真剣に祈り疲れること多々)

 

いまみたい、自分から情報をとるようになった20代からは

その父との別れ、父の死への恐怖、自覚的だった。

 

だけど現実そのころは

父は健康以上にパワフルにアクティブでエネルギッシュで

そんな、命に関わるなにかが起こる可能性は

目の前の父からはみじんも感じられなくて

 

とにかくわたしはその理由のない巨大な恐れを

とにかく自分のなかからとっぱらおうと

そっちのほうへの取り組みに、必死になった。

 

必死のとりくみと、実際現実父はほんとう

いろいろオーバーワークで疲れていても

それでも元気で、健康パワフルで

横たわる恐れ、だいぶん完全にではなくても

だいぶ薄くまでにきかけたころ

その年はっきり見た夢そのままに

父は、サンさんと同じ日に、体を離れた。

 

その日から、わたしの人生というものは

過去にはない別なる未知のものになった。

 

内のどこかに常にある不安と恐怖

そうならないことを祈る想いにかられつづける

胸にしみこむ理由の見えない痺れのようなのを

感じる必要がなくなったとき

それだけが唯一、まったく別の人生をゆくうえで

唯一の安堵となり

えんえんあった恐れは、そのとき消えてなくなった。

 

もうすこししたら、あの日から4年

ふだんは一年に一度帰るか帰らないかでいたのに

なぜかその年だけは頻繁に帰省をし

夏の暑い日、その直前となる桜の季節も

あいだをあけず二度ほど帰省し

そのときにみた桜の美しさは

今となると地獄的なくらい

311後のどの春もそうだったけど

よりじっと、まがたまみたい

美しさは悲しみを携えて

今年も花咲く桜に、目がしみる。

 

それでも、桜の音だけは

変わらずにまっすぐ

さらさらきらめく桜吹雪みたい

いつの年も水色にこまくに響く。

 

そうして、ウイルスの蔓延

日本は実際が見えてこないけれど

世界各国、亡くなられるかた日に日に増え

収束を思える余地のない状況が続いている

 

もしもいま父が生きていたら

父は医療に従事していたこともあり

もうきっと、私は気が気ではなかっただろう

 

だから、いま父がここにいないことを

生きてきて初めて、ほっとしてる

ものすごくおかしいし、こんななかでも

生きていてくれるなら、ただただ、生きていてほしい

それはほんとう、ほんとうでも

願っても、それは現実ではないからか

とにかく、こんなとき、そのことにおいては

深く、ほっとしている

 

そんな今日、雨降るカフェで

宇宙とわたしはよぶものと

いまとこれからの命における

こころもちへの話をしてたら

 

彼らの視点から、地球にある命をみて

その視点からしてみれば

ほんとうに、いま、生きているか、体がないかは

まったく関係がないのだと

それは人間も、動物も、植物も

あらゆる生命においておなじ

 

たしかにほんとう、父はそうだし

からだの次元では会えなくなった、祖父母、智子さん

ララ、サンさん、枯らしてしまったオリーブの木

生きていてももう二度と会うことのないひともいて

そうして目の前、生きているひと、大切なひとたち

みんな、からだをふくまないでみれば

みんな、意識なんだと、ただそれだけだと

今日あらためて、彼らの視点、命への認識に

はっとなって、ほんまやとなった。

 

違うのは、からだがあるかないか、ただそのひとつ

そのひとつが、生きているときはものすごく重要で

ものすごく重大で、ものすごい奇跡だと思えても

実際のちがいは、体のあるなし、それだけで

あとはいっさい、ほんとうなにも、変わらない

 

だから、場合によっては

そのひとの意識によっては、

体から出た後も、その直前の状態を

繰り返すことを選んだり

こちらに近い次元にとどまったり

信念体系のレイヤーにとらわれたりと

 

(ここでいう意識は肉体意識=スピリット

魂=ソウル はすぐ次の転生に入るか全体(宇宙)へ還る)

 

体を出ればみんな天国らくらくのんびり自由

かならずしもそうとはいえない

あっちはあちらで無数の選択肢があり

 

すべては、いまこの瞬間の、意識

からだのあるなし関わらず

いまこの瞬間、じぶんの意識の反映を

ひとは生きる

 

そう思うと、いまこのからだを含めたリアリティも

限りなく希薄で流動的であり

それでも80億のひとたちと、物質的現実を共有し

それぞれの意識の反映を

共振増幅させながら生きるいまこのときというのは

やっぱり激しく、果てしなく

貴重でかけがえのないもので

 

そこには、体の制限がない状態以上ともいえる

無限の可能性が

この地上から宇宙へと

360度に開きひろがり 満ちている。

 

だからやっぱり、このからだあるとき

いまというとき、この瞬間を

意識的に生きていたいと

意識的に生き、この自分を最大に尽くしたいと

自分が自分を生ききることで

未来へつなぐなにかよきもの

地球に刻み残せるよう

いまをあろうと

宇宙と話して

自分の内を、確認する。

 

からだがあってもなくても

意識はつねに目覚め 生き続ける

 

なにをみるか、どこをみるか

どう生きるか、

どう生きたいか

 

つねに、どのときも、その連続

 

その選択先が、じぶんの魂

いちばんのほんとうであるかぎり

道はある。続き続ける。

 

 

はなしが少しそれました。

 

その、えんえん長らくあった、

自分よりも大切なひとの死の恐怖

それをつきつけられているときは

いまだからわかるけど

その恐怖は、

ほんとうにじぶんを完全に生きること

それにおいて、ブレーキになる。

ただあるままじゃなくしてしまう。

 

失うことへの恐怖から、

じぶんの愛を認めないよう

相手への愛をひっこめたり

愛を受け取ることを拒否したり

 

そんな無意識からの防衛反応も

ただあるままのほんとうを、制限させる

 

そして、その恐怖は

セットであるものをもたらしてくれる

 

それは、安心感

 

じぶんよりも大切な人の存在は

そのひとを失うことへの恐怖は

その恐怖が大きいほど、

見えない質量と重みをもって

じぶんの胸にのしかかり

じぶんがいまここにいるのを

アンカーしてくれる。

 

そのひとの存在の重み

その重みあるひとを失うことへの恐怖

それがじぶんの存在を認識させ

じぶんが生きている意味を感じさせる

 

それは、じぶんはよくても

それは、勝手なるおしつけ

そのひとへの心配、恐れがベースにある限り

それがどれだけ愛ゆえの表現であったとしても

それはあるままじゃない重量を持ち

そのひとにじぶんの不安の投影と

そしてじぶんの人生を

ぎゅっと背負わさせることになる

 

じぶんの人生を

そのひとの責任に、かえてしまう

 

他者への責任、社会への責任

未来、こどもたちへの責任

 

その責任感、なくてはならないものに思うも

それは、制限

外への責任は、義務になる

義務は、本当にしたいこととは違う。

 

誰か、なにかのためじゃない

まずいちばん、なによりもいまこのときに

じぶん自身がどうしたいかを

視線の先を、外じゃなく、自分にみて

そこにあるものをただそのまま生きるとき

 

自分自身の内にある、真の望み

魂のwantを生きるとき

 

のしかかる社会の呪い、制限からひとは自由に

そして、その責任すべて、

外じゃなく、自分になる。

 

いちばんのほんとうを生きる、

その責任は、義務とちがう。

その責任は、自分を生きる、意欲になる。

それは、したいことだから。

 

はてしない物語 アトレイユが旅をするのは

責任でも義務からでもない、じぶんの求め。

だから、ファンタージェンを救い

生命の泉をしるものとなった。

 

 

じぶんを生かしてくれるもの

そのひとを失うことへの恐れ心配を

じぶんのなかに持つ必要がなくなったとき

 

残されたじぶんを、誰かに意味をおかないで

生きるしか、なくなったとき

 

そうじゃないと見えてこないものがあるのだと

それは、孤独とはちがうけど

「ひとりである」 その感覚

 

すべて、じぶんしだい

じぶんがどう生きたいか

どう生きるか

 

そのとき発する自分の音

 

その音が、じぶんの魂とイコールのとき

それは全体へとゆきわたり

個であり全体、境界のないつながりのなかで

その音は、自分が自分であることの

最大の表明になり、全体の、資源となる。

 

その、じぶんの音。

 

なんでこんな話にむすびつくのかだけど

わたしは思う、かんじるのは

いま広がる、ウイルスとされるもの

それは、よく画像で表される赤い粒子の点というより

もう空気全体、それか水槽のなかにいるとすれば

水全体の細かい気泡みたい

そこに境界はなく、ただ、別次元にあるものとして

このウイルスを、認識したとき

 

いまこのときに、自分の発する音、振動は

マスク、また自己免疫力をあげるのと同じ、かそれ以上の

予防策になるのではないかと、思っています。

 

というのは、このウイルスとよばれるもの

変異やタイプ、いろいろあるといわれているけど

彼らのなかに、固有の知性というのが存在しない

かんぜん透明の鏡みたいに

ただあるのは特有の周波数、振動であり

その振動は波紋みたいその都度変化しとらえられなく

(湖の湖面とおなじ、風や雨に魚、外に依る)

そして彼らというのは、変容の波、そのものともいえる

 

ミッドポイントをこえたいま届き注ぐ変容の波

その性質の最大は

すべてをおしあげ、あらわにする

隠せない、あるまま、そのままを表出させる

そんな作用をもっているのだけど

 

この波の作用まっただなかにいるいま

これまで通りの継続は、もうどうにもむずかしく

このウイルスとよばれるものも

でどころは何らかの意図、計画をもっていたとしても

その彼らの意図をこえたところでの働きに

ウイルスというより、つながりあう全体すべてが

シフトしてると、感じています。

 

それは、試されているというより

ただひたすら、みられてる。

それがそのまま、超絶なる細やかさで

ダビンチの人体解剖図のように

現実にあらわされ、かたちになる。

それか、虫眼鏡。

焦点の先、ぼっと火がつくみたいに。

 

 

長々、はなしがあちこちに

 

いつものことながら

まとまらないで書き連ねる日記

読みにくくてごめんなさい

 

あちこちを、まとめると

 

コロナ禍放射状に広がるいま

どうしたって、不安や心配、悲しみを

感じないではいられないときに入るけど

 

大事なひと、つながるひと、まわりのひとたち

国をこえた、みんなとこのときを乗り切るためにも

いま、この瞬間、じぶんの意識がどうあるか

じぶんはいま、なにをみて、それのどこをみているか

(視点の先は他者、外なのか、自分のエゴか、魂か)

そしてその起点となる意識は

いまなにを、決めているのか。

そこを、まず、まずいちばんに確かめて

 

そのうえで

 

不安、恐れ、そしてこれから起こりうる

苦しみと爆発する怒り、悲しみの感情の波、のまれることなく

じぶんを、じぶんのほんとうを、生きるほう

胸のこたえと眉間のあいだを一致させ

そこでのビジョン、そのためのいま必要に、

じぶんの意識とエネルギー、そして行動を

目の前のいまに注いで、いまをゆくとき

 

これからの、底が抜けて流れ落ちてく流れのなかも

じぶんが決めている道を

同じ方むかうひとたちと、つながりあって

一歩一歩、雪道をゆくように

歩きつづけて、そのさきにある仕事

再構築、

できれば、道ゆくみんなで、あらゆる罠を蹴散らせたなら

そこからの、真構築、

取り組むときがくるように、感じています。

 

 

ひとは、ほんとうには、死ぬことはない

からだがあるか ないかだけ

 

死んでいるように生きるひともいれば

生きていなくてもいきいきしているひともいる

状況でも、状態でもなく

そのひとが何をきめているかだけ

きめていることをひとは生きる

 

変容どまんなか、この稲村ジェーンの大波も

じぶんがいちばん行きたい方

その一縷の光の筋の先を 一点集中がっとみて

台風がくるなら海やろうと、マインドセットとっぱらい

この見えない波をあとおしに、

それがまさかの山でもそっちへ向かって

サーフボードはそらにのぼり

そしたらなにか現れるかもの可能性もあるかもで

いまこのさきの数ヶ月、自分に留まり

のりきりませう。

 

追伸  もちろん重要な免疫力、マイクロバイオーム

腸内フローラのポイントは、なにを食べるか以上に

何を食べないかが大きく、魂の声とともに

胃と腸の(菌たちの)声も、おなじに大事に。

 

 

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2月 意識の目

            モクセイ 珈琲とほわほわチーズケーキ

思えば中学のころ、

両親の本棚にずらりとならぶ今では陰謀論と呼ばれる本を

受験勉強中にも関わらず、夢中で読み漁っていたときに

灰色のスケジュール(NWO)をざっくりと理解して

(NEW WORLD ORDER=彼らの生き残り策)

同級生のともだちを放課後集め

その存在や計画についてレクチャーを繰り広げ

結果ひたいに4の字を書かれるみたい

いじめを受けることになった。

 

ともだちみんなから気持ち悪がられても

本から得た情報はただのとんでもじゃない

自分のなかでリアルに感じられるものがあり

それからも、いま今日の日まで

そのスケジュールの進み

現実の現れと、照らし合わせて常にいた。

 

そのスケジュールは、いま今日まで

いくらかの頓挫はあれど、大筋は変わっていない。

 

けど今この時点での情勢をみると

どうしたって時代はユニティに向かうなか

このままゆけば、それは暴走列車みたい

いまさら大きな転換を自分たちに認められずに

最後彗星が燃え尽きるように突き進み

そして映画『スーパーマン』のラストみたい

永遠の監獄、ファントムゾーンへ送られると思う。

 

そこまでは、その頃の本には書いていなかったけど

いまの彼らの準備しきらないで焦りのうちになされる

映画の方の『ナウシカ』どろどろの巨神兵を出撃させるような

博打的スケジュールの遂行は、

この数年は特にそのほとんどがどこかで必ず頓挫にあい

意図通りの結果を収められないどころか

より自身のくびを閉めることへと、向かってる。

(社会、世界をマクロにみるなら

一見は、かわらずに彼らの支配、

強行に続いているように見えるけど。)

 

その灰色スケジュールの現れも

じぶんでアカシックを見るようになってからは

本や外からの情報必要としなくなり

起きていること、いまこれから起こりうること

直接に情報を読むことを続けてきた。

 

アカシックを読む人は

きっと同じ情報を得ていたから、今回のことは

驚くことじゃなく、とうとうきたかの思いにおもう。

(ここへきて改めて話題の『アキラ』や、
いつもそのまま通りに思っていた『20世紀少年』も
作者のかた、情報と繋がられて
作品を作られたのではないかと思う。)

 

いろいろが頓挫や意図通りに行ききらない中も

それでもあきらめることなく

自分たちのスケジュール、計画を

そして現状の支配体系の維持保持継続を

どうしたって守ろうとし続けいている灰色の

その本気度たるや、

ひとの命に対しては、ムスカよりも冷酷なのに

自分自身の命、生においては

誰よりもものすごい熱量と意欲と執着力で

実際みんなおかしく健康に長生きなのも

その生きることに対しての熱意、

ものすごいなと、あっぱれにも思うけど

 

そうして彼らのスケジュール、そしてゲームに

無自覚無意識にも参加させられ

コマとしての扱いをうけることにさらされる

ものすごいたくさんのひとの命

こう軽々と支配され奪われていいものなのか

戦争はじめ、あらゆるものごと、普段の日常

ひとの精神と命、生きる喜びでなくがまんと苦しみに

もう長らく続いたそんなんは、

いよいよ切り替わり始める、いよいよのときにきて

度々の頓挫あっても、いまここでぶっちぎろうと

灰色の三角頂点、なりふり構わない集中力と意欲でもって

スケジュールの中盤(計画)に突入してこようとしているとき

これを終わらせるほうも、彼らと同じかそれ以上に

強い意志と気合でもって、自分でいないと

このしかけ(ゲーム)のりきるのはだいぶんハード

自分の主権を完全に自分に取り戻す

映画『インビクタス負けざる者たち

そのときにいま、入ってる。

 

コロナの報道が活発になりだしたとき

わたしは、ひどいことにはならないと思ってた

けどまさか、日本のこれほどの対応は予測してなくて

なんでこんな事態にと、その理由をひとつひとつ

見てゆけば、ゆきついたのは、

3月11日以降からのずっと日本のひとにあるテーマに。

 

いま起こっていることは

あの日以降日本のひとが返してきた反応の結果であり

その現れは、年月を経て

あのときよりも数倍にも増幅したかたちで

いまこれからの体験として、迎えることに。

 

そのテーマが何かやそうなるに至る理由は置いといて

くるところにきたいま、大事なのは

起こることに自ら飛び込まない(参加しない)こと

起こることで生じる集合意識の反応(感情)に

飲み込まれないこと

そのために、自分をまっすぐ、保つこと。

 

先に書いた、灰色の計画、情報をアカシックから得て

生み出されたであろう作品、映画もいろいろあるけれど

その中で、そのときはまんま光の12日間だと

当時映画館で観て思った作品『ブラインドネス

地獄でしかない展開と内容、誰にも少しもお勧めでないけど

その映画からわかることは、いまこのときのすべてといえる

目を開け続けていること。もうそれだけ。

 

意識の目を開け続ける

そしたら、目の前でなにが起こっても、

困って立ち尽くすことはない

そのつどすべきことは見えるし

どこに行けばいいか、どこにいればいいかもわかる。

つながるひと、こっちだよと言える。

 

日記、さっぱり具体的でないのは

直接的な言葉にすると、

実名(公人と微妙な私人)ばしばし出てしまうから。

けど、いまなにが起こっているのかの具体的な情報

必要とされるかた、シェアしたく

また改めて、なにかのかたちを考えています。

 

自分であること、目を開け続けること

あと、体も大事。睡眠、ほんとうに大事。

そして、からだの9割、マイクロバイオーム

発酵、豊かな腸内細菌、とっても大事。

 

 

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1月 切り替わり

モクセイ

  ニュートラルになれる場所 生きて行ける場所(野田 モクセイ)

 

一年の始まりのはずが、去年からのきりかわり

はっきりと感じられないまま、

やっぱり節目でありかきっとスタート感があるのは節分

大量にならぶ恵方巻きは目がしばしばになるけど

それでもたくさんのひとがいっせいに今年の夢や目標を

しんけんに目をつぶりもぐもぐお寿司をほうばり祈る時間

それが広く重なる日というのは、

ないよりもあるほうが絶対にいい。

 

その願い、祈りが、

ほんとうに、努力や何の戦略の必要なく

するすると叶う一年になれば、

その一年は全体にとっても豊かでしあわせな一年で

だからもう、バレンタインもだけど

大量消費を促すイベントに対して

疑問やしんどさをただおもうより

もうどうしたってそうである現実のなかで

そのなかのどこを見るのか、

その見方、見るさきが

意識せずとも自然に変化してるのを

最近、日々触れるものから感じてる

 

例えば五輪 反対であり中止を望む思いは変わらないけど

昨日か一昨日、ツイッターのタイムラインで

パラリンピックのポスターのデザインを手がけられた

作家さん(山口晃さん)の解説文と作品を見たときに

五輪をまるっと十把一絡げに否定するのはほんとうやめよう

批判の目をすべてに持つことに気をつけようと、つよく思った。

(復興を後回しにし膨大な予算をかけ建設された簡易な箱もの、

五輪名目で切られたたくさんの木々への悲しみと生じる恨み、

ただただマネーをすいとろうとするパソナ、、そんなで

五輪にまつわるあらゆるものをどうしてもつい否定してしまう

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い... みたいな)、気をつける。

 

 

そういう、見る先と受け取るものの変化

いちばんは、最近は政治。

国会が始まってから、野党の質疑はけっこう見るように

しているのだけど、山本太郎さんのいない国会

だいぶ変わるかもとぼんやりあった不安と悲しみの予測

それはまったくふっとぶ以上に、太郎さんと同じに

強烈なひかり、芯ある鋭さを発する議員さん

その堂々としたまっすぐ精錬な姿と発言は

変わらない希望をまだ国会にも感じられて

 

政治家なんてと、ちゃばんやんとおもうのは一瞬だけど

小川淳也さん、石垣のり子さん、山添拓さん

若手の議員のかたの、ことばもだけど、その声聞けば

ひととしての魅力、すばらしさ、

感動をおぼえるくらい眩しい。

ベテランの議員さん、また与党のなかにも、ひかりはある。

まだこの国、なんとか大丈夫と思える。

 

そう、2月2日の京都市長選(節分前日!)

立候補されている福山和人さん

府知事選のとき、京都からのろしをと願った想い

どうかこの度の市長選、ほんとうに、沖縄につづく

希望と変革、主権をみんなにとりもどすのろしを

京都から。 わたしは投票権なく無念だけど

前回投票に行かれなかったひとたちの奮起願い

そして選挙への参加を促そうと活動されてるかたみんな

深い感謝、つよく応援の想いです。

 

福山さん今日の新聞広告。 その前に他陣営から出された

信じがたい目を覆う広告から受けたげっそり、払拭される。

 

 

社会も、自分の目の前も、遠くの国も

コインの裏表、希望も絶望も、ひとしくあって

どっちがなくなることはなく

ただ、どっち側をみるかで得た認識が

世界の色合いを決めるのだろう

 

だから、性善説、性悪説、

どっちがほんとうより、きっとどっちもで

どっちの面がじぶんに出るか

それをひとはみな、自分においては

決められる

 

でも見るほうは、自分自身もふくめて

見ようとすれば、そのどっちもを

見ることができる

 

ただ、ひとじゃない意識体

ただただ真っ黒、真っ白の存在はいるとして

 

その意識体の意識や意図はキャッチしても

最終この世界をつくっているのは

からだを持って、いまを生きてる人間だから

 

自分のことは、自分で決められるように

植えつけられたり、操作されたり

貪られたり、使われたりしないように

しっかり見極め選択するちから、

自分の核に、中心に、常に保持していなくては

 

そのハンドルを持ち続けるしんどさ

手相観で漫画家の卯野たまごさんが、これもツイッターで

書かれていたみたい、

 

 

いまけっこうなしんどさを感じられているひと

多いのではないかと思うけど

このしんどさ、えんえんと続くより

いよいよきりかわるそのときの

大気圏突入中のしんどさと思われて

それでもなんとかリラックス、休息を取り入れられ

大宇宙空間突入、さらなる未知への旅のはじまり

ご無理なきよう、備えられて願います。

睡眠、とっても大事。

 

 

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12月 『花のベッドでひるねして』よしもとばなな

花のベッドでひるねして

 

今年二月にご紹介した本とならび

お会いする人つよくお勧めをしているのが

よしもとばななさん著『花のベッドでひるねして』

 

『魂の目的』が、

自分を生ききるための

その髪の毛一本の道を示す

コンパスであり地図を得られるなら

 

『花のベッドでひるねして』

そのただ一本の道を、

まっすぐに進み続けるための真髄、極意を

本の始まり近くあたりでおじいちゃん

ずばりのことばで 示してくれる。

 

私はあらゆる聖書経典読んだことはないけど

このおじいちゃんの言葉が書かれた

『花のベッドでひるねしては』

初めて読んだときから私にとって

金言以上の、これこそ聖書、

心のバイブルに近い思いになる本で

実際じぶんのタマシイの道をゆくためには

おじいちゃんが言うふたつ

 

誘われないこと

違うことをしないこと

 

それにつきるのではないかと思う。

 

キリストの教えに同じことが書かれているかは

わからないけど

髪の毛一本の細い道、

誘われないこと

違うことをしないこと

このふたつを肝に銘じ、いまを用心ぶかく

しっかり意識の目をあけて、胸で見極め

そのうえで、一歩一歩をゆくならば

そのいまも そのさきも

あるのは魔法

魂のちからから成す創造を

おじいちゃんはそれをゲームと言うみたい

いくらでも、あふれるまま、あるがままに

そこからうまれる豊かさよろこび

世界へと還元できる。美しさの循環うまれる。

 

 

でもその生き方は

ほんとうやっぱり、簡単じゃない。

 

「脇道があることを、よく見ていなくてはいけない。

目をそらしたら、甘えてしまう。

でも、脇道がどんなに汚れていて、どぶみたいで、臭くて、

でも甘くて楽で人のせいにできるかっていうのは、

いつでもじっと見てきたよ。」

 

「あんなふうに生きていけたらいいけど、

人生はもっとたいへんなものなんだから。

あんなふうに生きられるはずがない。

いつかひどいしっぺ返しがくるに違いないよ。」

 

(よしもとばなな著『花のベッドでひるねして』より)

 

 

先のことばは、主人公の幹さんが

 

「ひとつでも脇道にそれたら、落ちてしまう。

そういう道だったよ、わたしの道は。」

 

のあとに続くことばで

 

そういう生き方を選ぶじぶんを周囲はどう見ているか

それがあとのことばになるのだけど

このふたつの声はふたつとも

みんなひとりひとりのなかにある。

 

じぶんを生きようとして

でもブレーキや修正をどうしてもかけてしまう

そのとき、このふたつの声が

内(胸)と外(頭)から同時に起こり

じぶんのなかで、つなひきが始まる

そういうときにいるひと

この本をと勧めてる。

 

どっちを選ぶのもじぶん。

でも、できれば、

ちがうことをしないこと、

それは、じぶんの魂の声

いちばんのほんとうを

生きるということ。

 

 

本の中盤からは、オカルトも含まれる

魂を生きるとき、どうしてもオカルトはついてくる

 

あと、大切な人との別れ、そのあとのこと

それも、書かれてる。

 

「そう、だって悲しい一方のことなんて

あるはずがないもの。よく見れば何かが用意

されてるはずよ。」

 

(よしもとばなな著『花のベッドでひるねして』より)

 

いまは、その意味が、わかるようになった。

 

他にも、ページから金色に太く浮かび上がることば

それはものすごく立体的で、ホログラフィック。

ピラミッドからいつかみつかるディスクにも

こういうことが書かれているのではないかと思う。

そんなことばがさりげなくも散りばめられてる。

 

道のゆきかた、迷われているひと

もうぜひおじいちゃん流を

わたしはおすすめいたします

空からクイーンのTシャツを

大野舞さんの表紙絵も、細胞でクリスタルのきらめき

ぜひお手元に一冊のご本です。

 

 

『花のベッドでひるねして』 

よしもとばなな 著 幻冬社

https://www.gentosha.co.jp/

 

 

 

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11月 『イシという灯明』片一也

イシという灯明

 

2012年3月、亡命先のインドデリーで

自らの命をかけ チベットの自由を世界へと訴えた

ジャンパル・イシさん  その日にいたるまでの、

片一也さんによる ノンフィクションの記録

 

『イシという灯明』 

片一也 著 ホルス出版

http://www.presssarisari.com

 

身を焼いて自分の命を行使する

そのとき胸中にある想い

パソコンの画面から

報道を知るのみの自分には

打ち付けられる衝撃以外

決意の重み、計り知れなくて

ただただ胸に巨大な穴があいたまま

閉じることなく 今日まで

その穴からは、

チベットの自由を求め訴えられる

たくさんのひとの叫び

ごうごうと渓谷を渡る風みたい

胸のなかから届き聞こえる。

 

本の終わりにも書かれているように、

世界からの注目も集まった2008年チベット騒乱以降も

中国とチベットの関係性、その状況も

なにも変化していないどころか

中国政府によるチベットウイグルへの監視に強制そして弾圧は

年々強まっているという。

 

自分の身を焼くことでしか

世界へ訴えることができない

そこまでチベットのひとたちを追い詰めさせているのは

共存共栄の共の字のない

中国政府の一方的で支配的な強引さ、だけじゃない

世界の無関心、世界の無反応の大きさも

とっても大きい。

 

映画カンタ!ティモールでは

たくさんのひとが死ぬことで

世界に報じられると、無差別の虐殺が行われるさなかへ

飛び込んでいく若者たちがいた。

 

いま、香港でも、自由と民主主義を守るため

学生を中心に、みんなが命がけで戦っている

 

日本国内でも、沖縄の基地問題

リニアやダム、自然を破壊するだけの無駄な工事

狂っているとしか思えない原発の新規設置計画も

そこに住まう人たちが、自身の大切な時間と命を

抗議の活動に、注ぎ続けてくれている

この先の未来のために

お年寄りも、からだをはって

建設のストップを、訴えられている。

 

その訴えの先にいるのは

ほんとうに、思うのは

むちゃくちゃな お金と利権と策略しかない

ひとのこころを持たないゾンビなようで

地球が与えてくれているもの

共有し ともに生きる

おなじにんげん、わたしたち。

 

国を動かすのも、変えるのも

その決定権や行使力をもつ権力者じゃない

ゾンビたちじゃない、

こころを持って生きている、わたしたち。

 

わたしたちしだいで

わたしたちが与えた権力を行使するひと

ゾンビにも、ヒーローにも

愛すべきひとにもなりうる

 

勝ち負けじゃなく

みんながしあわせにだってなれる

 

いまの安倍政権を動かせているのは

アメリカでもディープステートでもない

わたしたち。

 

だから、無関心でいちゃいけない

知ることの、大きさ

 

自分自身の日々でもうじゅうぶんに

それだけで大変で、

政治や世界、社会の問題まで、追ってられない

けど、放っておいたら

結果、じぶんの日々に、暮らしに

放っておいたあらゆるが、まるっと反映されてしまう

政治と暮らし、遠いようで

海と魚みたい、密接、切り離せない。

 

チベットにウイグル、パレスチナにリビア

いま南米、アマゾンも、大変なことに

権力支配、領土問題、開発、宗教問題による

対立、紛争、戦争状態にある地域や国々

 

暴力による支配や弾圧

報道されず、巧妙に覆い隠されたまま

地球規模の破壊やひとがたくさん死ぬことで

そうしてやっと注目されて

世界からおかしいのこえがあがる

誰の目にもとどくほどの悲惨の極みにならないと

世界からの問題解決へ向けたコミット起こらない

長くこれまでも、いまも、そうであっても

 

ひとりの命も何十万人の命も

命は数じゃない、たったひとつの無二なのに

自由への道を、死に託さないでほしい

生きるを選んでほしい、

じぶんの命を、自由のために使ってほしくない

 

生きることを選び

みんなでスイミーみたい集まって

命をかけることなくそれぞれの魂をこめ

こころと、現実的、具体的イマジンで

みんなで道を作りたい。

 

だけどそう思うだけじゃ、

ほんとうなにも変わらない

 

じぶんの目の前、自分の暮らし、

つながり、関わりあう社会、ひと、世界

しんに見つめ、本気で考え、本気で動く

じぶんの内にビジョンをもって、いまをある。

いま、そのとき。

 

その一番の最大の表明であり行動は

選挙で自分の一票を未来に投じることであり

たとえば買い物、ひとつの選択

そのときにかけることば、ひとつの表現

そんな日々のちいさなことも、

そこからなにかの波紋がうまれるかもしれない

それがもしかしたら倍音へと、共振へと

つながるかもしれない。

おもいを行動に、ひとつ、ひとつ。

 

 

体に火をつける その瞬間の想い

じぶんには計りしれなく、だけど

現地でイシさんの足跡を追って書かれた

片さんのことばのひとつひとつは

その場にそのままいて目にするような

『レヒーナ』にも近い感覚になるもので

 

自分を灯明にすると決めた

イシさんの決意

おなじじゃないけど、一滴であっても

じぶんのなかで、その想い、その覚悟

ただニュースで知るのではない実感を

じぶんの内に感じるのを、

片さんの写真と言葉、ガイドみたい

案内をしてくれた。

 

彼は遺書で、自由がなければ喜びや幸せは

風にさらされる灯明のようだと言い、

自らの体を灯明のように燃やした。

        『イシという灯明』片一也

 

続けている、ちいさなできること

Wi-Fiのネットワーク名は FREE-TIBET

チベットに、自由を。

 

あたりまえの自由を、

あたりまえにみんなが生きられる社会を。

そのための、いま、わたしを。

 

 

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10月 『はじめる、続ける。 ぬか漬けの基本』山田奈美

ぬか漬けの基本

微生物たちは、人の心と共鳴するといわれます。子どもやペットを育てる

ような気持ちで、慈しみながらぬか床を育てていってください。

微生物たちは、きっとその気持ちに応えて、おいしいぬか漬けをつくり出し

てくれるはずです。『はじめる、続ける。 ぬか漬けの基本』山田奈美著

 

わたしの発酵生活の主軸にあるのは

自家培養の紅茶きのこと豆乳ヨールグトに酵素玄米

そこにお店で買う無添加の梅干しと

調味料として酒粕甘酒塩麹醤油味噌お酢料理酒

手作りの発酵バターに醤油麹に豆乳マヨネーズ、酒粕化粧水

菌めく菌色の暮らし、以前お勧めした本のタイトル通り、

わたしのからだは9割が細菌でできている。

 

発酵の実践に意識が向かい始めたきっかけは

3月11日の震災後に書かれ発行された、

きのこさん著発酵マニアの天然工房を読んだのと

様々な発酵を実践しているひとが周囲にも多かったこと。

そこでの発酵自体への興味よりも

発酵を暮らしに取り入れられてるひとみんな

そのひと自身が魅力的で、ハチハチきらきらとされていて

その菌めく輝きに刺激をうけ、

まずは玄米発酵の豆乳ヨーグルトをスタートに

塩麹を使った料理や醤油麹作りと簡単なところから

野菜や果実の乳酸菌発酵にはまったり

万能酵母や甘酒、いまはその手間から

やめてしまっているものまで、

試みたあらゆる発酵ではっきりとわかるのは

そのときの自分の状態を

そのまま菌がうけとるということ

 

わたしは菌でできているともいえるけど

わたしの反映が菌ともゆえる

切っても切り離せない、あいだをわけることできない

この世界にいるすべて、菌なくしては生きていけない

水と酸素とおなじに、なくてはならないものが、菌。

 

年々豊かを増す発酵生活を続けるなかも

冷蔵庫のスペースの問題と、お漬物はそんなに

好きじゃなかった理由もあって、

なかなか踏み入ることができないでいた、

発酵といえばまずは浮かぶはずのぬか漬け、

わたしも、とうとう、とうとう今月から

野田琺瑯のぬか漬け用ホーローを購入し

気合いじゅうぶん、自家製ぬか漬け、始めました。

 

きっかけは、ツイッターでもつぶやいた

ぬかごと売られていた水なすのぬか漬けの美味しさに

がっと開眼が起こったことからだったけど

表紙の写真もすてきな山田奈美さん

はじめる、続ける。ぬか漬けの基本

京都の中央図書館で先に読んだことがあり

いつかぬか漬けを始めるときがきたら

購入しようと思っていたレシピの本で

 

ぬか床の作り方や漬け方はもちろん

ぬか漬けの発酵のしくみも詳しく書かれていて

ぬか漬けが気になられているひと、

ちょいと始めようかと思われているかた

とてもとても、お勧めのご本です。

 

『はじめる、続ける。ぬか漬けの基本』

山田奈美 著 グラフィック社

http://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=32932

 

ぬか漬けが暮らしに加わってから、いちだんと以上に

日々にしあわせとわくわくが増しました。

いただくときのよろこびも、そして癒しのような安心も。

 

いままででいちばん美味しく漬けられたのはマコモダケ。

マコモダケの清涼なあまみと、ぬかのしょっぱみ

そして互いの菌があわさりおりなす、ぬか漬けのハーモニー

食をこえた神秘にもおもう、発酵の魔法。

あと、始めるきっかけともなった水なすは

やっぱりぬか漬けの王道、ほんとうに美味しいです。

 

何を漬けるかもだけど、まずに大事なのは、ぬか床

ぬか床へのアプローチもいま興味深く楽しんでいて

今日試みたのは、楽天堂さんで購入した

発酵するはちみつを、大さじ一ほどぬか床に加えてみる

完全非加熱の、置いておくとぶくぶく白い泡が

びんのふたのそとまであふれる

生命の力を感じる、生きているをわかる

いただくとからだが熱くなる、生はちみつ

明日、ぬか床と漬けたお野菜どう変化するか

わくわく とても楽しみです。

 

先日の台風で、その蜂蜜の生産者さん

養蜂家の小西さんの養蜂所も

巣枠70枚が被害にあったと

楽天堂さんのツイートで知りました。

採蜜予定だった秋のはちみつは

いまあるのみになったけれど

春に採蜜分は、これからも楽天堂さん

取り扱いあるよう(通販でも購入できます)

 

そのはちみつで、たったの一時間で

豆乳ヨーグルトもできたとあり

はちみつのすごさも、菌とならび

びっくりと感謝の想い、ひとしおです。

 

小さいものに、生かされてる。

それを、触れることで、確認する。

ぬか漬け、始めてよかったです。

 

 

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9月 『樹木希林 120の遺言』樹木希林

120の遺言

 『樹木希林120の遺言  死ぬときぐらい 好きにさせてよ』樹木希林

 

取材や対談での樹木希林さんのことばが

各章のテーマに沿って、あつめられた本。

以下 本文からの抜粋になります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自分の判断を超えるものに対して、

拒否したり溺れたりしないで

もう少し自然でいたいなあと思うのね。

だって、それほどわたしは強くも弱くも

偉くも駄目でもないんだもの。

雑誌の連載で神や宗教的なものについて綴って。1977年9月

 

私にとっての神は、光みたいなもんだと思うのね。

「神様のバチが当たる」っておどかされて、

よくおどろいたんだけど、 神様ってのは、

そんなセコいもんじゃないと思うのね。

拝むと功徳があって、拝まないとバチをあてるなんて

裏口入学みたいな かけ引きするわけないもの。

光は、生をうけたもの全部にあたるんで、

ただ、うけとるこっち側が、

スモッグがかかってるか晴れてるかによって

その光は、くすぶったり、輝いたりするんだと思うのね。

いずれ科学も進歩して、

心を反射する光を究めることができるかもしれないけど、

それまでは、自分の判断を超えるものに対して、

拒否したり溺れたりしないで

もう少し自然体でいたいなあと思うのね。

だって、それほどわたしは

強くも弱くも偉くも駄目でもないんだもの。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

戦争って、自分のすぐそばの人たちとの戦い。
ドキュメンタリー番組で沖縄の辺野古基地建設予定地を訪れ、

戦争について語って 2015年8月

 

私は戦争って、こっちの国とあっちの国の戦いだというふうに

思っていたら、なんのことはない、

自分のすぐそばの人たちとの戦いであるんだなっていうのが、

あらゆるところで実感でしたね。

自分の国がこういう方向に行った時に、

そうでない意見を持った時に、とても、

すぐそばにいる人たちを説得できない、

あるいは説得されてしまう自分との戦いであって、

決してよその国との問題というのは、

それが起きてから出てくる悲惨さというのは、

むしろ自分の身の周りにいる人との戦いのような気がして。

そんな結論でした。

見誤らないように、生きていきたい、

生きていかなきゃいけないという感じです。

よその国とかっていう、

対中国、対韓国、北朝鮮とかアメリカとか、

そんなことじゃないって私は思いましたね。

それが私の戦争というものを考える、元になりました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本の中でもこの二つのことば、

おなじくの想いもあり、印象にのこりました。

映画『あん』と『人生フルーツ』を観たときも

生きることと死ぬことを、希林さん、

そばでナビゲートしてくださったように思う。

特に『あん』は、わたしもからだを離れたら

木になりたいと(遺灰を養分に)その想いは

映画をみてつよくなって(それまでは海だったのだけど)

 

今年、父が植えたいちじくの木から初めて実が成り

その小さいけどいちども食べたことのないいちじくの味に

木を植えたときの父の想いがふぁーっと胸に伝わって

からだの死は死じゃないんだと

アナスタシアのそのひとは生き続けるの意味

木のおかげ、ほんとうにわかった。

 

日本、木が減っている。意図的に、減らされている。

石材屋さんはえってなるかもしれないけど

お墓のかわり、木を植える選択肢、増えたら

そのひとを想い出す機会、もっと自然に増えるように思う。

お墓を管理しなきゃいけないとか、そのための費用も、

プレッシャーや、かかる負担、へると思う。

 

本から離れてしまったけど

120の遺言、最後の章にあった

 

「いつかは死ぬ」じゃなくて

「いつでも死ぬ」という感覚なんです。

 

という希林さんのことばも

父にサンさん ともこさんとの別れが同時にあったとき

じぶん自身のこととして、それはいまも

つよくおなじくの思いで在る。

 

だからこそ、いまをなるべくにこんかぎり

後悔ないよう、もらったもの、じぶんにあるもの

出会えるひと、いただいた機会に尽くせるよう

いまをじぶんを生きれてる

そのときが、いつきてもいいように。

 

死を意識して生きることは

意識的に生きるのと、おなじところにあると思う

 

 

『樹木希林 120の遺言』

死ぬときぐらい好きにさせてよ

著者 樹木希林 出版社 宝島社

https://tkj.jp/book/?cd=TD291929

 

 

 

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8月 『GO WILD』ジョンJ.レイティ&リチャード・マニング

   「文明に 飼い馴らされた生き方は、もうお終いだ。」

 『GO WILD』ジョンJ.レイティ&リチャード・マニング

 

わたしの目指し取り組んできた野生とはまったく違う

科学的見地からの野生論

科学によって解き明かされる野生 それはスピリチュアル

スピリチュアルを科学的側面から理解し

自分の体と意識にその認識を落とし込むことで

分断化された社会、皆それぞれである個としての自分から

命をつなぎ育み生きる、

共同体の一員としての自分、その役割を

時をこえた視点で見はじめる。


ホモ・サピエンスが

今日まで生き残ることになった理由にあるのは

人のみが持つ 共感力(それを可能とする大きな脳)

 

「進化の成功は、続く世代がうまく繁殖するかどうかに

かかっているからだ。」(『GO WILD』p45)

 

そのためには共感力があってこそ、それがあって

社会みんなで、赤ちゃんを育てることが可能になる。

 

「基本的社会契約は赤ん坊を土台として生まれたのだ。

それがなければ今日の人類の繁栄はありえない。」(p45)

 

安冨歩さんが夏の参議院選挙で訴えられていた

『こどもを守る』

 

「私たちに生きる目的は何かあるのかと考えたら、

それは『子供を守ること』です。

アリやハチの社会であっても目的は同じです」(安冨歩さん)

 

野生にもどるというのは、そこでの原則は

子供を守る 守るというのは

みんなで子供を育てるということ

その原則が崩れてしまえば、

進化が止まったホモ・サピエンスも

他の霊長類と同じ、絶滅へと向かう。

 

映画『トゥモローワールド』は、子供が産まれなくなった世界

を描いたもの。作品の後味ひどく、観たことを後悔したのに

いまになって、その内容を改めて思い出すくらい

過激なフィクションは映画だけの話に思えなくなるほど

出生率の低下とか、そういった数値への危機感以上に

そのことを可能とする共感力、その断絶が

とくにこの数年、とくに今年、いろいろこくこく目にうつり

こころうろたえかけてしまう

 

野生を取り戻すための提案とヒントが

章ごとに書かれているなかで

いまわたしが実践していることは、「睡眠」

8時間は眠る。そのために、パソコンを切る時間を決めて

12時をまわるまえに眠るのを始めたら

体だけじゃなく脳の疲れも、

どっちもがしがしに絞りぞうきんみたいになっていたのが

いまだいぶ、すこししめったタオルくらい、回復した。

 

ほかにも、色や運動、環境について

現代の人間にはきびしく思える提案がつづくけど

そのなかで自分においての可能な方法を

日々に取り入れることはできるから

これからも、ちょっとづつ

わたしが向かっていた野生化と平行しながら

新たな野生へのアプローチ、進めてゆきたい。

 

そう、本にはマイクロバイオームの話も出てきた

やっぱり鍵は、こどもであり、根源であるけれど

菌もまた、人類を継続させる、最大重要の鍵に思う。

菌といえば、菌と意識のことを書かれている

足立育朗さんの『波動の法則』もそう

またぜひご紹介したい、すばらしい本です。

 

これからのとき、じぶんにできること

そのひとつは、野生に戻る

時代の恩恵に浴するときから、

それらがなくても、大丈夫なように。

それは、じぶんのためでもあるけれど

もっとの大切は

持続可能な社会、未来へ続く地球のため

わたしの野生化は、その想いでの取り組みだけど

いまはまだ、まだまだで

 

いま、アマゾンだけじゃなく、シベリア、アフリカ

あちこちで、大規模な火災が起きている

報道されるかされないか、されたから知っている

どうしようやそのときの感情でストップしないで

起こっていることの意味を

本当にしんに、個々人自身の目でもって

多角的に、わかろうとする

 

見させられるからの思わせられるじゃない

じぶんの視点、じぶんの認識、じぶんの想い

そのうえで、いまじぶんができること

それをひとりひとりが意識し生きるとき

全体でのスペンドシフトも、可能になる。

 

『GO WILD』

著:ジョンJ.レイティ&リチャード・マニング

訳:野中香方子  出版社:NHK出版

https://miyakestore.com/?pid=101244766

 

 

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7月 『銀河鉄道の夜』宮沢賢治

銀河鉄道の夜 宮沢賢治

「天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決して

おまえはなくしてはいけない。」銀河鉄道の夜/宮沢賢治

 

初めて銀河鉄道の夜を読んだのは小学生のとき

夏休みの読書感想文を書くために

自宅の本棚から青い絵にひかれ選んだ。

 

読むほどにひきこまれる物語は線路になって

ひとつひとつの風景描写

賢治が得意とするオノマトペはほんとうにその場の音を

匂いを空気の心地を知ることができ

ホログラフィックな視覚情報のとびこみは

あらゆる存在の振動と明滅のひかりをともなう。

 

時間軸をはずれた空間の広がり、

その濃度、その重みはもう

ページの枚数よりもはるかに分厚く

先生の話す声、まぶたにうかぶ、天の川の星々の白み

教室にじぶんも席につくように

ゆっくり汽車の車輪が回り出すみたい

遠く旅にでる感覚を

読み始めるたび、いつだって感じる。

 

初めて読んだときからいま

数えるときっと百っぺん以上は読み返している

間違いなく人生でいちばん繰り返し読んだ本

 

どこでもドアを持ち歩くみたい

かばんに本をしのばせて

ひらけば真空広大な世界がひろがる

 

身動き取れない御堂筋の通勤電車

肉体疲労でもうろうとするモノレールの通勤も

どの仕事をしているときも

そのあいまや、ゆくときと帰り道

本をひらくと流れ込む、清涼で透明の風に

呼吸がもどり、意識がととのう。

草木のない灼熱の情報砂漠で

賢治のことばにこころ潤い、

今日まで、わたしは生かされてきた。

 

僕はもう、あのさそりのように

ほんとうにみんなの幸いのためならば

僕のからだなんか、百っぺん灼いてもかまわない。

 

にじのわのトップページにある絵は

赤く燃えるさそりの星を描いたもの

 

さそりの祈り、ジョバンニの誓い

わたしもと決意した日から今日これからも

切符、なくさないように

いちばんのほんとうを 歩きつづける。

 

 

『銀河鉄道の夜』宮沢賢治

https://www.shinchosha.co.jp

 

 

 

 

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5月『THE BIGISSUE ビッグイシュー』

bigissue

   THE BIGISSUE VOL.349 ボブから学んだ人生哲学

 

はじめてBIGISSUEを買うときは

販売員さんに声をかけるハードルが

なかなかに高かったのだけど

その最初の山(緊張)を越えたら

緊張もおかしな怖さもみじんこに消え

それからは販売員のおじさんとお話しするの楽しみに

土佐堀に住んでたときは肥後橋のおじちゃん

京都へ移ってからは、梅田の歩道橋の上で

自身で月刊誌も作られている濱田さんから

月二回発行されるビッグイシュー、購読している。

 

肥後橋のおじちゃんは、野鳥の会のように

どんなに遠く離れたところからも

ものすごい目力で、カッっと私に気づくのを

わたしも遠く離れていても、それに気づく

へんなテレパシーのような

ふしぎな交流を感じていて

そして人が行き交うオフィス街で

ひとり際立つ澄んだオーラのおじちゃんを

わたしは妖精のようにも思ってた。

 

大阪を離れて京都の二年は

肥後橋まで買いにゆくことできないでいたけど

昨年末に大阪へ戻り

年明け、おじちゃん元気でいるかなと

少し不安にいつもの場所へ近づくと

変わらずのふしぎセンサーびかっとに

二年ぶりですねと声をかけてくれた。

 

しばらく体調を崩してて

販売に出られなかったんですと話される

おじちゃんは、より小さく顔がしぼんで見えて

ほっとしてすぐ不安になったけど

それでも会えて、また販売に立てるようになられて

ありがたい想いになる。

 

 

京都へ引っ越してからは

阪急から西梅田への移動、

地下の人波をさけて歩道橋をわたるとき

高架の工事が終わり

もとの場所(歩道橋の上)に戻られた濱田さんから

再び雑誌、購入するようになった。

 

毎月濱田さんが自主制作されている

ビッグイシュー梅田通信「ちょっとひとやすみ」

村下孝蔵さんの歌詞をおもう丁寧なことばのリズム

わたしはいつもひとつもとけないクイズの出題

4ページの冊子を読むのが楽しみで

大阪へ戻ってからも、

新刊は濱田さんから購読している。

 

bigissue

        濱田進さん発行 ビッグイシュー梅田通信

 

いつのころからか、それは工事前から

工事後もそうだけど

梅田の歩道橋の道、ゴミがすこしも落ちてなく

いつも気持ちよく通れるようになっていて

京都からの通いで朝にそこを通ることで

その謎がとけた。

販売を開始する前に、歩道橋の端から端

あんなにひろい面積をていねいに

濱田さんゴミ拾いをされているのを知ったから。

 

感謝を伝えたら、みんなが気持ちよく通れるようにと

濱田さんはどこかかたい笑顔でそういって

濱田さんから感じてた、どこか盾をおもうバリア

そのときバリアに、思わなくなった。

 

大阪へ戻ってからの忙しさで

ひと月買いにゆけなかったとき

姿みないから心配してましたと言葉をくれて

肥後橋のおじちゃんも、濱田さんからも

うちはものすごく、ものすごく

ひびにないものもらっているのを

ほろほろと、あらためて、自覚した。

 

 

わたしはそれまでも、

ライフのレジのおばさんや

オドナマルシェで毎週会えるご夫婦からも

おなじなにかをもらってて

そのなにかというのは

なんというか、昭和の感覚

いまの時代かぎりなく薄まった

人と人との交流でかんじあう

なつかしい、あんしん。

 

ともだちもしりあいもほとんどいない私は

実家にも一年にいちどしか帰らなくて

見ない、感じないようしてるけど

どこかでは常にさびしいのだと思う。

 

ビッグイッシューのおじちゃんふたりは

そのわたしを、知ってくれてる

気にかけてくれてる

それは、ひとを生かすちからになる。

ふたりが元気でいてくれる

わたしは、助けられている。

 

 

雑誌の内容すこしも書いていなかった。

こんな言い方はないかもしれないけれど

読むたび常に思うのは

新聞よりも、BIGISSUEを読む方が

日本、世界のリアルを、知ることできる

 

ページ全体文字びっりしりで

(写真、イラストも随所に

記事ごとにデザインも凝られています)

込められた情報量多いぶん

さらさらっとは読めないから

読むときは新聞や本を読むよりも集中力がいり

はんぶん勉強の気持ちになるけど

そこにある情報は、新聞テレビだけじゃ

得られないものいっぱいで

特に農、自然、菌類に関する記事は

スペシャリストの声がきけ

ものすごく、学びになる。

 

こんなに情報がぎゅうぎゅうで、

また購入することで、ホームレスのかたの

支援にもつながるビッグイシュー

(一冊350円につき180円が、

販売者さんの収入になります。)

 

公共機関や銀行や病院の待合室

あたりまえに置かれていたらいいのにと

ほんとう思う。

読めば、社会の、世界の見方

決められた見方じゃない視点

じぶんに、取り戻せられる。

ほんとう、そう思う。

 

特にすきなコーナーは

販売員のかたの人生相談と

その悩みにあわせた枝元なほみさん

お料理レシピ。(単行本化されました!)

どこかの号、肥後橋のおじちゃんが

読者の相談に答えられていて

それにもわたしは、はっとげんき

はげましをもらう。

その質問と回答、抜粋します。

 

結婚したいですが出会いがありません

結婚はいつかしたいと思っていますが、

出会いがありません。いつかと思っているから

ダメなのでしょうか。日頃どういう心持ちで

いたらいいのかアドバイスがほしいです。

(30代/女性/会社員)

 

出会いというのはね、ないと思ってたら

翌日にあったりもするんですよ。

だから、いつ出会ってもいいように、

誰に対しても優しい気持ちでいることと、

できれば誰とでも少しおしゃべりするように

するのがいいと僕は思います。

とりとめのないことでも少しおしゃべりすると、

人となりがお互いに ぼんやりと見えてきて、

次の会話にもつながったりもしますからね。

(大阪・肥後橋/Sさん)

 

 

BIGISSUE、各地の販売員さんから購入できるほか

定期購読も可能です。
THE BIGISSUE   H.P.   twitter

 

また、ご予約時 にじのわフォーム メッセージ欄に

「ビッグイシュー希望」冊数 メッセージ頂けましたら

にじのわセレクトのバックナンバー お持ちします。

どんな内容なのかなと気になられているかた

ぜひ気軽にお声おかけください。

 

これから雨と続く夏、屋外での販売もハードな季節

地球の環境は圧倒的でも

気持ちができることは大きくおもい

ひと、いきもの、地球

想いあい、助け合って

みんないっしょに、元気になりませう。

 

 

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