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8月 つよさ

モクセイ

                   モクセイ 棚のとり

 

7年8ヶ月ものあいだ続いた覚めない悪夢は

安倍さんが辞任したから終わるわけではない

 

この悪夢の土台を作った小泉竹中の時代から

日本の切り売り、カオス化の計画は

メディアのちからを使って

彼らの計画通りに今日のときまで

着々と実行し続けられてきている。

 

そうして第二次安倍内閣発足以降

あらゆるところに打ち込まれた楔から入ったひびは

ぴしぴしと分断と歪みをうんで

今後何かよっぽどの奇跡が起こるか

社会意識の大きな切り替わりもないままなら

瓦解は回避できないところまできている

 

次に誰が総理になろうとも

その流れ、速度の差はあれ

そんなには変わらないとは思うも

違いがあるとすれば

 

そのひび割れからの崩壊を

さらにより意図的にプッシュするひとがなり

そこでばらけたものを食い荒らそうと

さらにいろんなものが染み渡るのか

 

コロナ禍におけるとんちんかんな政府対応と同じ

事態が手をつけられないところまできたときに

指針とするもの(本来人命)わからないまま

ただただおろおろと機能不全に

それでもの得意の分野(利益享受、斡旋に中抜き)で

その状況からもなにかしらうまみを吸いとろうと

必死になるのか

 

今後さらなる困難が予測される状況にあっても

権威名声を得るには千載一遇のチャンスとばかりに

自身の対応能力省みることなしに

矢面に立つことを望み出る

肥大化した自尊心を満たすための個人的欲求が

国政に投影されるという再びの悪夢で

国の壊れるスピードが早まるのか

 

(安倍政権はそのすべて兼ね備えてるぶん

悪質さはより極まって、短い期間でこんなにも

もとあった形を思い出せなくなるほどに

それまであたりまえにあったはずのよきものを

のっぺらぼうに上書き消去してしまった。。)

 

文化に教育、社会と経済、人命に生態系

そしてひとのこころが瓦解していく

今後起こりうる可能性、その鬼めきを

少しでも緩和しようと

国民に国に世界、地球と生命全体における危機を

真に自覚したひとが、代表に就いてくれるなら

そうなればと願う想いはもちろんあるけど

(ワクチン義務化をさけてくれるひとを何より望む)

 

ただどうにも、いまの立候補者のならびを思うと

可能性として、どうしても、人柱感を感じてしまう

 

自民党は、ほんとうこういうとき

思い返せばあれもこれもあのときも

一斉の死刑執行、クーデターともいえる強行採決の瞬間や

でたらめな法改正の審議の場、彼らにとってもきびしい局面

ネガティブなイメージが伴う場面になると

そういうときにはいつも、ああまたやっぱりと思うほど

それを主導させたり担わせたりするのは、女性だった。

本人は喜んでの受諾だと思うけど。

(あるときはそれが民主党(彼らのプラン通り)だったことも)

 

性別でわけるのは時代に反していることはそうだけど

こと自民党の今までを思うと、

今回は、そういう意味でも、野田さんより

また有力とされる菅さんより、麻生さんがいい。

(麻生さん、ぼろがぼろぼろ、マスコミもかばいきれないから。

いっときの間は目を覆っても、彼らの自滅は早まる気がする。)

 

※今日(9月2日)時点の情勢を調べたら、候補者出揃い

野田さん麻生さんとも、立候補されないようです。

ほっととチーン(みんな逮捕されたくないんだなぁ)の想い...

 

無二の個としてみることなしに

彼らの基準に基づいて、そうしていいと思える人間

彼らにとっては、ひとでなく駒を

人柱に立たせたり スケープゴートにしたてたり

つごうのいいように使って最後は簡単にきり捨てる

それをしている側の安倍さんだって

それをされる側のひとりとも言えるから

それは性別立場関係なしに、

またそれは、政治の場だけに限らなく

 

自身の葛藤を投影する相手をジャッジしさげすみ

絶対性からの正当性から、葛藤なしにその相手を

自身の葛藤のために利用する

そこで恐怖を用いて行われる、操作に支配に搾取

そして尊厳、存在への否認(実際それはすべて自身にゆきつく)

いまの社会、あたりまえにもなされている

 

国がどうなるかよりもそのところ

そっちのほうがこれからのとき、

そこが変わらないかぎり、国も未来もないように思う

 

相手をそのひととして思いやるこころ

そのひとの存在を尊重し敬う、

そのひとの存在への祝福

その想いがゆきつくさきは地球

 

性、立場、宗教に文化、国や言語、肌の色

違いとされるものへの差別的視点の根絶、そのためには

無意識にもあたりまえに行なわれているジャッジング

自分自身も含め、注意深くあれねばと思う

(差別をしないのと、だからと言って、差別を認めるのは違う

明らかなる差別意識に対しては、外側での現れに対しても

自分の中にあるものであっても、それをわかったそのときは

強く鋭くお腹からNOを叫ばなきゃいけない。)

 

そうした差別の意識

個々の思考に無意識にセットされた上下構造のフィルター

そのなかでも日本の社会において

長らく深くどっしりと蔓延るものは

ミソジニー、女性蔑視と言葉にされる

嫌悪の視点であり観念

それは人間関係、家庭に職場、メディアや教育

どこかしこに浸透していて、

そのアイデアは年齢性別立場関係なく受け入れられ

そのぶん一見正しさとも結びつきやすい

ぱっとはそう見えなくも、思わなくても

でもよくみたら目に見えてぎとぎとと油めく

これまでの日本の社会を形成し軸となっているもの

 

そのミソジニーな視点の投影は

向けられたひとのこころを萎縮させ

自分を自由に表現し生きることへのちからをうばう

 

そればかりか

そこに強い攻撃性や操作性が加わるとき

それは恐怖であり、支配に操作、抑圧、制限、搾取に利用

尊厳の無視、存在の否認につながることだってある

 

そうなるのは、向けられる方にも何か理由があるというより

全ては投影する側の意識(無明さ)の問題であって

そのひとが頭で感じている怒りや排除の想いは

相手でなく実際は自分自身の内に理由があり

その人自身がそれに気づかないかぎり

その投影は、誰も止めたり変えたりはできない

 

向けられる投影を自分が止めることはできないけれど

自分はそれをどれくらい受け取るのか、

どれくらい受け入れるのか

それかぱっとよけるのか、当たっても跳ね返すのか

勇気を持って、立ち向かうのか

すぐにでも物理的に離れることを選ぶのか

そこにいる自分も含め、起こっていることを

まったく突き抜けたところにいて

静かにじっと、眺め見るのか

 

そのとき自分がどんな状況、立場にいても

社会的にやプライベート、どんな関係性であったとしても

女性蔑視、またあらゆるジャッジがかった投影

そのひとがはまっているドラマを向けられたとき

それに対してどう反応するかというのは

自分が決める。自分が選ぶ。

 

それを他者から指示されたり

他者が求める反応を要求されたとしても

自分の反応(それへの認識、そのうえでの選択

それにともなう行動)は自分が決める。

それはそうでしかないあたりまえの権利として自分にある。

反応は自分が選び、自分が決める。

それは、どんなときも。誰においても。

 

声圧や立場圧、力によるパワーに負けないで

恐怖を利用してくる他者の土俵(ドラマ)にのらないで

 

すでに分離からユニティーの時代に入った

2020年というときにあっても

日本のこのゴチゴチがちがちに三角ばった

ミソジニーがベースに横たわりその淀み全体へと充満する

維新メンタルともいえるオラオラな統治のしかた

 

いまだ現存する旧世紀のフィルターを通して

彼らの基準に反する存在あれば

的はここだよと誘導し

そこで一斉に矢を放たせ、その息の根をとめようとする

自らの手を下さずにじゃまなものの芽をつんでゆく、つるしあげ

それをじょうずに扇動する巧妙な仕組みや働きかけ含め

その手法がいまも大手ではばかるその醜い羽の毛を

すぐにぶちぶちぶちともぐことは難しくても

 

こつこつとその羽を、一枚一枚抜いてゆくには

とにかくまずはいちばんは、

今時点で自分の思考やエーテルに刺さったままの

目には見えない呪いの矢

支配や操作の毒がぬられた石の礫を

すぽすぽと意識的に抜いてゆくこと。

デトックス。

 

そうすることで、

じぶんをとりまく重みは軽く

胸や思考の振動数は早まり

ふわっと宙にうきあがる意識は

まったく傷を負うことなしに

矢の飛び交い、それを促すものはなにかを

じっと離れたところから

自分に向けられるものを

目の前で起こっていることを

花火の火花を見るように

そうして夜の宙に消えてくのを

その儚さを 幻想を

ただただしずかに、見ることができる。

 

そうしてじっと見てゆくさき

矢の方向を促し扇動するものの意図

さらにその内奥に隠しているものが

はっきりと浮かび上がる

 

それは火花が消えても漂い残る煙みたい

その匂いのだいたいは

根拠のないはったりであり、弱さであり

おびえであり、恐れであり、自信のなさであり

不確かさであり、抑鬱であり、悶々であり、

それらひとかたまりになった、苦しみ

もくもくもうもうとした

晴れることのない煙色の雲

 

総裁選、候補者のなかで

だんとつ邪悪に思えた菅さんをはじめてみたら

おなじだった。小さくて弱い。

彼になったら、きっとこれまでと

ほとんど同じ感じで進むと思う。

ゆく先なにがあっても、どんな問題が起こっても

責任の所在の行き着くさきは、国民へと向かう

運転席にはだれもいない、ゆりかもめな遠隔操作。

 

どこへ向かうか知らされることなく

責任をとるものもいない車内

それでもみんな普通に乗っているから大丈夫と思うのか

窓からとびだし、自由に自分がゆきたいところ

まっすぐに、でも踊りながら目を煌めかせ飛んでゆくさき

なんだあれは

みんなちゃんと電車に乗っているのに

ひとりだけあんな勝手に自由にしかも

もしやあれってとりじゃなくねこやん

ねこが飛ぶなんてありえないと

怒れる矢が誰かから

ときにはあちこちから一斉に

だだだと集中放火で浴びたとしても

 

とりかねこかじゃない、

ただわたしなんだと

とりかねこかの魔力は唾棄し

あとの矢ぴゅぴゅっと上手によけて

撃ち落とされずに

例え急所にささっても

火の鳥みたいじっとその矢をぺいっと抜いて

 

実際にわたしたちの意識は永遠

胸やエーテルに生じた傷を

自分の真実で癒し満たして

ぴきっともどった100パーセントの自分で

よりゆきたいところ、

自分のゆくべき、むかうところへ

 

そうしてひとりひとりそれぞれが

みんなが自由に自分のゆきたいところへ

自分自身の意思をもとに空をゆく

恐れを持たないその姿、自由のはばたき

存在の眩しいひかり  その確かさを

目にしたひとたち

もしやこっちがあたりまえなのかもと

自分そしてみんなが持つあたりまえの権利なのだと

自分が自由に自分を生きる許可

みんなが思えるようになったとき

それをみんなが生きだしたとき

 

先導者の扇動の羽、

ひえぇとじぶんたちの恐怖による支配が

及ばなくなることへのあせりと混乱といらだちのストレスで

ぱらぱら自ら羽は抜け落ち、

煽るための扇も骨だけになる。

 

 

去年10月からつづいた激しい迫りから

そうしてみつけた、自身の答え

 

「自分はどう生きたいか」

 

これからの日本に世界に地球

これまでになかったような事態が

あちこちからぼふぼふと噴出し

うっすらとは問題を感じていた側面が

強烈に前面に、次つぎに立ち現れるような

もう見ないふり、気づかないふりは

できないところに入ってゆくとき

 

そこで起こることよりも

そのとき自分がどう反応するか

そちらがじぶんのゆく道と体験を決める

 

起点にある意識(決めていること)が体験をつくり

そのときの反応は、その起点に基づくものに。

起きる形はその現れであり結果なだけ。

 

起点の意識と自分の反応

そこに意識的であるということは

自分が生きたい体験を、

自分が決められるということ。

 

想定から外れた形があちこちにあふれだす

そのときに、自分の意識が自由であれば

現れである形であり結果に飲み込まずにいられる

形にとらわれることなしに

その形から離れることもできる。

 

自分の欲を満たしたり、利用するため

火の鳥の生き血をねらうひと

矢では死なないとりをつかまえようと

飛びかかりしがみついたら

とりの振動数でそのひとの業に火がついて

ぎゃああと燃える、ことはあっても

 

それはとりがしむけたわけじゃない

ましてや火をつけたのはとりじゃない

そのひと自身の起点の意識と反応の

そのひと自身の、結果であり

とりは欲望の投影を受け入れないことを貫いて

あとはそのひとの反応でありその結果を

じっと見て、受け止めることをした。

 

とりみたい、狙うひとをきっと睨み返しては

とりみたい、自分の意思を第一に

自分がゆくところ、ゆきたいところへ飛べる軽さを

その許可を、いまこの自分に

 

向けられる呪いの矢ははたき落として

残る石のつぶてはこんなん幻想やと

ぱーんと一斉に取りさって

 

集団意識から発せられる

正しさという重力かつ引力的な圧力から脱し

飛びたいように、ゆきたいところへ

自分の求めであり答えを描き飛ぶ

その制限のないあたりまえの自由からの表現が

白黒の世界に色どり豊かな色彩を

とりもどさせるのだと思う

 

自分が自分のいまを決めてゆく

やわらかにひろがる、大海をわたる風みたい

ざざーっと瞬時につきすすむ

ときをこえた制限のない、そのときを

生きたい自分を

いま、この自分から ⭐️

 

 

 

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