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3月 透明の鏡

                    珈琲といちごのタルト

 

命について 毎日そればかりくらいおもうのは

いまがこんなときだからもあるけど

それは、ものごころついたときからだ

 

幼稚園のころ

焦燥感にかられながら

ともだちづきあいに神経を使っては堪え

その場をなんとかしのいでいたとき

もしもじぶんがへんな衝動にかられて

ともだちを高いとこからどんと押したなら

 

そんなよからぬ想定を想像してみては

こどもである自分であっても

皆んなだれもが他者の命を奪う可能性がある

その大きな脅威に恐怖して

そしてひとの命のはかなさを、頭の中で確かめた

 

6歳のわたしはソファーのうえで

そもそもじぶんはなんで生きているのかを

ほんとうほんきで考えつづけ

なんでなのか、ひとまずじぶんの足のゆびをかじってみたり

 

8歳のとき、昭和天皇の容態の悪化と崩御

その間の大音量な報道の飛び交いあいに

個々の命の価値、重み、その平等性において

ものすごい疑問と謎がうまれ

誰にじゃなく、おかしな怒りを感じてた

 

そんなふう、子供時からいつもあたまに

命というのがのしかかり

ウオンウオンと巡っていたのは

死への脅威、恐れというのが

つねにそば、じぶんの中に、横たわっていたから。

 

その恐れというのは、

父がいなくなってしまうこと

 

子供のころはその恐怖もまったく無意識だったけど

(でも実際、休日に父が母と車で外に出かけるだけで

無事に帰ってくるのを毎回真剣に祈り疲れること多々)

 

いまみたい、自分から情報をとるようになった20代からは

その父との別れ、父の死への恐怖、自覚的だった。

 

だけど現実そのころは

父は健康以上にパワフルにアクティブでエネルギッシュで

そんな、命に関わるなにかが起こる可能性は

目の前の父からはみじんも感じられなくて

 

とにかくわたしはその理由のない巨大な恐れを

とにかく自分のなかからとっぱらおうと

そっちのほうへの取り組みに、必死になった。

 

必死のとりくみと、実際現実父はほんとう

いろいろオーバーワークで疲れていても

それでも元気で、健康パワフルで

横たわる恐れ、だいぶん完全にではなくても

だいぶ薄くまでにきかけたころ

その年はっきり見た夢そのままに

父は、サンさんと同じ日に、体を離れた。

 

その日から、わたしの人生というものは

過去にはない別なる未知のものになった。

 

内のどこかに常にある不安と恐怖

そうならないことを祈る想いにかられつづける

胸にしみこむ理由の見えない痺れのようなのを

感じる必要がなくなったとき

それだけが唯一、まったく別の人生をゆくうえで

唯一の安堵となり

えんえんあった恐れは、そのとき消えてなくなった。

 

もうすこししたら、あの日から4年

ふだんは一年に一度帰るか帰らないかでいたのに

なぜかその年だけは頻繁に帰省をし

夏の暑い日、その直前となる桜の季節も

あいだをあけず二度ほど帰省し

そのときにみた桜の美しさは

今となると地獄的なくらい

311後のどの春もそうだったけど

よりじっと、まがたまみたい

美しさは悲しみを携えて

今年も花咲く桜に、目がしみる。

 

それでも、桜の音だけは

変わらずにまっすぐ

さらさらきらめく桜吹雪みたい

いつの年も水色にこまくに響く。

 

そうして、ウイルスの蔓延

日本は実際が見えてこないけれど

世界各国、亡くなられるかた日に日に増え

収束を思える余地のない状況が続いている

 

もしもいま父が生きていたら

父は医療に従事していたこともあり

もうきっと、私は気が気ではなかっただろう

 

だから、いま父がここにいないことを

生きてきて初めて、ほっとしてる

ものすごくおかしいし、こんななかでも

生きていてくれるなら、ただただ、生きていてほしい

それはほんとう、ほんとうでも

願っても、それは現実ではないからか

とにかく、こんなとき、そのことにおいては

深く、ほっとしている

 

そんな今日、雨降るカフェで

宇宙とわたしはよぶものと

いまとこれからの命における

こころもちへの話をしてたら

 

彼らの視点から、地球にある命をみて

その視点からしてみれば

ほんとうに、いま、生きているか、体がないかは

まったく関係がないのだと

それは人間も、動物も、植物も

あらゆる生命においておなじ

 

たしかにほんとう、父はそうだし

からだの次元では会えなくなった、祖父母、智子さん

ララ、サンさん、枯らしてしまったオリーブの木

生きていてももう二度と会うことのないひともいて

そうして目の前、生きているひと、大切なひとたち

みんな、からだをふくまないでみれば

みんな、意識なんだと、ただそれだけだと

今日あらためて、彼らの視点、命への認識に

はっとなって、ほんまやとなった。

 

違うのは、からだがあるかないか、ただそのひとつ

そのひとつが、生きているときはものすごく重要で

ものすごく重大で、ものすごい奇跡だと思えても

実際のちがいは、体のあるなし、それだけで

あとはいっさい、ほんとうなにも、変わらない

 

だから、場合によっては

そのひとの意識によっては、

体から出た後も、その直前の状態を

繰り返すことを選んだり

こちらに近い次元にとどまったり

信念体系のレイヤーにとらわれたりと

 

(ここでいう意識は肉体意識=スピリット

魂=ソウル はすぐ次の転生に入るか全体(宇宙)へ還る)

 

体を出ればみんな天国らくらくのんびり自由

かならずしもそうとはいえない

あっちはあちらで無数の選択肢があり

 

すべては、いまこの瞬間の、意識

からだのあるなし関わらず

いまこの瞬間、じぶんの意識の反映を

ひとは生きる

 

そう思うと、いまこのからだを含めたリアリティも

限りなく希薄で流動的であり

それでも80億のひとたちと、物質的現実を共有し

それぞれの意識の反映を

共振増幅させながら生きるいまこのときというのは

やっぱり激しく、果てしなく

貴重でかけがえのないもので

 

そこには、体の制限がない状態以上ともいえる

無限の可能性が

この地上から宇宙へと

360度に開きひろがり 満ちている。

 

だからやっぱり、このからだあるとき

いまというとき、この瞬間を

意識的に生きていたいと

意識的に生き、この自分を最大に尽くしたいと

自分が自分を生ききることで

未来へつなぐなにかよきもの

地球に刻み残せるよう

いまをあろうと

宇宙と話して

自分の内を、確認する。

 

からだがあってもなくても

意識はつねに目覚め 生き続ける

 

なにをみるか、どこをみるか

どう生きるか、

どう生きたいか

 

つねに、どのときも、その連続

 

その選択先が、じぶんの魂

いちばんのほんとうであるかぎり

道はある。続き続ける。

 

 

はなしが少しそれました。

 

その、えんえん長らくあった、

自分よりも大切なひとの死の恐怖

それをつきつけられているときは

いまだからわかるけど

その恐怖は、

ほんとうにじぶんを完全に生きること

それにおいて、ブレーキになる。

ただあるままじゃなくしてしまう。

 

失うことへの恐怖から、

じぶんの愛を認めないよう

相手への愛をひっこめたり

愛を受け取ることを拒否したり

 

そんな無意識からの防衛反応も

ただあるままのほんとうを、制限させる

 

そして、その恐怖は

セットであるものをもたらしてくれる

 

それは、安心感

 

じぶんよりも大切な人の存在は

そのひとを失うことへの恐怖は

その恐怖が大きいほど、

見えない質量と重みをもって

じぶんの胸にのしかかり

じぶんがいまここにいるのを

アンカーしてくれる。

 

そのひとの存在の重み

その重みあるひとを失うことへの恐怖

それがじぶんの存在を認識させ

じぶんが生きている意味を感じさせる

 

それは、じぶんはよくても

それは、勝手なるおしつけ

そのひとへの心配、恐れがベースにある限り

それがどれだけ愛ゆえの表現であったとしても

それはあるままじゃない重量を持ち

そのひとにじぶんの不安の投影と

そしてじぶんの人生を

ぎゅっと背負わさせることになる

 

じぶんの人生を

そのひとの責任に、かえてしまう

 

他者への責任、社会への責任

未来、こどもたちへの責任

 

その責任感、なくてはならないものに思うも

それは、制限

外への責任は、義務になる

義務は、本当にしたいこととは違う。

 

誰か、なにかのためじゃない

まずいちばん、なによりもいまこのときに

じぶん自身がどうしたいかを

視線の先を、外じゃなく、自分にみて

そこにあるものをただそのまま生きるとき

 

自分自身の内にある、真の望み

魂のwantを生きるとき

 

のしかかる社会の呪い、制限からひとは自由に

そして、その責任すべて、

外じゃなく、自分になる。

 

いちばんのほんとうを生きる、

その責任は、義務とちがう。

その責任は、自分を生きる、意欲になる。

それは、したいことだから。

 

はてしない物語 アトレイユが旅をするのは

責任でも義務からでもない、じぶんの求め。

だから、ファンタージェンを救い

生命の泉をしるものとなった。

 

 

じぶんを生かしてくれるもの

そのひとを失うことへの恐れ心配を

じぶんのなかに持つ必要がなくなったとき

 

残されたじぶんを、誰かに意味をおかないで

生きるしか、なくなったとき

 

そうじゃないと見えてこないものがあるのだと

それは、孤独とはちがうけど

「ひとりである」 その感覚

 

すべて、じぶんしだい

じぶんがどう生きたいか

どう生きるか

 

そのとき発する自分の音

 

その音が、じぶんの魂とイコールのとき

それは全体へとゆきわたり

個であり全体、境界のないつながりのなかで

その音は、自分が自分であることの

最大の表明になり、全体の、資源となる。

 

その、じぶんの音。

 

なんでこんな話にむすびつくのかだけど

わたしは思う、かんじるのは

いま広がる、ウイルスとされるもの

それは、よく画像で表される赤い粒子の点というより

もう空気全体、それか水槽のなかにいるとすれば

水全体の細かい気泡みたい

そこに境界はなく、ただ、別次元にあるものとして

このウイルスを、認識したとき

 

いまこのときに、自分の発する音、振動は

マスク、また自己免疫力をあげるのと同じ、かそれ以上の

予防策になるのではないかと、思っています。

 

というのは、このウイルスとよばれるもの

変異やタイプ、いろいろあるといわれているけど

彼らのなかに、固有の知性というのが存在しない

かんぜん透明の鏡みたいに

ただあるのは特有の周波数、振動であり

その振動は波紋みたいその都度変化しとらえられなく

(湖の湖面とおなじ、風や雨に魚、外に依る)

そして彼らというのは、変容の波、そのものともいえる

 

ミッドポイントをこえたいま届き注ぐ変容の波

その性質の最大は

すべてをおしあげ、あらわにする

隠せない、あるまま、そのままを表出させる

そんな作用をもっているのだけど

 

この波の作用まっただなかにいるいま

これまで通りの継続は、もうどうにもむずかしく

このウイルスとよばれるものも

でどころは何らかの意図、計画をもっていたとしても

その彼らの意図をこえたところでの働きに

ウイルスというより、つながりあう全体すべてが

シフトしてると、感じています。

 

それは、試されているというより

ただひたすら、みられてる。

それがそのまま、超絶なる細やかさで

ダビンチの人体解剖図のように

現実にあらわされ、かたちになる。

それか、虫眼鏡。

焦点の先、ぼっと火がつくみたいに。

 

 

長々、はなしがあちこちに

 

いつものことながら

まとまらないで書き連ねる日記

読みにくくてごめんなさい

 

あちこちを、まとめると

 

コロナ禍放射状に広がるいま

どうしたって、不安や心配、悲しみを

感じないではいられないときに入るけど

 

大事なひと、つながるひと、まわりのひとたち

国をこえた、みんなとこのときを乗り切るためにも

いま、この瞬間、じぶんの意識がどうあるか

じぶんはいま、なにをみて、それのどこをみているか

(視点の先は他者、外なのか、自分のエゴか、魂か)

そしてその起点となる意識は

いまなにを、決めているのか。

そこを、まず、まずいちばんに確かめて

 

そのうえで

 

不安、恐れ、そしてこれから起こりうる

苦しみと爆発する怒り、悲しみの感情の波、のまれることなく

じぶんを、じぶんのほんとうを、生きるほう

胸のこたえと眉間のあいだを一致させ

そこでのビジョン、そのためのいま必要に、

じぶんの意識とエネルギー、そして行動を

目の前のいまに注いで、いまをゆくとき

 

これからの、底が抜けて流れ落ちてく流れのなかも

じぶんが決めている道を

同じ方むかうひとたちと、つながりあって

一歩一歩、雪道をゆくように

歩きつづけて、そのさきにある仕事

再構築、

できれば、道ゆくみんなで、あらゆる罠を蹴散らせたなら

そこからの、真構築、

取り組むときがくるように、感じています。

 

 

ひとは、ほんとうには、死ぬことはない

からだがあるか ないかだけ

 

死んでいるように生きるひともいれば

生きていなくてもいきいきしているひともいる

状況でも、状態でもなく

そのひとが何をきめているかだけ

きめていることをひとは生きる

 

変容どまんなか、この稲村ジェーンの大波も

じぶんがいちばん行きたい方

その一縷の光の筋の先を 一点集中がっとみて

台風がくるなら海やろうと、マインドセットとっぱらい

この見えない波をあとおしに、

それがまさかの山でもそっちへ向かって

サーフボードはそらにのぼり

そしたらなにか現れるかもの可能性もあるかもで

いまこのさきの数ヶ月、自分に留まり

のりきりませう。

 

追伸  もちろん重要な免疫力、マイクロバイオーム

腸内フローラのポイントは、なにを食べるか以上に

何を食べないかが大きく、魂の声とともに

胃と腸の(菌たちの)声も、おなじに大事に。

 

 

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